「よく言われることだが、マーシャル・マクルーハンの最大の業績は、その評判である」という皮肉に満ちた一文から始まるマクルーハン批判の本『マクルーハン』(ジョナサン・ミラー)が出版されたのは1971年。邦訳も1973年に新潮社から出版された。
マクルーハンのメディア論については、その登場の時から賛否両論が巻き起こり、そのものズバリの『McLuhan:Pro and Con』(1968)というタイトルの本も出版された。そしてメディアへの露出過剰で飽きられ始めていた1970年代の初頭に、マクルーハンの評判の下降に追い討ちをかけるように出されたマクルーハン批判本が上記のジョナサン・ミラーの本である。
ミラーは、本の序文で「議論のために、私は意識的に敵意ある口調で述べてきた」と書いているとおり、マクルーハンの著作を意図的に誤読して批判のための批判をしていると思われる箇所も少なくない。例えば、マクルーハンが自分の経歴やカトリック信者であることをあまり語らなかったことに対しては、
「・・マクルーハンはカトリックなのである。彼はこの事実に特に触れていないが、彼の有名な意見全てはその事実のために隠れた歪みを生じ、こうして<価値>の束縛から解放されているという彼の主張はナンセンスになるのだ。後で明らかにするつもりだが、マクルーハンの大量の著作はカトリックの敬虔に裏打ちされていて、対象から身を離すように努めるのは、一部は敵を欺く策略上の態度である」
といった具合に、手厳しいというよりも悪意さえ感じる批判を行っている。
一方で、「同じパラドックスは、マクルーハンのカナダ国籍に対しても成り立つ。マクルーハンが育ったカナダという地方には、強い<視点>が関係している。即ち土地再分配論で、それは彼のカトリシズムと並んで、彼を有名にした本の根底をなす動機となっている。しかしながら、それと同時に、カナダ体験の中には、自分の育った文化と社会との相克が存在する。したがってそうしたものの研究に興味を持つ人は、<単一の視点>の危険と相殺するために必要な、あらゆる<心的斜視>を身につけることができよう」と分析するなど、強引ではあるが「大国アメリカの隣国というカナダという国の地政学的な事情がマクルーハンのメディア論の背景にある」という分析を行ったり、ケンブリッジ時代の師であるF・R・リーヴィスの農業主義の影響、ケンブリッジからカナダに戻らず、米国セントルイスで7年過ごしたことから来る南部口承文化への傾倒など、マクルーハンの思想形成の背景に関して、後のマクルーハン研究者の参考となる重要な視点も提供している。
ミラーの『マクルーハン』は、全体としてはマクルーハンに対する敵意に満ちた本であるが、実はミラーとマクルーハンは一時期親しい関係にあった。マクルーハンからミラーに送った1970年4月22日付けの手紙は、「あなた(ミラー)もご存知のとおり、私を中傷する者たちは、日夜、私の評判を高めるために働いてくれている。そんな貴重なサービスは、お金で買うことなどできないというものである」と、自分を批判する者への余裕の一文で終わっている。ミラーとマクルーハンの間に何があったのか知る由もないが、この手紙を送った1年後に当のミラーから、かつてないほどの敵意に満ちた批判を受けることになったのは皮肉である。だが、マクルーハンのことだから、ミラーの批判さえも「自分の評判を高めてくれるもの」として受け止めたのではなかろうか。事実、ミラーの『マクルーハン』は、今となってはマクルーハン研究者が読むべき重要な本の一つとなっている。マクルーハンが闘っていた印刷文化人の、自らは気づいていない偏向具合がよく分かる本である。
マクルーハンのメディア論については、その登場の時から賛否両論が巻き起こり、そのものズバリの『McLuhan:Pro and Con』(1968)というタイトルの本も出版された。そしてメディアへの露出過剰で飽きられ始めていた1970年代の初頭に、マクルーハンの評判の下降に追い討ちをかけるように出されたマクルーハン批判本が上記のジョナサン・ミラーの本である。
ミラーは、本の序文で「議論のために、私は意識的に敵意ある口調で述べてきた」と書いているとおり、マクルーハンの著作を意図的に誤読して批判のための批判をしていると思われる箇所も少なくない。例えば、マクルーハンが自分の経歴やカトリック信者であることをあまり語らなかったことに対しては、
「・・マクルーハンはカトリックなのである。彼はこの事実に特に触れていないが、彼の有名な意見全てはその事実のために隠れた歪みを生じ、こうして<価値>の束縛から解放されているという彼の主張はナンセンスになるのだ。後で明らかにするつもりだが、マクルーハンの大量の著作はカトリックの敬虔に裏打ちされていて、対象から身を離すように努めるのは、一部は敵を欺く策略上の態度である」
といった具合に、手厳しいというよりも悪意さえ感じる批判を行っている。
一方で、「同じパラドックスは、マクルーハンのカナダ国籍に対しても成り立つ。マクルーハンが育ったカナダという地方には、強い<視点>が関係している。即ち土地再分配論で、それは彼のカトリシズムと並んで、彼を有名にした本の根底をなす動機となっている。しかしながら、それと同時に、カナダ体験の中には、自分の育った文化と社会との相克が存在する。したがってそうしたものの研究に興味を持つ人は、<単一の視点>の危険と相殺するために必要な、あらゆる<心的斜視>を身につけることができよう」と分析するなど、強引ではあるが「大国アメリカの隣国というカナダという国の地政学的な事情がマクルーハンのメディア論の背景にある」という分析を行ったり、ケンブリッジ時代の師であるF・R・リーヴィスの農業主義の影響、ケンブリッジからカナダに戻らず、米国セントルイスで7年過ごしたことから来る南部口承文化への傾倒など、マクルーハンの思想形成の背景に関して、後のマクルーハン研究者の参考となる重要な視点も提供している。
ミラーの『マクルーハン』は、全体としてはマクルーハンに対する敵意に満ちた本であるが、実はミラーとマクルーハンは一時期親しい関係にあった。マクルーハンからミラーに送った1970年4月22日付けの手紙は、「あなた(ミラー)もご存知のとおり、私を中傷する者たちは、日夜、私の評判を高めるために働いてくれている。そんな貴重なサービスは、お金で買うことなどできないというものである」と、自分を批判する者への余裕の一文で終わっている。ミラーとマクルーハンの間に何があったのか知る由もないが、この手紙を送った1年後に当のミラーから、かつてないほどの敵意に満ちた批判を受けることになったのは皮肉である。だが、マクルーハンのことだから、ミラーの批判さえも「自分の評判を高めてくれるもの」として受け止めたのではなかろうか。事実、ミラーの『マクルーハン』は、今となってはマクルーハン研究者が読むべき重要な本の一つとなっている。マクルーハンが闘っていた印刷文化人の、自らは気づいていない偏向具合がよく分かる本である。