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マクルーハンの「いま」へのこだわり

2021年01月29日 | 研究
マクルーハンの常套句、「自分は未来を予言しているのではない、現在(いま)を観察しているだけだ」や「未来の未来は現在(いま)である」などの言葉、あるいは経営コンサルタントのバリトン・ネヴィットとの共著のタイトル『Take Today – the executive as dropout(今日(いま)をつかめ-- 落伍者としての経営幹部)』(一九七二年)からも、彼の「いま」へのこだわりが分かります。マクルーハンは、ドラッカー同様、「いま」に「すでに起こった未来」を見ようとしていました。

                                   『マクルーハン・プレイ』
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ロジックとレトリックとメディア論

2021年01月29日 | 研究
三木清が言うように、ロジックとレトリックが一体であった時代に、すなわち知識と知恵が一体であった時代に戻らなければならない、というのがマクルーハンの「メディア論」の根幹にありました。

                                    『マクルーハン・プレイ』
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レトリック思考

2021年01月29日 | 研究
レトリックは言語に関する学であるが、言語と思考とが一つのもの或いは不可分のものである限り、レトリックもまた思考の学の一種と見られてよい筈である。

                                   三木清『哲学ノート』
                                                                                                                                       




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フォーダム大学

2021年01月29日 | 研究
一九九八年には、マクルーハンが六十年代末に客員教授を務めたニューヨークのフォーダム大学で、欧米から集まったマクルーハン研究者が一人十五分で二日間にわたってマクルーハンについてスピーチするという慌ただしいシンポジウムが開かれたこともありました。まるでアップルの新製品発表会のような熱気にあふれたシンポジウムでした。
   
                                   『マクルーハン・プレイ』
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地球村

2021年01月29日 | 研究
部族的な地球村(グローバル・ヴィレッジ)は、どんなナショナリズムがかつてあったよりも、根本において、はるかに多様で争いに満ちている。"ヴィレッジ"は「分裂(フィッション)」であって「融合(フュージョン)」ではない。                                                                                                                                                                                                                                      マクルーハン "hot&cool"
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ドラッカーとマクルーハンの出会い

2021年01月28日 | 研究
彼(マクルーハン)は、いつも自分の考えていることだけに夢中になっていたものの、楽しい客だった。しかし、二十年以上に及ぶ付き合いの中で、一度たりとも、私が何をしているのかを尋ねたこともなければ、私の説明を聞いたこともなかったと思う。彼もまた、彼自身のことについては一度も話したことはなかった。いつも、彼は考えていることについて話した。いつも、妙なことばかり考えていた。彼は実によくわが家に立ち寄った。ほとんどあるいはまったく予告なしに、訪ねてきた。そして、ある夏の嵐と雷の真夜中の一時、彼はニュージャージーの私たちの家の呼び鈴を鳴らした。びしょ濡れの彼がにこにこ立っていた。

『傍観者の時代』には、ドラッカーとマクルーハンの出会いとその後の交際の様子がドラッカー独特の筆致で描かれています。
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