道元禅師のお言葉をお聞きください。
『汝の中に仏はいるのだ! あなたは救われたいと願っていながら、
何ひとつ捨てる勇気がないのだ!』
ここで言われる仏とは“真の自分”を指しているのですね。
それであるにも拘らず、私(自我)は救われたいと願っているのです。
この「救われたい!」という「思考自我」が、本来である
“真の自分”を覆い隠しているということです。
ですから、この私という「思考自我」を捨て去らないかぎり、
永遠に真実に“目覚める”ことは出来ないと仰っています。
ご承知のとおり、私(自我)は姿かたちの無い、過去という
幻想だからです。
この「思考自我」が人生を支配しているから、問題が
起こってくるようになってくるのです。
ですから私(思考)をしっかり見つめ直し、私(自我)は
幻想であると体得することが重要です。
この「思考自我」という幻想が、善いとか悪いとかは
まったく無く、その次元を超えたものであるのです。
つまり私(思考)には、さっぱりわからないように
なっているので、私(思考)を超越した無思考の世界と
いうことです。
しかしそれがどこに在るかということですが、“今ここ”に
歴然としてあるのです。
その、いつもある“今、只”が真実ということです。
この穏やかな安らぎのある“絶対安心”の境地に、
“目覚める”よう今、今、今と“只なる実践”の持続です。
『汝の中に仏はいるのだ! あなたは救われたいと願っていながら、
何ひとつ捨てる勇気がないのだ!』
ここで言われる仏とは“真の自分”を指しているのですね。
それであるにも拘らず、私(自我)は救われたいと願っているのです。
この「救われたい!」という「思考自我」が、本来である
“真の自分”を覆い隠しているということです。
ですから、この私という「思考自我」を捨て去らないかぎり、
永遠に真実に“目覚める”ことは出来ないと仰っています。
ご承知のとおり、私(自我)は姿かたちの無い、過去という
幻想だからです。
この「思考自我」が人生を支配しているから、問題が
起こってくるようになってくるのです。
ですから私(思考)をしっかり見つめ直し、私(自我)は
幻想であると体得することが重要です。
この「思考自我」という幻想が、善いとか悪いとかは
まったく無く、その次元を超えたものであるのです。
つまり私(思考)には、さっぱりわからないように
なっているので、私(思考)を超越した無思考の世界と
いうことです。
しかしそれがどこに在るかということですが、“今ここ”に
歴然としてあるのです。
その、いつもある“今、只”が真実ということです。
この穏やかな安らぎのある“絶対安心”の境地に、
“目覚める”よう今、今、今と“只なる実践”の持続です。
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