なみへい☆ブログ

青春時代アタマが固すぎてはじけられなかった後悔から、今頃はじけようとあがくちょっと見苦しい日々の記録

1周忌

2011-05-29 23:19:40 | 日記・雑感
 義父の1周忌法要があり、4日間夫の実家に帰っていました。

 命日まで1か月ありますが、暑くなるし、座敷にはクーラーがないし、農繁期でもあるし……ということで、ひと月早くしようと去年から決めていたのです。

 なのに、はや梅雨入りとは想定外でした。

 足下が危なくなって、裏山のお墓にあがるときが心配でしたが、なんとか無事すませました。

 家でやる法事はたいへん。

 家の中や外回りのそうじ、お供え、湯飲みやお茶碗やお酒のしたく、お返しの準備、祭壇のこしらえ、何升も蒸す赤飯……

 義母の仕切りと事前準備があるからなんとかなりますが、自分たちだけでやれと言われたら、仏具の扱いも飲み込んでいない私は困ってしまう。

 あまりそういうことと縁のない家に育ったし、信仰もないので、結婚して以来何度もあったこうした仏事にはとまどいと反発がありました。

 でも、親戚や隣近所との交わりを深める貴重な機会となってきたのも事実。法事がなかったら、いまほど夫の兄弟やいとこたちと仲良くなれたかどうか……

 夫や私の番になったらともかく、いまは父がやってほしいと思っていた通りにしてあげたいと思っています(お互いに物入りなのと、仕度の負担が重いのは女ばっかりだというのはやっぱり不満ですが)。

 それより、生きているうちに、してほしいと思っていることをしてあげないといけないんだなあ。義母にも実母にも……

 法事のことで頭がいっぱいのときに、実母がおなじことをなんども電話してくるので冷たい受け答えになってしまったことを反省。

コタコタの再開…

2011-05-26 07:10:26 | 日記・雑感
 知人に心配かけるような記事をアップしたっきり、放置していたので、更新しなくちゃと思っていた矢先、あの東日本大震災が起こりました。
 あまりに衝撃が大きくて、ことばを失ってしまい、なにも書けませんでした。

 その頃、いっせい地方選挙を延期してほしいと首相官邸や各政党にメールを送りましたが、実現せず。
 はじめはいたたまれない思いでしたが、阪神淡路のとき、政治が被災者のくらしの再建を置きざりにしたための苦しみを味わってきた私たちだから、同じ思いを繰り返させたくない。保険料が払えない人から医療をとりあげ、「自己責任」を強いるものと、被災者に自力でたちあがれといってきたものの正体は同じだということに思い当たり、それをただすチャンスとしていっせい地方選挙をたたかってきました。

 でも選挙が終わったら絶対ボランティアに行こうと決めていて、先週ようやく福島県いわき市にいくことができました。共産党の募集しているボランティアです。
 ほんのささやかな活動ですがいってよかったと思っています。でもおととい、報告したらパワポ77ページにもなったから、もういっぺんここに書く元気は出ん……。
 おいおいに、書けたら書きます。

 ただね、帰ってきてから、「福島に行ってきた」って言ったら驚かれてしまった。
 その人のまわりでは、「福島からはもう逃げるしかない」という話になっているそうなのです。その人は「逃げられない人はどうするんよ」と思っていたそうですけど。

 たしかにまだ放射性物質の漏出は続いています。
 わたしも自分の被ばくの可能性について全然気にならなかったわけではありません。でもわずかな期間だし、事前にいくらか勉強して、行き先では神経質になる必要はないレベルだと判断しました。

 現地では、地元で39年前から原発の危険性を指摘し、とくに津波がきたときに冷却機能が失われる可能性について東電や国に警告してきた運動団体の方のお話も聞きました。
それだけにいっそう怒りはつのりました。

 同時に、福島の人は汚染されたふるさとで身をまもりながら生きていかなくてはならない。
 実際、たいへんな津波被害の道路一本へだてたところで、代掻きや田植えがはじまっていたり、なんとか元の家に住めるようにとがんばっている被災者の姿に出会ってきました。

 現地では、ただでさえ深刻な地震・津波被害にくわえて、原発事故の影響により、事業所が撤退したり、風評被害で工業製品までもが売れなくなり、地域経済が壊滅の危機に瀕している。そんななかで、ただ危ないとだけあおるだけの議論は、いっそう被災者を追いつめてしまうと私はおもいます。

タイトルについて…
 ボランティアセンターの方が炊き出しをしてくださるというので、ボランティアは自立自助が基本ですから、と辞退しようとしたら、「作業がはじまったらコタコタになって帰ってくんだよ」って。クタクタでなくてコタコタなんだね。たのしくなって、使わせてもらった。