goo

言語相対論の現在

2013年10月17日 | 研究
「サピアはこれをアインシュタインの世界を揺るがす理論になぞらえて、「言語相対論」と名づけた。観測者の外界知覚は--と、サピア流相対論はいう---慣性基準系のみならず、観測者の母語にも依存する。以下に言語相対論がたどった歴史を紹介しよう---不面目に終わった理論の物語である。一度はもてはやされたが、サピアととくにその弟子のウォーフが認識のレベルまでに影響を及ぼすと主張したものが無理なこじつけで、実は文法組織の差異にすぎなかったとわかったとたんに地に堕ちた。いまでは言語相対論が話題になりかけるだけで、大方の言語学者は居心地悪そうになり、「ウォーフの仮説」は概して神秘主義的哲学者や幻想家、ポストモダンの知ったかぶりにとっての言語学的タックスヘイブンになっている」 --『言語が違えば世界も違って見えるわけ』(ガイ・ドイッチャー)--

言語学の主流からは、「サピア=ウォーフの仮説」はトンデモ理論の扱いを受けていることが分かる文章である。「仮説」を他のメディアまで拡張した「メディア論」がアカデミズム内で置かれている立場も似たようなものなのだろう。「メディア論」が現実世界にもたらした影響を考えれば、狭いアカデミズム内の理論闘争などどうでもいいことではあるが・・。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サピア

2013年10月15日 | 研究
サピアは、マクルーハンに先んずること35年、「メディアはメッセージである」ということを彼よりも強く、詳細に示した。さらにサピアの研究は、他の文化体系にも当てはまるものであった。文化を進化させる過程で、人類は最初に予想された以上のことをなしていたのである。 -中略- 数年間にわたってナホバ人と住み、彼らと交わった私の経験からいって、彼らが白人と全く異なった考え方をするだけではなく、その考え方の相違は、多くの場合、少なくともその発端は、彼らの言語からきている、と私は信じている。   『文化を超えて』(エドワード・T・ホール)
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする