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マクルーハンの理解者としてのドラッカー

2012年10月01日 | 研究
「近代技術は15世紀半ばに活版印刷とともに生まれた。人類は仕事に道具を使って以来技術を手にしていたが、人類の歴史において技術が主役の座を得たのは、活版印刷の発明によってだった。そのとき、ヨーロッパが抜きん出た存在となり西洋と呼ばれるものになった。わずか200年のうちに、西洋による世界制覇を可能にしたものが近代技術だった。活版印刷の発明は、書物の大量生産をもたらし、社会を一新し、文明を生んだ。印刷本の出現こそ真の情報革命だった。近代を生んだものは蒸気機関ではなくこの印刷本だった。人類の歴史において一度も想像されたことのないもの、すなわち経済発展なるものを生んだのも、この印刷本だった。」

マクルーハンの言葉ではない。『テクノロジストの条件』(P.F.ドラッカー/2005)の書き出しの言葉である。ドラッカーは、1940年頃、ある学会で、マクルーハンが「活版印刷が知識を規定した」と述べたのを聞いたとき、他の聴衆同様、マクルーハンの言っていることを理解できなかった。グーテンベルクの発明のはるか昔から中国で活版印刷は使われていたが、中国ではマクルーハンの言ったことは何も起こっていなかった。しかし、ドラッカーは、マクルーハンの言うことには「何かある」と思った。その頃、ドラッカーもまた、テクノロジーと社会、テクノロジーと文化の関係に関心を持ち始めていた。マクルーハンに興味を持ったドラッカーは、折があればニューヨークの自分の自宅に立ち寄るように招待した。以来、マクルーハンはドラッカーの自宅を頻繁に訪れるようになった。そしてある夏の嵐の夜に事前に電話もなく、びしょ濡れでにこにことドラッカー宅を訪ねてきたマクルーハンは、驚くドラッカー夫妻を気にもせず、朝食の時間まで自分の考えていること話し続けた。ドラッカーはこのときのことをこう述べている。

「彼がわが家に立ち寄って彼に見えるものについて話をしたのは、この夜が最後となった。あの1960年代初めの6月の夜、ついに彼は啓示を受けたのだった。あの夜、彼は自分が話し続けてきたものの全貌を目にしたのだった。それを告げたくてわが家に駆けつけたのだった。その夜彼が語ったことは、彼の最も重要にして明晰かつユニークな著作、『グーテンベルクの銀河系』として世に出た。-中略-あの夜、マクルーハンは、約束の地を見つけたのだった。その後はもう聞き手を必要とはしなかった。私たちが頻繁に会っていた20年以上に及ぶ間、彼もまた、(バックミンスター・)フラーと同様見る人、知覚の人ではあったが、見るべきものは見えていなかった。何を見なければならないかはわかっていた。しかし、それを見ることはできなかった。その間彼は、目覚めなければならないことを知りながら、夢から覚めることのできない思いにあったに違いない。」(『傍観者の時代』1979年)

ドラッカーは、マクルーハンが『グーテンベルクの銀河系』と『メディアの理解』で有名になる前、理解者のいなかったマクルーハンの最大の理解者であるとともに、「メディア論」誕生の触媒役だった。そして、マクルーハンの「人間の延長としての技術」というアイディアを全面的に受け入れたドラッカー自身も、技術をそれ単独に論ずるのではなく、技術によって変容する人間意識と社会の変化全体に目を向けた。マクルーハンもドラッカーも、目に見えない技術社会の「構造全体」を見ようとしていたのである。
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