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反環境(1)

2012年10月25日 | 研究
パブリックとネイションは印刷技術の産物である。パブリックとネイションは印刷技術によって「環境」となったが、それらは新しい技術(電気的メディア)の「内容」となった。マスオーディエンスは「環境としてのパブリック」ではなく、新しい電気的技術の「内容としてのパブリック」なのである。印刷技術によって生まれた「環境としてのパブリック」は、多様な視点をもった孤立した個人から成っているが、マスオーデェンスはそうではない。個人が互いに深く関与し合い、アートや教育的な状況の創造プロセスに巻き込まれるそういう個人から成る。アートと教育は、パブリックの啓蒙教化のために提供された消費者向けパッケージ商品であったが、新しいマスオーディエンスは、アートと教育に、消費者としてではなく参加者として、そして共同制作者として直ちに巻き込まれる。アートと教育は新たな反環境というよりもむしろ経験の新しい形式、新しい環境となる。電気以前のアートと教育は、様々な環境の内容であったという意味で「反環境」であった。しかしながら電気的条件下においては、内容が環境それ自体になる傾向がある。これがマルローが「壁のない美術館」で、あるいはグレン・グールドが録音された音楽に見出した逆説である(The Relation of Environment to Anti-Environment/1966)。
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