只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今日はお客さんまわりで、途中は唄三昧です。笑

2016-09-30 09:56:36 | 日記
野菜の苗もすくすくと育っています。
私は、野菜の赤ちゃんと呼んでいます。笑





昨日、すべてのことを“本来”から観ると
わかってきます、と書きましたので
これを深く検証してみたいと思います。

これも『例え』ですから、ご承知のとおり
“実践”で明らかにしてくださいね。

わかる、わからないとか出てくるのは思考です。
わかる、わからないが無いのが“真実で、本来”で、
そこには言葉も観念もイメージも思考もありません。
つまり“自然の流れ”ということです。

“真実、本来”から只、観ると、間違いも正解も無く
それは“真実、本来”ですね。
ですからその通りということになります。

思考を使うと幻想ですので、どこまでいっても幻想で
真実には出会うということはありません。

ご承知のとおり苦悩は真実にはまったくありません。
思考は苦悩を創作する名人ですから、
それが癖となっているのです。

ましてや思考を使わなくても自動的に浮遊するまで
拡大したのですね。
この思考癖がある以上どうすこともできません。
ですから、この世は幻想世界と言われる所以まで
来ているのです。

ここからの脱出が“只なる実践”ということです。



只の道…淡々と歩く

心の研究もされている禅師、井上御老師のホームページから
一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、常に“実践”で明らかにしていってくださいね。

・・ここは素直に信じて、無我夢中で行ずるしかないのです。…前回まで

  『没頭する事。陶酔する事。徹する事。成り切る事。
    三昧とも言いますが、全て 無我のことです。
   このように努力して迷いの自己から脱却することが出来、
  本当に安心するのです。この境地を天上天下唯我独尊と言うのです。
   唯一にして宇宙大であり、余念も邪念も煩悩も無い絶対世界です
。』

いかがでしょう。
実践で腑に落とされたでしょうか?
「思考癖」を取り去るには、没頭する事。
陶酔する事。徹する事。成り切る事の
“無心”になることが必要です。

実践で“無心”に成り切った境地が
余念も邪念も煩悩も無い絶対世界ということです。

なんとも言えない“大安楽の境地”ですね。







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