なみへい☆ブログ

青春時代アタマが固すぎてはじけられなかった後悔から、今頃はじけようとあがくちょっと見苦しい日々の記録

寒い・・

2010-04-16 02:11:22 | 日記・雑感
今日は、深刻な相談をたくさん聞いた日でした。

 ひとつは、派遣切りにあった青年。
 同じ派遣先企業(製造業)で3ヶ月更新を繰り返して働いていたのを、1年更新に変えてもらうことができたのが、病気で休んでいる間にまた3ヶ月更新に戻され、働き続けたが最近雇い止めを言い渡された。めちゃくちゃな職場の様子を聞いたが、びっくりすることに、派遣先が就職前の「面談」までやっていたらしい(面接というと明らかな法違反になるのでそうはいわない)。

 派遣法の改正で、どさくさにまぎれてこの事前面接も合法化しようとする動きがあったのにはあきれてしまう。それは一応阻止されたけど、いまの派遣法改正案では、この青年は救われない。更新の繰り返しの「常用雇用」でも認められてしまうから。
 派遣という働き方をきびしく限定した法律ができるかどうかに、この青年の人生がかかってるんだな、と思った。

 もうひとつは、大震災で被災した高齢者。復興公営住宅に入っていたが、「災害減免」がなくなったり、税制改悪で控除がなくなって額面上の収入があがるなどで、家賃が当初の倍以上に。途中生活苦で多重債務にもなり、滞納家賃を分割納付してきたが、一括納付を求められ困っている。被災者に限らず近年、公営住宅は家賃の取立てがはげしくなっている。

 もうひとりは七十代で、震災のとき家がつぶれて1日以上生き埋めになっていた人。
200万円の災害援護資金の返済残高をかかえいまも返済を続けている。災害援護資金というのは、震災のとき、生活再建のために国と自治体が貸し付けたお金で利息もつけて返さないとならない。あのとき補償は1円もなかった。年金の中から借金を返し、保険料を払い、医療費を払い・・・。
 住まいの貧困、不況、増税、社会保障改悪による生活苦に、被災したことが追い討ちをかけている。

有馬にて

2010-04-12 23:44:44 | 日記・雑感
 昨日の日曜日は、前から計画していた「慰安婦」仲間などとの集まりでした。

 桜が満開の有馬はUさんのお宅で。

 この集まりは、手をかえ品を変え?いろんな企画で続いている集まりですが、参加の輪も広がって、この日もいつものメンバーのほか、20代のH子さん、看護師Tさんが初参加。

 この間の「慰安婦」問題の情報交換と議論をするなかで、時間のないたたかいをなんとか前進させるためのアクションをしようという話し合いになりました。

 もちろん、歌あり、おしゃべりあり、酒あり、そして今回は温泉も。

 この仲間たちは、個性豊かで、いろんな才能があって、尊敬できる人たちばかりです。
 
 写真をひとつもとらなかったな・・ブログ初心者のようだ。
 こちらでどうぞ(リンクお許しを!)

 心残りは、お天気のせいか朝から軽い頭痛がしていて、心ゆくまで飲めなかったこと(かえってよかっただと!?)。

 それと、ちらしずしをつくっていったけど、味がもうひとつでした。いつもと違うもらいものの酢をつかったからか。あとで見たらアルコール添加で純米酢じゃなかったし。 次回リベンジ。 

教育子育てフォーラム

2010-04-11 01:21:17 | 日記・雑感
 学習会の案内をメールで送ったり、久しぶりにおたよりしたら、

「更新ないからぶっ倒れてるんちゃうかと心配したわ」
「どないしてるの?元気なん?」
「更新できていないときは、家のことか、仕事で大変だということですね」

 の返答多数。

 ありがたいことです。安否を知らせるためにも更新せんとあかんのやなあと(笑)。

 2月3月は、1年のうちもっとも忙しい時期であるのはたしか。昨年はそれでも、ブログをはじめたばっかりだったから、ものめずらしさも手伝って、一生懸命更新してたが、今年は根性なかった。


 あとね、この時期、浮かぶネタはしごとのことばかりだけど、それは裏方仕事だから、舞台裏はあまり見せたくないわけで(言い訳)。

 なにから書けばいいのかわからないから、いきなり今日のことを書きます。

 今日はいっぱい予定が重なっていて、努力するも、昼間の尼崎の集会には行けなかった。

 夜は、西宮で「教育子育てフォーラム」に参加。講師は田中孝彦先生でした。
以下は、あるメーリングリストに投稿したものです(手抜き)。



 子育てフォーラムの開催、おつかれさまでした。
 
 教師の道を歩み始めたばかりの若者の参加(しかも司会がすばらしかったのです)、高校生・小学生の参加(ダンスすてきでした!)、見慣れた大人、初めてお会いする方・・さまざまな方が、こどもを真ん中に手をつなぎあおうというフォーラムを発足されたことにお祝いと連帯のメッセージを送ります。
 
 総選廃止の危機のとき、時を同じくして教育基本法が改悪されようとしたとき、私たちの地域に署名宣伝に応援にきていただいたり、お互いの集会に参加したことは忘れられません。総選はつぶされ、教育基本法は改悪されてしまったけど、そのときの連帯と運動の蓄積が今日のつながりあいの芽をつくっていると思うと励まされます。
 
 田中先生のお話をお聞きして、いろんなことを考えました。
 こども理解のうえで、自分史をひもといてくださいましたが、私は、自分の子ども時代を思いおこすことは、いまのこどもを理解するうえでむしろじゃまになると思っていたんですね。なにせ、「私たちの時代はこうだった。こんな苦労をした。それにひきかえ今のこども・若者はなっていない」みたいな言い方をする大人に少なからず会うもので、そうはなりたくない、という気持ちが強かったんです。

 でも一方で、自分が主権者・大人として社会にむかうときに、直面する内面の困難を自分の歴史にてらして見ることや、他者の経てきた歴史に耳をかたむけて共感したうえで共同することの必要性をうすうす感じてきたところです(ちょっと遅いか)。
 幅広い共同の一歩を、そこから始めればいいのかな、と思いました。
 
 「こどもの貧困」ということばが、「こどもが貧困=こどもがだめになっている」という、教育基本法改悪の勢力が使うのと同じ文脈で使われる危険性についての指摘は、「経済」インタビューのときから、はたと膝をうつ思いでした。

 が、こどもの発達が脅かされる事態を、「どこの国の話?」という空気があったときから、可視化させる役割があったことも確かだし、事態を前向きに打開しようとする人々の間でもそのことばで認知されてしまっていますよね。どうやってこどもの発達を保障していくのかというそもそもを忘れずにことにあたるしかないのかな、と思いました。なにか主催するときには、曲解の余地のないことばを使いたいと思っています。
 
 フィンランドの年配の教師の「自分の中でつながりをもたないことを教えてはならない」という話も印象的でしたね。私は、以前憲法集会で聞いた辻井喬さんの「生活感覚と思想が遊離していてはならない」ということばを思い起こしました。教師ではなくても、大人としてそうありたいと思います。先生ではないので、たまには大人ぶってもっともらしいことを言っても、大目にみてほしいけど(笑)。

 なぜ「こども、こどもで来たのだろう」という先生の感慨も、自分の子どももいなければ教師でもなく、考えずに済ませようと思えば済ませられる私にも、思い当たるものでした(厚かましいけど)。
 いまや、社会変革のどんな課題に向かうにも、私には欠かせない視点に思えるようになっているのですが。それはいままで接してきた子ども、若者、大人たちのおかげかもしれません
 
 さて、発言でもありましたが、県教委が非公開の場で「学区拡大」をねらっています。
 「自由に選べる」ということばで格差をひろげる教育改革は、全国で色あせつつあるのに、またぞろ。

 競争の拡大、通学時間や通学費の負担増はもちろん、「自転車を後からおしてやるような」大人とこどもの関係をますますつくりにくくするのではないでしょうか。
 ぜひまた、力を合わせましょう。