只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

準備とか予定は、していた方がいいですね。

2018-05-16 07:36:03 | 日記
私(思考)に「思うな・考えるな」と言うけど、そんなこと
など出来るわけがないと反発します。(笑

勿論、必要なことは思考を使いますが、頭の中で自分勝手に
騒ぎまくるものに留めを刺すことを、
「思うな・考えるな」と言っているのですね。

とにかく、頭の中が“空っぽ”になって“行”けば
お気楽になっていくのです。

お気楽になっていけば、そこが“心の平安”ということ
です


ですから、心を乱すものは「思考自我」ということです。
強大なエネルギーの「思考自我」は、おいそれと弱まっては
いきませんので、“只なる実践”の持続で支配されている
ところから脱出するのです。

例えば、逃げることも出来ない牢屋に、長年にわたり
閉じ込められているのが、「こころ」ということです。

つまりこの「こころ」は、私(自我)から操られて苦悩に
持っていかれるのです。

「そんな嘘つくな!」と、すぐに吠え出すのが私(自我)で
あって、「こころ」は迷いから抜け出すことがなかなか
出来ないのです。

でも姿かたちの“何も無い“のが幻想であって、
そもそもそれから操られることがおかしいのですね。

そこに気付き、逃げることも出来ない牢屋は、
そんなものは“何も無い”想念であるとわかるのです。

ですから「こころ」は本来の“無の境地”に還ることができるのです。

そこは、頭脳の働きが “無い”ところですね。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿