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未来の仕事

2012年10月17日 | 研究
ドラッカーは、半世紀前、未来は知識労働者knowledge workerの時代であると言った。ドラッカーの言葉は、古い概念で新しい事態を説明するので分かりやすい。

マクルーハンは、半世紀前、未来の仕事は「jobからrole(役割)」になる、と言った。相変わらずマクルーハンは分かりにくい。マクルーハンの言うjobとは、近代工業社会において、専門化され、工程の一部だけを担わされた仕事のことである。かつての労働、すなわち農民、大工、鍛冶職人等の職業はjobではなくroleであった。主婦の家事労働もjobではなく全人格が関与するroleである。近代工業社会においては、多くの労働者が断片化されたjobを担わされてきたが、電子メディア環境はjobを終わらせroleを回復させる。光の速度では、仕事は断片化は許されず包括的になる。労働は役割となり人生となる、というのがヒューマニスト、マクルーハンの主張であり、期待であった。

知識労働者knowledge workerとrole player。前者の方が分かった気にさせてくれるが、後者の方がより深いとろこで現代のインターネット社会の労働の本質を言い表しているのではないか、と思う。マクルーハンは、ドラッカーの知識労働という新種の仕事の分析をさらに一歩進めて、知識労働が生み出す環境全体の変化を問題にしているのである。マクルーハンが思い描いたユートピア的な状況からはほど遠いが、今日、多くのネットベンチャーでは、仕事場と自宅の区別は消えつつある。仕事と娯楽の区別もぼやけてきた。在宅勤務は仕事なのか人生なのか。芸術家に"勤務時間"が無いようにネットビジネスマンにも"勤務時間"はない。"勤務時間"は19世紀的な概念である、とマクルーハンなら言っただろう。role playerの職場では、どんなに仕事がハードになってもパソコンのラッダイト運動は起きないのである。労働組合はjob workerではなくrole playerを組織化するための理論を必要としている。
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