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哲学者の誕生

2014年10月30日 | 研究
哲学とは何か?の問いはこれまでも様々な思索者によって問われてきたが、その問いが終ることはない。「哲学とは何か」の定義は定まらなくとも、「哲学者」は誰かということははっきりしている。プラトンが描いたソクラテスを祖とする系譜の学派の人々である。だが、プラトンの師のソクラテスは哲学者としてではなく、ソフィストと見做され死刑宣告を受けた。ソクラテスは本当に哲学者(フィロソファー)だったのか、それともソフィストだったのか。プラトンは「哲学とは何か」については最後まで定義していない。定義したのは「ソフィスト」についてであり、一連の「対話篇」は、ソクラテスがソフィストでは「ない」ことを立証しようとしたものである。

「私の見方では、ソフィストを哲学者の対概念として攻撃することが、プラトンにとって哲学を可能にする唯一の途であった」(『ソフィストと哲学者の間』/納富信留)

ソフィストを批判することによって、そしてソフィストの起源である詩人を攻撃することによって「哲学者」ソクラテスが誕生した。あるいは二つの学派、即ち「ソフィスト学派」と「ソクラテス=プラトン学派」が「哲学者」の称号を争った末に、書き残す能力に長けた後者が「哲学者」の称号を勝ち取ったのである。ソフィストは口誦文化人ゆえに、歴史支配力に劣っていた。マクルーハンは、「本は頑固で嘘であっても永遠に言い続ける」と言ったが、プラトンがソフィストに張ったレッテルはグーテンベルクの印刷技術によってさらに強固になって西洋社会に定着した。その汚名を晴らす機会は印刷文化の粘着力が弱まる20世紀後半まで待たねばならなかった。
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プラトン序説

2014年10月28日 | 研究
プラトンが『国家』の第十巻で、詩人(プラトンの時代は朗唱詩人)たちを激しく排していることは、長くプラトン解釈者たちを悩ませてきた。詩人は今日的な見方では、言葉による美的経験をもたらす芸術家である。プラトン解釈者たちは、このプラトンの詩人に対する主張を額面どおり受け取るのをためらい、プラトンが攻撃したのは本物の詩人ではなく二等、三等の詩人であるとか、批判は本気ではないなど、現代の好みに合わせていろいろと釈明せざるを得なかった。エリック・ハヴロックは『プラトン序説』で、プラトンのこの主張について新解釈を提唱して、古典学の世界に大きな論争を呼んだ。


『国家』のこの最終巻は、政治本性の考察ではなく、詩の本性の考察で始まっている。そこでは、詩人は画家と同類とみなされ、芸術家は現実から二重に隔たった経験の一変種を生み出すとされる。芸術家の作品は学問にとっても道徳にとっても、よくて軽薄、最悪の場合には危険でさえあり、ホメロスからエウリピデスまでのギリシャの主要な詩人たちはギリシャの教育制度から追放されなければならない。そして、この異常な主張が情熱をこめて追及される。

「われわれはわれわれの魂という都市を詩から護らねばならないのである」(608b1)
この一節のかもし出す雰囲気が問題の核心を明らかにしている。プラトンの標的はまさしく詩的経験そのものにあるらしい。この経験は、われわれなら美的と呼ぶような経験である。だが、プラトンにとってこの経験は、心を冒す一種の毒物である。われわれはいつも解毒剤を用意しておかなければならない。プラトンは詩であるかぎりでの詩を破壊し、コミュニケーション手段としての詩を追放したがっているようである。

『国家』はギリシャの伝統そのものと、それが依拠する基盤とを問題にする。この伝統にとって決定的であるのは、ギリシャの教育の状況と質である。いかなるものにせよ、若者と精神と態度が形成されていく過程こそ、プラトンの問題の核心にある。-中略-『国家』がギリシャの現行の教育機構に対する攻撃とみなされれば、その全体構成の論理も明らかになる。そして、この過程の核心に位置しているのは、どうやらまた詩人たちの存在なのである。詩人たちがこの問題の中心にいる。

・・・明らかに教育にかんするプラトンの理論に合わせて考案された理論である。次に-男女平等、家族の共有化、限定戦争の役割といった-いくらか政治的、社会的、経済的な理論が続き、そして最後に哲学者だけが政治権力の安全で適切な受容者であるという逆説が提出される。

詩の追放はいまや論理的で避けられないものになっている。というのも、詩の才能は新たな教育構想の背後にある認識理論とはまったく相容れないからである。こうして、第五巻で暫定的に哲学者の敵として示された詩人たちは、いまや第十巻において、完全にその正体を暴かれ、哲学的な教育段階に君臨せねばならない学科から追放されるのである。

                                                             『プラトン序説』

『国家』は、政治論文ではなく、教育制度批判の書であるとハヴロックはいう。ギリシャの口承の伝統がアルファベット識字の浸透によって転換的に立っていたその時期に、最初に現れた識字教養人(散文家)がプラトンであった。プラトン自らは意識していなかったであろう識字によって培われた直線的で合理的な思考形式が、詩人たちをあれほどに毛嫌いさせたのである。プラトンのソクラテスを語り手とする一連の『対話篇』や『国家』が書かれた目的は、ギリシャの教育制度を独占してきた詩人たちから、そして詩人と同一視されるソフィストたちから、その支配権をプラトンら「哲学者」が奪いとることにあった。

ハヴロックはマクルーハンよりも少し早くケンブリッジ大学に学び、その後カナダに渡ってトロント大学で教べんをとり、1946年に着任したマクルーハンと入れ替わるように米国に移った。『プラトン序説』(1963年)は、『グーテンベルクの銀河系』(1962年)、『メディアの理解』(1964年)に挟まれた年に出版され、メディア論の理解にとって欠かせない重要な著作となっている。マクルーハンとはすれ違いながらも何かと縁を感じる二人である。ちなみに、二人の口誦文化へのアプローチが類似しているのは偶然ではない。二人の間にH・A・イニスがいたことは以前書いた。












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ソフィストとしてのマクルーハン

2014年10月22日 | 研究
マクルーハンはソフィストであった。これは間違いないところである。マクルーハンが「詭弁家」であると言っているのではない。ソフィスト的知性の擁護者であったということだ。ソフィスト的知性とは何か。一般的にソフィスは、真実でないものをあたかも真実であるかのように詭弁を弄する者、あるい報酬を受け取って人欺く弁論の技術を教える職業教師、と蔑まれて呼ばれる。最初にそのレッテルを張ったのは「哲学者」プラトンである。以降、「哲学者」の系譜によって、ソフィストは前世紀まで社会の中心的思潮から排除されたまま詩人、文学者、芸術家の仮面の下で、隠れ切支丹のようにひっそりと生きのびてきた。それが前世紀後半、ソフィスト的知性のニューヒーローが突然北米に登場したのである。それがマクルーハン、後に『Wired誌』が守護聖人として選んだ知性であった。
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広告とレトリック

2014年10月15日 | 研究
重役クラスの人間は、その教育程度の如何にかかわらず、常人に較べて言語運用能力がすぐれているという興味深い事実が、職業補導関係の調査で明らかにされている。この事実は、雄弁術は実生活への訓練に役立つという、かのキケロの主張を、期せずして裏づけるものである。キケロ以前にも、古代ギリシャのソフィストたちが、雄弁術を通じて人間の知と力を育てる方法を講じていた。しかしソフィストの場合は言葉と知性を分裂させるようなことはしておらず、そこがこの広告と違う点である。人間はその言語能力によって獣と区別されると考え、言語と理性は一体であり、いずれか一方の発展は他方の発展を伴うものであるとされていた。雄弁を身につけるために百科事典的学習教程が必要とされたのもこのためであった。かくして雄弁は知であり力であると同時に、政治における思慮分別ともなったのである。

こうして見事に統一された網羅的教程が1850年頃までは古典主義的教育の基礎となっていたのである。ところがその教授たちが今の時代の専門家尊重の風潮に染まるにいたって、その方向が見失われ、影響も薄れるようになってきた。そして今では雄弁術の見本の宝庫といえは、教室でも古典作品でもなく、広告代理店なのである。古来考えられてきた雄弁、公共の責任と格別に結びつき、さらに一貫した方針のもとに、感情をも理性と美徳の高揚に参画せしめていたのに対して、現代版の雄弁は無暗矢鱈に言葉と感情を乱用して消費者に媚を売り、まさに扇動(デマ)に終始している。-『機械の花嫁』-

上記は、「平易な話し方の技術Art of Plain Talk」という本の広告のキャッチコピー「あいつがまた昇進した-自分になくて奴が持っているものはいったい何だ?」を題材にしたマクルーハンの批評である。古典的教育の柱であった雄弁術Rethoricへの支持、特に一般には「詭弁家」と見なされているソフィストの雄弁を好意的に評価する一方、現代の雄弁家である広告代理店が生産しつづける無責任な「雄弁」については批判的である。マクルーハンは、一般に思われているほど、マスメディア礼賛者ではない。批判の手法が社会学者や評論家と違うだけで、マスメディアが人間精神に及ぼす危険性を誰よりも熟知していた。『花嫁』(1951)は、雑誌や新聞に掲載された広告のレトリックが大衆を一種の催眠状態にしつつ、商品を大量に市場に送り出していくその構造を分析した最初の本であり、未だにその分析は色あせていない。

ちなみにRethoricは、日本では古代ギリシャのソクラテス、プラント、アリストテレスの時代のそれには「弁論術」、帝政ローマ以降、中世を経て近代にいたるまでのそれには「修辞学」の訳語を当てるという。前者は口承時代の、後者は筆記の影響が強まった後の文章技術としてのレトリックということだろう。弁論術と修辞学の原語が同じだと知って、マクルーハンと古代ギリシャがダイレクトにつながった気がした。


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古典学派(アンティクィ)と現代学派(モデルニ)

2014年10月10日 | 研究
三科triviumの前史は、後には「古現論争」の名で知られる敵対関係に貫かれている。文法学と修辞学は連携し、弁証家たちの軋轢多い主張を抑え三科の支配権を概ね維持していた。-中略-グーテンベルクの印刷技術によって、アルファべットのもつ視覚的な力が改めて新たな支配権を獲得した。そしてフランス人弁証学者ペトルス・ラムスが現代学派(弁証学)と古典学派(修辞学者と文法学者)の論争に改めて火を点じ、弁証学の「方法method」が伝統を廃れさせる。そのとき以来、文法学と修辞学は、われわれの時代のあらゆる芸術および科学同様、弁証学もしくは左脳の鋳型に改めて鋳直されてきたのである。局面が一転するには、二十世紀に入って聴覚空間への、つまり意識の右脳的な感覚的形態への回帰を俟たねばならない。『法則』

マクルーハンが拘るレトリックは単に表現の脚色ではない。意識の在り様、つまりは世界認識の仕方に関わる問題なのである。古くはソフィストとプラトン(哲学者)の論争に遡る。プラトンとアリストテレス以降、哲学者(弁証学者)が主導してきた西洋近代文明の行き詰まりを、マクルーハンは言語感覚の転換(弁証学から修辞学へ/左脳から右脳へ/概念から直観へ)によって乗り越えられると考えていた。そして電子メディアがその契機になると期待していた。その期待がマクルーハンのメディア論を「楽観的」にしている。他のメディア学者はモデルニの視点でメディア技術を見ているため悲観的にならざるを得ない。テレビをして「一億総白痴化」のメディアと呼んだ評論家もモデルニ(活字知識人)の系譜と言えよう。
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日本のレトリック

2014年10月09日 | 研究
西欧においてはレトリックは人を説得するための政治上の技術として発展してきた。日本にはレトリックの伝統はないと思われがちだが、日本のレトリックは恋愛の技術、異性をくどく技術として、和歌の中に息づいてきた。歌が巧みでなければ恋愛は成就しなかった。

花の色はうつりにけりないたづらに
わが身よにふるながめせしまに       小野小町

煮え切らない相手からの返歌の内容は上首尾であったことだろう。

国会論争を、和歌でやりとりできたらすばらしい。ロジックの応酬と違って論争の勝ち負けもはっきりするだろう。平安貴族はそのような表現で政(まつりごと)を司っていたのかも知れない。
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政治とレトリック

2014年10月08日 | 研究
マクルーハンは、政治的な発言をあまり行っていない。例えば、ノーム・チョムスキーのように辛辣の言葉では。政治的なことに関心がなかったわけではない。だが、マクルーハンは政治的な批判を直接的・ロジカルな表現で行うことの限界をよく知っていた。例えば、「〇〇は不当である」とか「〇〇を許すな」といったネガティブ表現の政権批判は言うまでもなく、非のうちどころのない正論であっても、それだけでは政治は動かない。政治的な論争をロジカルな表現で行うということは、結局、相手(官僚や政権など支配側)の土俵で闘うということである。ロジカル言語は近代社会のプラットフォームなのだから、権力サイドの方が上手に決まっている。ロジカルな批判に対しては、いくらでもロジカルに返せる。だいたいロジックでは人は動かないのである。政治状況を動かすにはアフォリズムやレトリックが欠かせない。古代ギリシャの民主政治はレトリック(弁論術)が支えていたのである。政治的な停滞とは、言語の停滞、レトリックの停滞である。レトリックは、洋の東西を問わず、かつては社会のいたるところに存在していたが、今では、文学と宗教の一部に押し込まれたままである。近代の学校教育とはプラトンに始まる詩的表現(=レトリック)の圧殺の最終形態である。西欧近代国家はロジックで構築されている。宗教国家はレトリックで構成されている。日本はその中間にある。近代国家の官僚機構は、レトリックが復権すること、即ち自らの存立基盤であるロジカル言語が揺るがされることを恐れている。ロジカル言語を揺るがす中心にいるのは真の宗教者と真の文学者である。言語の潜在力が電子メディアによって回復retrieveしたとき、政治は停滞を脱するであろう。傍目には混乱に見えようとも。
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マクルーハンのアフォリズム

2014年10月07日 | 研究
「メディアはメッセージ」ほど有名ではないが、私が好きなマクルーハンのアフォリズムをいくつか紹介。

・富は貧困をもたらす Affluence creates poverty.   
・言語が知性に対して行っていることは、車輪が足に対して行っていること同じである。 Language does for intelligence what the wheel does for the feet.
・電話やテレビで送られるのはメッセージというよりも送り手自身である。With telephone and TV it is not so much the message as the sender that is "sent."
・発明は必要の母である。Invention is the mother of neccessities.
・政治は今日の問題に対して昨日の回答を出す。Politics offers yesterday's answers to today's questions.
・大企業においては新しいアイディアが推奨されるのは、それらが頭をもたげるやいなや直ちにコテンパンにするためである。In big industry new ideas are invited to rear their heads so they can be clobbered at once.
・取るに足らない小さな秘密だけは保護が必要である。大発見は大衆の疑い深さによって知られることなく守られている。Only puny secrets need protection. Big discoveries are protected by public incredulity.
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