今日はわりと早く帰宅できたが、ヘタレ気味。
楽して食べる方法を考えたが、もう鍋もあきました。
そこで、パックの刺身を買った。同じパックでもさくで買ってきて切ったほうがおいしいというけど、あの切れない包丁ではいっしょでしょう・・研がんとあかんわ。
あと、大根と厚揚げを煮て、ほうれんそうのおひたしと、エリンギの網焼きと、あおさの味噌汁。わあ☆数え上げたらすごく見える。
さて今日は、あすの阪神大震災14周年をまえに、被災者支援と災害対策改善を求める会議に出席した。
そう、明日は忘れえぬ1月17日。
「私有財産に税金投入はできない」と、国は個人補償を拒み、県も否定的な態度を変えようとしなかった。被災者が訴えて訴えて訴え続けて、ようやく突破口を開いたけど、その後次々起こった災害の前に、被災者生活再建支援法はほとんど実効がなかった。
そして見直しの年の一昨年、悲願であった住宅本体への支援が十分ではないがついに実現した。そういえば私も国会へ要請に行ったなあ。
風穴を開けたのは、間違いなく阪神・淡路大震災の被災者の運動が発端だった。でも遡及適用はない・・
阪神淡路の被災者の手に渡ったお金は、見舞金を除いては、借金だった。
この不景気の中で、借りたくて借りたわけでもない借金の返済が、被災者をさらに苦しめる。利息や延滞金までついて。
あのとき、個人補償があったなら。公営住宅がいっぱい建っていたなら。せっかく助かったのに、「あのとき死んでいた方がよかった」なんて言わせずにすんだ。
「派遣村」のボランティアを見ていて、「ボランティア元年」と言われたあのときを思い出す。
自身が不安定な働き方を強いられているのに、ひとごとでない、と駆けつける青年たち。「こっちの方が励まされました」というのも同じ。
参加した青年の感想にあるような、いろんな人が集まるがための困惑や限界もわかる。
大量の歯ブラシや石鹸が届けられてびっくりしたっけ。水は出ないんだってば。
ビタミンをとってほしい、と思って送ってくれたんだろうけど、極寒の体育館の被災者に野菜ジュースを配るのははばかられた。
自分たちも失敗した。避難所に「炊き出しやります」といったのに、材料が調達できなかったり。
そんなこともあったけど、あたたかい人と人とのつながりが、被災者を支えた。
実際、派遣村でのボランティアには、震災のときの教訓が役立ったということも今日聞いた。
教訓を生かそうとしないのは誰だ?「あのとき、首切り、貸しはがしを規制していれば・・」とは、絶対に言わせないでほしい。
今日は、能登や新潟、宮城・岩手の方々の話を聞いたり、災害復興制度の全体像、被害認定のあり方、災害対策マニュアルの提起、地盤災害の予防・・等々、ためになる話をたくさん聞きました。
楽して食べる方法を考えたが、もう鍋もあきました。
そこで、パックの刺身を買った。同じパックでもさくで買ってきて切ったほうがおいしいというけど、あの切れない包丁ではいっしょでしょう・・研がんとあかんわ。
あと、大根と厚揚げを煮て、ほうれんそうのおひたしと、エリンギの網焼きと、あおさの味噌汁。わあ☆数え上げたらすごく見える。
さて今日は、あすの阪神大震災14周年をまえに、被災者支援と災害対策改善を求める会議に出席した。
そう、明日は忘れえぬ1月17日。
「私有財産に税金投入はできない」と、国は個人補償を拒み、県も否定的な態度を変えようとしなかった。被災者が訴えて訴えて訴え続けて、ようやく突破口を開いたけど、その後次々起こった災害の前に、被災者生活再建支援法はほとんど実効がなかった。
そして見直しの年の一昨年、悲願であった住宅本体への支援が十分ではないがついに実現した。そういえば私も国会へ要請に行ったなあ。
風穴を開けたのは、間違いなく阪神・淡路大震災の被災者の運動が発端だった。でも遡及適用はない・・
阪神淡路の被災者の手に渡ったお金は、見舞金を除いては、借金だった。
この不景気の中で、借りたくて借りたわけでもない借金の返済が、被災者をさらに苦しめる。利息や延滞金までついて。
あのとき、個人補償があったなら。公営住宅がいっぱい建っていたなら。せっかく助かったのに、「あのとき死んでいた方がよかった」なんて言わせずにすんだ。
「派遣村」のボランティアを見ていて、「ボランティア元年」と言われたあのときを思い出す。
自身が不安定な働き方を強いられているのに、ひとごとでない、と駆けつける青年たち。「こっちの方が励まされました」というのも同じ。
参加した青年の感想にあるような、いろんな人が集まるがための困惑や限界もわかる。
大量の歯ブラシや石鹸が届けられてびっくりしたっけ。水は出ないんだってば。
ビタミンをとってほしい、と思って送ってくれたんだろうけど、極寒の体育館の被災者に野菜ジュースを配るのははばかられた。
自分たちも失敗した。避難所に「炊き出しやります」といったのに、材料が調達できなかったり。
そんなこともあったけど、あたたかい人と人とのつながりが、被災者を支えた。
実際、派遣村でのボランティアには、震災のときの教訓が役立ったということも今日聞いた。
教訓を生かそうとしないのは誰だ?「あのとき、首切り、貸しはがしを規制していれば・・」とは、絶対に言わせないでほしい。
今日は、能登や新潟、宮城・岩手の方々の話を聞いたり、災害復興制度の全体像、被害認定のあり方、災害対策マニュアルの提起、地盤災害の予防・・等々、ためになる話をたくさん聞きました。