なみへい☆ブログ

青春時代アタマが固すぎてはじけられなかった後悔から、今頃はじけようとあがくちょっと見苦しい日々の記録

韓国旅行①

2009-04-17 02:42:30 | 日記・雑感
 4月13日~15日、「慰安婦」問題を考える平和と交流の旅in韓国 へ行ってきました。私にとって初めての韓国訪問です。総勢10名。

 13日。朝9時半に関空を出発し、あっという間に仁川空港に到着。午後1時過ぎには、北朝鮮との国境に近いイムジン閣に着いていた。一衣帯水ってほんとうだ。

「自由の橋」。
 イムジン川を渡る橋。1953年に朝鮮戦争休戦協定のときに、南北の捕虜を互いに交換するために急いで作られた橋。近年まで渡れなかったそうだが、修復され渡れるようになった。





橋は当然途中までしか渡れない。鉄条網のついたフェンスには、南北統一への願いや別れ別れになった家族への思いをこめたたんざくがいっぱい。



下の写真の左に見えている鉄橋は、北へ向かう鉄道で、いまも使われている。イムジン閣の次のトラサン駅までは行くことができるが、その先には行けない。線路自身は、平壌まで通じているのだそうだ。右端に見えている橋げたは、北から南への線路跡で、これは爆破されたまま。



 橋の手前の広場、石碑のようなものの前で、人が集まって果物やお菓子のようなものを食べたり飲んだりしていた。
 その中のひとりが日本語で話しかけてこられた。

 

 この方は、北の出身。集まっているのは、親族の方たち。
 ガイドさんが説明してくれたが、石碑と見えたものは祭壇で、別れ別れになった家族のうち、親や年上の家族は年齢からいってもう亡くなっている可能性が高いため、少しでも北に近いこの場所で、法事のようなことをやるのだそうだ。
 この方たちも、そのために集まった。

 いっしょに記念写真をとることに。後が祭壇。

 

 ひとりひとりと握手する。アンニョンハセヨとカムサハムニダしかいえず、早く統一できますように、は日本語で言ったが、あたたかく迎えてくださったことに、ジーンときた。

 バスに乗って、北朝鮮を間近に望むオドゥサン統一展望台へ。
 展望台か見えた臨津(イムジン)江(奥)と漢江(手前)の合流点。川幅の一番狭いところは400メートルほど?で、ガスがかかっていなければ双眼鏡から北の様子がよく見えるそうだ。

 

展望館の中は、分断と統一への努力の歴史を説明する展示がある。



BGMに「イムジン川」がかかった。歌う参加者たち。


 ノテウ大統領のときと、キムデジュン大統領のときに1回ずつ(不確かですが)、南北の家族の再会の日がつくられたことがあるが、選ばれる人数も限られ、たった3日で、よけい悲しみが増したとの話。また、20年ほど前韓国のテレビが離散した家族を探す特集をやったことがあったそうだが、その日韓国人は朝から晩まで涙を流したそうだ。「私の母も朝から泣いていました」とガイドの金さんが教えてくれた。

 この悲劇も、もとはといえば日本が侵略して領地にしてしまったことから起こったものだ。胸が痛い。

 見学を終えて、ソウルで夕食。メニューは「韓定食」。次から次へと料理がでてくる。おいしい。まあ、参加者の食べることといったら。マッコリに伸びる手。
恐れ入りました。この頃にはすっかりお互い打ち解けていた。



復元された清渓川べりを散策。お釈迦さんの誕生日を祝う祭り(旧暦なので来月初め)のため、提灯がつるされ、ライトアップも。









 




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