なみへい☆ブログ

青春時代アタマが固すぎてはじけられなかった後悔から、今頃はじけようとあがくちょっと見苦しい日々の記録

届く言葉

2012-06-21 22:16:08 | 日記・雑感
 忘れるくらい昔にアカウントとったきり、一言もつぶやいていないツイッターを
するかどうか迷う今日この頃。

 民主党が政権とったとき、私ら「是々非々」で、っていったけど、いまはもう「非々非々」でしかなく、なんかいやらしい笑いみたいやなあと思う今日この頃。

 田植えはすんだのに、朝4時に目が覚める今日この頃。


 台風で帰宅できない可能性を考えて着替えを持って出勤し、仕事済んだら「電車止まってるから~」と居酒屋で運転再開を待つことを想定していたら、思いのほか早く通り過ぎて目論見がはずれた今日この頃。(飲んだけどな)

 またも大雨で被害が心配な今日この頃。


 なみへいです。みなさんお元気ですか。

 ツイッターのことなんですけどね。
 なんというか、自分の発した刹那的な言葉が、誰かを傷つけやしないか、心配で、手をつけてこなかったんです。

 3・11以降、被災地の現実をどういう言葉で映したらいいのか……
 被災者を力づけたいと思って発した言葉が逆に被災者を傷つけないのか……
 考えているとなにも書けなくなる。

 とどまるか、離れるか、で、仲良くくらしてきた人々が引き裂かれ、周りの言葉がその対立をよけい深刻にしているのを見たりすると、辛くて。
 だからどこに届くかわからないネット上で発言するのがこわくもあります。


  (……ブログを更新しない言い訳じみてもいますが)

 そして、増税を密室で決め、福島を忘れたかのように原発再稼動を決める政治に、いったいどんな言葉を届けたら、被災者、庶民の苦しみが伝わるんだろう。

 ま、政治の方は、どんな言葉かより、どれだけ多数の声かがカギなのでしょう。

 そういう意味では、この間、SNSを活用した市民的メディアに可能性を感じます。

 原発再稼動反対の1万1千人官邸デモしかり。

 「生活保護バッシング」が続いたあと、冷静な報道がみられるようになったのも、ツイッターなんかで市民が事実を告発し声を上げたからだと思える。
(これは、バッシングの発端もツイッターではあったけど。)

 そういうわけで、ツイッターを見るばっかりから使う方に移るか迷っております。

 フェイスブックは、自分の意図したとおりの使い分けができるかよくわからないから当分パス。裏の世界に生きている…違くて、裏方やから、「顔が見え」るとかネタバレは困るときも多いから(笑)

 でも、仕事中や帰省している週末はつぶやけない。

 いつつぶやくんだ?


 
 先週、関電本店前のツイッターデモに参加

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