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反環境(6)

2012年10月31日 | 研究
環境は普通の状態では低強度ないしは低精細である。それゆえ人の観察から逃れられてる。自然界の嵐であれ、新技術によってもたらされる暴力的な変化であれ、環境の強度を引き上げるものは何であれ、環境を注意の対象に変える。環境が注意の対象に変わると、環境は反環境ないしは芸術品としての性格を帯びてくる。社会環境が技術の変化によって異常な強度まで揺り動かされ、大きな注目の的になるとき、我々はその状況に「戦争」とか「革命」とかいう用語を当てはめる。「戦争」を構成するすべての要素は、どんな環境であれ、そこにすでに存在している。戦争の認識は、それらの構成要素が高精細まで高められるかどうかである(The Relation of Environment to Anti-Environment/1966)。
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反環境(5)

2012年10月30日 | 研究
活字メディアが公衆publicを生んだと同じように、それぞれの新しいテクノロジーやわれわれの身体的な拡張は、新しい環境を作り出すことになる。情報の時代においては、環境になるのは情報そのものである。例えば、地球から打ち上げられた衛星とアンテナは、環境であった地球を探査針probeに変容させてしまった。これこそ、前世紀の芸術家たちが数限りない実験的なモデルでわれわれに説いてきた変容である。現代アートは、絵画であれ、詩であれ、あるいは音楽であれ、消費者向けの商品パッケージではなく、探査針として機能し始めた。象徴派詩人たちは文字どおり、古い商品パッケージとしての詩を破壊し、われわれの手に探査針として詩を提示してきた。商品パッケージが消費者世代に属するのに対して、探査針は実験者世代に属するのである(The Relation of Environment to Anti-Environment/1966)。
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反環境(4)

2012年10月29日 | 研究
われわれの時代の芸術におけるもっとも明らかな変化の一つとして、絵画における具象の衰退だけはなく、物語の筋story lineの衰退もある。詩において、小説において、映画において、物語的連続性は主題の変奏に道を譲った。そのようなストーリーラインやメロディラインの空間における変奏はずっと未開社会の基準であった。それは同じ理由、つまりわれわれが非視覚的な社会に向かいつつあるという理由でわれわれ自身の社会の基準になりつつある(The Relation of Environment to Anti-Environment/1966)。
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反環境(3)

2012年10月28日 | 研究
あらゆる芸術と科学は、われわれが環境を知覚するための反環境の役割を果たしていることに気づくことは有用である。企業文明の中で、われわれは長い間、一般教養科目が必要とされる態度決定と知覚の手段を提供するものと考えてきた。芸術と科学が電気回路網の条件下で、それ自体が環境になるとき、伝統的な一般教養科目は、芸術においてであれ科学においてであれ、もはや反環境としては機能しない。われわれは「壁のない美術館」に生き、あるいは知覚環境の構造の一部としての音楽を持つにあたり、新しい注意力と知覚の戦略を生みださなければならない。高度な科学知識が原子爆弾の環境を生むとき、新たな科学の環境の制御手段を見つけ出さなければならない。生き残りたければ・・(The Relation of Environment to Anti-Environment/1966)。
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反環境(2)

2012年10月27日 | 研究
電気的時代においては、何であれ、あらゆるかつての環境は反環境となる。したがって、古い環境は自己意識と自己主張の領域へと変貌し、極めて活発な力の相互作用を保証する。
エリック・ハヴロックは、『プラトン序説』で,書かれた文字がギリシャ世界を非部族化する役割を果たした段階を明らかにした。口承および記憶された知恵の部族のエンサイクロペディアの後に、書くこと(書記)が区分けと分類によって知識を組織化することを可能にした。それがプラトンが「イデア」と呼んだものである。分類されたデータを起源として、アートにも具象representationが現れた。具象はそれ自体、識字以前の、素朴な芸術家には知られていない、マッチングと分類の形式である。今日、我々は非視覚的、非具象的な芸術に回帰する。何故なら、電気時代に入り、我々は経験の視覚的構造の世界を離れつつあるからである(The Relation of Environment to Anti-Environment/1966)。
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反環境(1)

2012年10月25日 | 研究
パブリックとネイションは印刷技術の産物である。パブリックとネイションは印刷技術によって「環境」となったが、それらは新しい技術(電気的メディア)の「内容」となった。マスオーディエンスは「環境としてのパブリック」ではなく、新しい電気的技術の「内容としてのパブリック」なのである。印刷技術によって生まれた「環境としてのパブリック」は、多様な視点をもった孤立した個人から成っているが、マスオーデェンスはそうではない。個人が互いに深く関与し合い、アートや教育的な状況の創造プロセスに巻き込まれるそういう個人から成る。アートと教育は、パブリックの啓蒙教化のために提供された消費者向けパッケージ商品であったが、新しいマスオーディエンスは、アートと教育に、消費者としてではなく参加者として、そして共同制作者として直ちに巻き込まれる。アートと教育は新たな反環境というよりもむしろ経験の新しい形式、新しい環境となる。電気以前のアートと教育は、様々な環境の内容であったという意味で「反環境」であった。しかしながら電気的条件下においては、内容が環境それ自体になる傾向がある。これがマルローが「壁のない美術館」で、あるいはグレン・グールドが録音された音楽に見出した逆説である(The Relation of Environment to Anti-Environment/1966)。
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ミメーシス

2012年10月24日 | 研究
「ギリシャ人は、アキレウスの状況にわが身をおきかえ、彼の悲しみや怒りと一体化した。彼ら自身がアキレウスになり、彼らが傾聴する朗誦者もまたそうした。彼らはアキレウスが語ったことやアキレウスについて詩人が語ったことを30年たっても機械的に引用することができた。ただし、詩を記憶するこの並はずれた能力は、客観性の完全な喪失を犠牲にしてしか得られなかった。実のところ、プラトンの標的はこうした教育方法と生活様式全体にあったのである」(ハヴロック/『プラトン序説』1963)

マクルーハンの『グーテンベルクの銀河系』(1962)と『メディアの理解』(1964)の間に挟まれるように出版された『プラトン序説』は、マクルーハンのメディア論、特にアルファベットが視覚を強化し、人間の意識のあり様を変えていった、というマクルーハンの主張への強力な援軍となった。『序説』は、それまで古典学者を悩ませてきた問題、すなわちプラトンが『国家』で芸術家、とりわけ詩人を激しく攻撃する理由についてまったく新しい解釈を提示した。すなわち、プラトンの詩人への攻撃は、古代ギリシャの口承的な精神状態に対する新興のアルファベット・リテラシー文化人(プラトン)の攻撃であったという解釈である。詩人は声にせよ所作にせよ、誰かに似せてせりふを語る。その時詩人はその人を模倣(ミメーシス)し、その人になりきっている。その時、聴衆もまた詩人の朗誦の魔術のとりこになり、詩人と一体化(ミメーシス)する。プラトンが攻撃したのは、そうした理性(アルファベット・リテラシーが強化した精神状態)を失わせるギリシャの口承の伝統(=教育制度)であった。当時のギリシャ人にとって、詩は芸術形式ではなく、有能な市民が教養の核心として学ばなければならない一種のエンサイクロペディアであった。

こうした古代ギリシャ人の精神状態は我々日本人には分かりやすい。「私」という主語を持たないこと、家族と組織と国家と一体化していくこと(=ミメーシス)が、日本文化の伝統であったし、今もそうである。電子メディアの浸透によって、日本人は近代を経ないままポスト近代に突入しているのである。マクルーハンとハヴロックは直接の交流はなかったが、ともに口承の文化と識字の文化の対立に目を向けていた。マクルーハンは、印刷技術が強化した視覚が口承の伝統を侵食し始めていたエリザベス朝期の両者の対立に、ハヴロックは、古代ギリシャの口承から識字への移行期における両者の対立に着目した。1960年前後というのは、北米において西欧近代合理主義の「反環境」としてのテレビ文化が浸透し始め、それまで目に見えていなかった「環境としてのアルファベット・リテラシー」が浮かび上がってきた時期であった。ハヴロックは、ケンブリッジ大学で学んだ後、一時期トロント大学ヴィクトリアカレッジの古典学の教授でもあった。メディア論の理論的支柱の二人(もう一人はハロルド・イニス)がトロント大学ですれ違っていた(マクルーハンがトロント大学に着任したのが1946年、ハヴロックがトロント大学を去ったのが1947年)というのも不思議なトロントマインドというべきか。
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言語はプロパガンダ

2012年10月19日 | 研究
サピア=ウォーフ仮説は、それぞれの言語はその使用者(話者)の世界観をそれぞれに形成する、というものであるが、マクルーハンの言い方はもっと過激である。

言語はプロパガンダである。

マクルーハンは、ジャック・エリュールの『プロパガンダ』を引用しながら、プロパガンダにおける〝環境の効果〝についてしばしば述べている。我々はプロパガンダといえば、権力者が国民を方向づけるために繰り返されるメッセージと考えるが、イデオロギーのような言葉で明示されたメッセージは、プロパガンダの効果においてあまり重要ではない。プロパガンダの効果を最大にするものは、目に見えず、気づかれもしないうちに、人々の生活の仕方や感情を左右する「環境」である。マクルーハンはいう。

「例えば英語は、我々の知覚とあらゆる思考習慣と感情を形づくるにあたり、そのことが英語のユーザーにまったく気づかれない。突然、英語をフランス語に切り替えるとすれば、そのことがもっと認識し易くなる。だが、新しいテクノロジーによって形成される環境の場合、その新しい環境自体は目に見えず、それが取って代わろうとしている古い環境が見えてくるのである。我々はいつも皇帝の古い服は見えるが、新しい服が見えていないのである」(Address at Vision 65)。

言語はプロパガンダである。日本語で思考することがまだ完成されていない小学生から英語教育を行うことは、子供を英語のプロパガンダに晒すということである。日本人としてのアイデンティティは日本語のプロパガンダによってしか育てることはできない。一方、もし日本が移民を受け入れる決断をするのであれば、移民に徹底した日本語教育(というプロパガンダ)を施すことが将来の文化摩擦を軽減するもっとも有効な手段であろう。
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テレビの不連続性

2012年10月19日 | 研究
「通常の新聞の一面、あるいは新聞のどのページでも、ほとんど不連続の項目の奇怪なシュールレアリストのモザイク模様である。あらゆる種類の奇妙なものが、かつてどんなシュールレアリスト絵画もやったことがないほど、グロテスクに併置されているが、人々はそのことにまったく無頓着である。なぜなら、彼らは印刷メディアを手にするとき、画一性、明晰性、連続性を探すため、その結果、それ自体の形式の中にあるシュールレアリストの構成要素を完全に無視するのである。現代アートの教育を受けた者なら誰もが、現代の新聞ほど楽しいものはないだろう。同様に、シュールレアリストの精神をもってすれば、テレビCMも我慢ができるものとなろう。だが、もしテレビ番組に連続性、すなわち文字教養の要求を求めるなら、テレビ番組は見当違いなもの、まったく野暮なものとなる」(Canadian Art 19/1962)

もうあまり思い出せなくなったが、かつてはテレビCMほど邪魔なものはなかった。せっかくのドラマやアニメのストーリーがCMで遮断され、のめりこんでいた気持ちが一気に引いたものである。今は、それほどCMが気にならない。CMが面白くなったというわけでもなさそうだ。テレビの見方が変わったのだろうか。それともテレビが変わったのだろうか。おそらくその両方なのではないか。視聴者はみなシュールレアリストになり、かつては活字文化の影響下にあったテレビ番組(テレビ創成期は、親会社の新聞社からの来た活字人間たちがテレビ番組をつくっていた)が、テレビというメディアの本質に目覚めて、番組から連続性(起承転結)を追い出し、不連続な、どこから観てもいいシュールレアリスト構成になったのだろう。バラエティ番組やトーク番組には「連続性」はない。どこから観始めてもどこで止めてもいいのである。CM以前に番組自体が不連続になった。テレビがくだらなくなったという批判は、テレビから活字文化的な連続性が消えた、ということと同義であろう。不連続性がテレビというメディアの本質であることに早くから気づいていたマクルーハンはやはりすごい。
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マスメディア

2012年10月18日 | 研究
マスメディアとは何か。一般には広範囲の多くの人に情報を伝える媒体のことである。「情報を広範囲に伝える」ということなら、印刷メディアも電気メディアも違いはない。前者が後者に劣るということもない。

マクルーハンは、電気メディアを印刷メディアと区別するものは、空間的要素ではなく時間的要素であるという。電気メディアの特徴はその「即時性」である。"Mass"は、空間的な広がりではなく、時間に関係する概念である。本はどんなに大量に印刷され、広範囲に流通して多くの読者に読まれようとマスメディアではない。なぜなら、本は同時に読まれることはないから。電気メディアの際立った特徴は、電気のスピード、光のスピードがもたらす巻き込みinvolvementである。活字メディアの視覚的形式は電気メディアほどに人を深く巻き込んだりはしない。活字は中立的、超然的である。"Mass"は同時性・即時性によって生み出される。

マクルーハンのメディア論の理解のカギは、「同時であること」、「光のスピード」にある。出来事と「同時である」ことによって情報の受け手、視聴者は情報の発信元に巻き込まれていく。新聞は電信と結びついて初めてマスメディアになった。世界中の出来事の記事が、電信によって同日中に各家庭の居間で読まれるようになった。クリミア戦争時、従軍記者のウィリアム・ラッセルが電信で送った兵士の悲惨な状況の記事は、その日のうちに英国本国に送られ、国民を戦争に"巻き込んだ"。巻き込まれたナイチンゲールは、看護婦として従軍を決意し、やがて国民的シンボルとなった。電信がナイチンゲールを生んだのである。

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機械の花嫁

2012年10月18日 | 研究
マクルーハンの最初のまとまった著作『機械の花嫁』が出版されたのは1951年、マクルーハンが40歳の時だった。本の副題は、邦訳では「産業社会のフォークロア」となっているが、英語では"Folklore of Industrial Man"であるから、直訳すれば「産業社会人の民話」である。後の『グーテンベルクの銀河系』の副題"The Making of Typographic Man"や『メディアの理解』の副題"The Extensions of Man"にも見られるように、マクルーハンの関心は最初から人間に向かっていたことがよく分かる。また、価値判断は留保するマクルーハンであるが、「機械の花嫁」というタイトルからは、マクルーハンが機械文明が統一体としての人間性humanityを損なうことへの批判的な態度が読み取れる。

『機械の花嫁』は、40年代のアメリカの雑誌や新聞の広告、コミック、推理小説、西部劇などを批評の対象に乗せ、アメリカ大衆文化、メディア文化を分析しようとの試みであった。広告素材を研究の題材に使うことは著作権問題が起きないので都合が良かったという。日本で広告を批評の対象にした雑誌『広告批評』が創刊されたのは1979年であるから、マクルーハンはその30年前にすでにマスメディアと広告がもたらす文化と人間意識の変容に取り組んでいたわけである。この本は、後の『グーテンベルクの銀河系』と『メディアの理解』が、メディアそのものを分析対象にして「メディア論」と呼ばれるようになったのに対して、批評の対象がメディアのコンテンツの一つである「広告」であったため、いわゆる「メディア論」の本としては扱いづらく、後の二冊に比べて書かれた批評は多くない。出版当時もあまり話題にならず売れなかった。しかし、この本は、マクルーハンがケンブリッジで学んだ文芸批評の手法を大衆文化の批評に適用した、つまり広告写真や文化を言語と見なして批評した最初の本として、またマクーハンの関心がメディア技術そのものに向かう転換点となった本として重要である。

マクルーハンは、Gerald E.Stearnの『花嫁』についての質問に次のように答えている。

「『機械の花嫁』は、テレビによって完全に否定された本の好例である。アメリカの生活おけるあらゆる機械的な前提はテレビ登場以来、取り払われてしまった。アメリカの生活は有機的な文化になった。女性らしさFemininityは、写真の挑発的な魅惑から、何もかもを巻き込んでいく触覚モードに移ってしまった。女性らしさは、かつて視覚的なものの混合であった。今や女性らしさは、ほとんどまったく非視覚的である。私はたまたま偶然に、テレビ登場の直前に、その存続期間の最終段階にきているそれ(視覚的な女性らしさ)を観察したのである」("McLuhan:Hot and Cool")

『花嫁』が出版されたまさにその時、北米はテレビ文化に侵食され始めていた。『花嫁』で論じた機械文明の視覚的な世界はエレクトロニクスの触覚的な世界に取って代わられようとしていた。多くの人は、機械とエレクトロニクスは技術的に連続したものと考え、本質的な違いを意識しなかったが、マクルーハンは、電気のスピード、光のスピードに機械文明によって分断された統一体としての人間性を回復させる可能性を見たのである。「メディア論」揺籃の10年がこうして始まった。
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未来の仕事

2012年10月17日 | 研究
ドラッカーは、半世紀前、未来は知識労働者knowledge workerの時代であると言った。ドラッカーの言葉は、古い概念で新しい事態を説明するので分かりやすい。

マクルーハンは、半世紀前、未来の仕事は「jobからrole(役割)」になる、と言った。相変わらずマクルーハンは分かりにくい。マクルーハンの言うjobとは、近代工業社会において、専門化され、工程の一部だけを担わされた仕事のことである。かつての労働、すなわち農民、大工、鍛冶職人等の職業はjobではなくroleであった。主婦の家事労働もjobではなく全人格が関与するroleである。近代工業社会においては、多くの労働者が断片化されたjobを担わされてきたが、電子メディア環境はjobを終わらせroleを回復させる。光の速度では、仕事は断片化は許されず包括的になる。労働は役割となり人生となる、というのがヒューマニスト、マクルーハンの主張であり、期待であった。

知識労働者knowledge workerとrole player。前者の方が分かった気にさせてくれるが、後者の方がより深いとろこで現代のインターネット社会の労働の本質を言い表しているのではないか、と思う。マクルーハンは、ドラッカーの知識労働という新種の仕事の分析をさらに一歩進めて、知識労働が生み出す環境全体の変化を問題にしているのである。マクルーハンが思い描いたユートピア的な状況からはほど遠いが、今日、多くのネットベンチャーでは、仕事場と自宅の区別は消えつつある。仕事と娯楽の区別もぼやけてきた。在宅勤務は仕事なのか人生なのか。芸術家に"勤務時間"が無いようにネットビジネスマンにも"勤務時間"はない。"勤務時間"は19世紀的な概念である、とマクルーハンなら言っただろう。role playerの職場では、どんなに仕事がハードになってもパソコンのラッダイト運動は起きないのである。労働組合はjob workerではなくrole playerを組織化するための理論を必要としている。
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ジョナサン・ミラー

2012年10月16日 | 研究
「よく言われることだが、マーシャル・マクルーハンの最大の業績は、その評判である」という皮肉に満ちた一文から始まるマクルーハン批判の本『マクルーハン』(ジョナサン・ミラー)が出版されたのは1971年。邦訳も1973年に新潮社から出版された。

マクルーハンのメディア論については、その登場の時から賛否両論が巻き起こり、そのものズバリの『McLuhan:Pro and Con』(1968)というタイトルの本も出版された。そしてメディアへの露出過剰で飽きられ始めていた1970年代の初頭に、マクルーハンの評判の下降に追い討ちをかけるように出されたマクルーハン批判本が上記のジョナサン・ミラーの本である。

ミラーは、本の序文で「議論のために、私は意識的に敵意ある口調で述べてきた」と書いているとおり、マクルーハンの著作を意図的に誤読して批判のための批判をしていると思われる箇所も少なくない。例えば、マクルーハンが自分の経歴やカトリック信者であることをあまり語らなかったことに対しては、

「・・マクルーハンはカトリックなのである。彼はこの事実に特に触れていないが、彼の有名な意見全てはその事実のために隠れた歪みを生じ、こうして<価値>の束縛から解放されているという彼の主張はナンセンスになるのだ。後で明らかにするつもりだが、マクルーハンの大量の著作はカトリックの敬虔に裏打ちされていて、対象から身を離すように努めるのは、一部は敵を欺く策略上の態度である」

といった具合に、手厳しいというよりも悪意さえ感じる批判を行っている。

一方で、「同じパラドックスは、マクルーハンのカナダ国籍に対しても成り立つ。マクルーハンが育ったカナダという地方には、強い<視点>が関係している。即ち土地再分配論で、それは彼のカトリシズムと並んで、彼を有名にした本の根底をなす動機となっている。しかしながら、それと同時に、カナダ体験の中には、自分の育った文化と社会との相克が存在する。したがってそうしたものの研究に興味を持つ人は、<単一の視点>の危険と相殺するために必要な、あらゆる<心的斜視>を身につけることができよう」と分析するなど、強引ではあるが「大国アメリカの隣国というカナダという国の地政学的な事情がマクルーハンのメディア論の背景にある」という分析を行ったり、ケンブリッジ時代の師であるF・R・リーヴィスの農業主義の影響、ケンブリッジからカナダに戻らず、米国セントルイスで7年過ごしたことから来る南部口承文化への傾倒など、マクルーハンの思想形成の背景に関して、後のマクルーハン研究者の参考となる重要な視点も提供している。

ミラーの『マクルーハン』は、全体としてはマクルーハンに対する敵意に満ちた本であるが、実はミラーとマクルーハンは一時期親しい関係にあった。マクルーハンからミラーに送った1970年4月22日付けの手紙は、「あなた(ミラー)もご存知のとおり、私を中傷する者たちは、日夜、私の評判を高めるために働いてくれている。そんな貴重なサービスは、お金で買うことなどできないというものである」と、自分を批判する者への余裕の一文で終わっている。ミラーとマクルーハンの間に何があったのか知る由もないが、この手紙を送った1年後に当のミラーから、かつてないほどの敵意に満ちた批判を受けることになったのは皮肉である。だが、マクルーハンのことだから、ミラーの批判さえも「自分の評判を高めてくれるもの」として受け止めたのではなかろうか。事実、ミラーの『マクルーハン』は、今となってはマクルーハン研究者が読むべき重要な本の一つとなっている。マクルーハンが闘っていた印刷文化人の、自らは気づいていない偏向具合がよく分かる本である。

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グローバル・ヴィレッジの誤解

2012年10月10日 | 研究
"グローバル・ヴィレッジ"は、マクルーハンの残した言葉の中でも最も有名な言葉となった。マクルーハンの生きていいた時代、グローバル・ヴィレッジは人々の目にまだ見えていなかった。1991年、CNNが湾岸戦争を全世界に生中継したとき、人々はグローバル・ヴィレッジの到来がすぐそこに来ていることを知った。インターネットが普及した今日、我々は、どこに住んでいようと、世界で起きていることに、互いに、同時に関与し合うグローバル・ヴィレッジの住人である。

グローバル・ヴィレッジの意味はしばしば誤って使われる。"ヴィレッジ(村)"という言葉の郷愁感からか、マクルーハンは理想郷としてのグローバル・ヴィレッジの到来を待ち望んでいた、という誤解である。あるいはそうした理想郷がネットによってついに実現した、という誤解である。実際はマクルーハンはこう言っている。

「グローヴァル・ヴィレッジは、どんなナショナリズムよりも、根本において、はるかに多様で、争いに満ちている。"ヴィレッジ"は「分裂fission」であって「融合fusion」ではない。人々は、ヴィレッジの互いの関わり合いを避けるために小さい町や村を離れるのである。-中略-ヴィレッジは理想的な平和や調和を見つけるための場所ではない。全く正反対である。ナショナリズムは印刷から生まれ、ヴィレッジ状態の苦痛を大いに和らげてくれた。私はグローバル・ヴィレッジに賛成しているのではない。私たちはそこに生きていると言っているのである」("McLuhan hot and cool")

村人が隣家の問題に口を出すように、隣国はもちろん地球の裏側の国の問題にも干渉するのが地球村の住人である。"内政不干渉"など地球村にはない。内政不干渉は印刷文化のルールである。厄介な時代であるが、救いがあるとすれば電子メディアの文化は印刷が生んだナショナリズムのように頑迷ではないことだろう。何でも干渉するが冷めるのも早いのが地球村の住民である。
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耳の文化と目の文化の衝突

2012年10月10日 | 研究
「今日の文化人類学者は文字文化の前提を、何ら考慮なしに無文字文化の研究に当てはめるという過ちを犯している」("McLuhan hot and cool")

マクルーハンの仕事は、ある人間集団(社会)の生活や行動の特徴を構造的に研究する文化人類学者の仕事に似ているが、マクルーハンはその文化人類学者を上記のような言葉で批判している。先進国が途上国に対して行う善意の援助もまた、同様な過ちを犯している。例えば、インドのある村に水道を引く事業は、村の女たちを井戸端から遠ざけ、村のコミュニティを壊してしまった、という。耳で結びついている文化への理解が足りなかったのである。マクルーハンは、先進国と途上国の摩擦、東西の冷戦、世代間の衝突の原因を、声の文化と文字の文化の衝突と見る。いささか強引な説明もなくはないが、マクルーハン的なアプローチすることで相手の文化をより深く理解できよう。大抵の文化衝突の原因は、マクルーハンの文化人類学者への批判と同様、相手の文化を「相手の感覚の条件」の下で理解する努力を怠っていることによって生ずる。60年代の冷戦のさなか、マクルーハンは、東西冷戦は「耳の文化のロシア」と「目(=文字)のアメリカ」の衝突であると指摘したがそれを理解する者はいなかった。今日の日中衝突、日韓衝突にも通じる問題である。


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