五劫の切れ端(ごこうのきれはし)

仏教の支流と源流のつまみ食い

日本の夏祭り

2005-09-28 22:02:16 | 迷いのエッセイ
今回は玄奘さんをお休みし、日本のお祭りについてお話します。少々古いネタなのですが、折角書いた文章ですので載せることにします。

■8月23日の朝日新聞に、東北の夏祭りに関する記事が掲載されました。もっぱら観光資源としてのお祭の話なのですが、ちょっと違和感を覚えました。


ねぶた祭り (青森市・8月1~7日)   334万人(1万人減)
八戸三社大祭(八戸市・7月31日~8月4日)109万人(16万人増)
竿頭祭り  (秋田市・8月3~6日)   136万人(1万人増)
さんさ踊り (盛岡市・8月1~3日)    79万人(2万人減)
仙台七夕祭り(仙台市・8月6~8日) 228万人(12万人減)
山形花笠祭り(山形市・8月5~7日) 100万人(2万人減)
相馬野馬追 (原町市・7月23~25日) 23万人(2万人増)


■「八戸三社大祭」というのは豪華な飾りの付いた27台の山車(だし)を100人の引き手が引き回す催し物のようです。これにNHK大河ドラマの『義経』を意識した熱心な宣伝を繰り広げた成果のようです。大手の旅行社と提携して、観客席を用意して地元の観光産業を盛り上げるのは地方の活性化としてはすばらしい事業だと思います。しかし、一覧表に現れている概算800万人の人々は、七夕やお盆の行事と自分が暮らしている所の夏祭りには参加しているのでしょうか?


16日からの3日間、秋田県羽後町で行なわれた国の重要無形民俗文化財・西馬音内(にしもない)盆踊り。「町内の盆踊り」が10年ほど前、テレビで「伝統が息づく素朴な祭り」などと紹介されてから、人口約1万9千人の町に今年、3日間で約13万6千人の観光客が訪れるまでになった。

北陸の「風の盆」に大勢が押し掛けて地元では困っているという話は有名ですが、日本の祖霊崇拝を仏教の経典に有る因縁話と結び付けて生み出された「迎え火」「送り火」の火と霊魂の祭りは、日々の供養と連動して行なわれる精神的な営みです。自分の御先祖様を放り出して、縁もユカリも無い場所の御先祖様を「見物」に行くのはどういうことなのでしょう?

■海外から沢山のお客さんが訪れて行儀良く見学して日本の精神文化を学んで下さるのならば万々歳です。靖国神社の問題も少しは理解し易くなるかも知れませんし、クリスマスやバレンタイン日で洋菓子を食べていても、キリスト教からは精神的な影響はまったく受けていない日本の宗教心も分かるでしょう。しかし、羽後町に押しかけて来るのは日本人ばかりのようです。


有名になっても、町はあくまで「町の祭り」であり続けることにこだわる。風情を大切にするため、観光客らが踊りの輪の中に入るのは禁止。町は「昔ながらのありのままを受け継いでいきたい」と言う。……仙台から見に来ていた50代の男性は言った。「西馬音内の盆踊りは祭りの形だけでなく、豊作を祈る心からの人々の願いが変わらずににじみ出ている。観光化されずに伝統を守り続けているから『心のふるさと』に戻って来た気分になれる」
小さな町の盆踊りに、客を引き付ける成功例の一つが見えた。


■記事を書いたのは朝日新聞秋田総局の手塚絢子さんです。地方面に掲載された大きめの写真付き記事ですが、御本人は「経済記事」のつもりで書いているのが分かります。有力な観光資源として、地方のお祭りの希少価値を高める工夫を凝らして、『心のふるさと』のイメージをどんどん売り込んで「見物人」を集めましょう、という意図で書かれています。お祭りが、完全に催し物(イベント)になっているのに異議申し立てが出来ないのは、東北地方の弱さでしょうか?仙台からの客が言うように「豊作祈願」の意味が有るのかどうか、夏祭りと秋祭りを混同している疑いもあります。
「地元PR狙い集客競争展開」「経済活性役割担う」という題名から、精神文化を売り物にしようという努力を応援しようとする気持ちが伝わって来ます。

■「日本百名山」のブームが日本中の霊峰をゴミと排泄物で汚したように、東北の祭りが荒らされるのではないか、と心配になります。同時に、こうして出かけて来る800万人もの人々は、自分が属する精神文化を持っていない事を不安にも思います。東北の祭りにはさまざまな謂(いわ)れが有るので、文字通りのお祭騒ぎの熱狂を楽しみ、外来の客も輪に入れて盛り上がる祭りもあれば、静かに内輪で行なう伝統的な祭儀も有ります。どこでも携帯電話のカメラ・レンズやデジタル・ビデオ・カメラを持ち込んで無作法に撮影するような罰当たり者を排除できない状態で、見物人の数を競うような「お祭騒ぎ」の裏に、夏の祭り見物から自宅に戻った後の人々が感じる心の空洞を心配します。

■都市での労働生活が終って、「ふるさと」へと回帰する人々が増えて行く時代には、若いうちから「ふるさと」を探しに旅をして、自分で見つけて選んだ「心のふるさと」に定住する若者もいるようです。祭り見物が縁となって、過疎化が止まって若い人口が増え、昔のような祭りの賑(にぎ)わいが戻るような動きが出て来ることを祈るばかりです。このまま野放図に観光客誘致に熱中していると、海外からのスリ集団を呼び集めたり、カラッポになった都会で空き巣が稼ぎ回るだけの「夏祭り」の季節になってしまいそうです。土地と人とが結び付いて作り上げ、伝承して来た祭りを大切にする方法がまだ見付かっていないのが日本なのでしょうか?

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