頭の中で騒いでいるのは私(思考)です。
“真の自分”ではなく、私(思考)です。
このように素直に認めるならお気楽ですね。
私(思考)は何にもできないのです。
ですから、何でもできるようになりたいのです。
私(思考)は人に愛されたいのです。
ですから、そぐわない人を軽蔑するのです。
私(思考)は人より上にいたいのです。
ですから他人を見下します。
私(思考)は容姿を気にしています。
ですから化粧品をたくさん使います。(笑)
私(思考)はお金のことをいつも心配しています。
ですから執着心が強いのです。
これらのことが『一切無い!』のが
“真の自分”です。
『一切無い!』のなら生きていけないよう~と
私(思考)は言いますが、そもそも現象界には
私(思考)は『無い』のですから
そんなことご無用ですね。(笑)
繰り返し言いますが、
『一切無い!』のなら生きていけないよう~と
言っているのは頭の中で、
現象界には何にもありませんね。(笑)
只の道…淡々と歩く
お釈迦様の教えである『般若心経』の一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、実践で明らかにしていってくださいね。
『以無所得故』
それは、四諦、智慧も、悟りを得るということも
無であるのです。得ることが無いゆえに、
所有することも無いのです。 (HP参照です)
いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
すべては思考の創作ですね。
ですからすべては“無い”ということになります。
“無い”ということを自覚し
生きてゆく事が大安楽の道です。
思考の「在る」という迷いから
遠く離れないと不安、心配、苦悩、恐れになります。
このせっかくの人生は
お遊びの感覚でお楽しみくださいね。
繰り返しですが不安、心配、苦悩、恐れが
出るのは仕方ありません。
それは厳密に言えば不安、心配、苦悩、恐れでなく
浮かんでくる『念』です。
『念』に取り付けば不安、心配、苦悩、恐れになってきます。
浮かんでくる『念』を相手にしなければ
いずとも無く消えていきます。
思考癖を淡々と落としていくのが
この“只の道”です。
“真の自分”ではなく、私(思考)です。
このように素直に認めるならお気楽ですね。
私(思考)は何にもできないのです。
ですから、何でもできるようになりたいのです。
私(思考)は人に愛されたいのです。
ですから、そぐわない人を軽蔑するのです。
私(思考)は人より上にいたいのです。
ですから他人を見下します。
私(思考)は容姿を気にしています。
ですから化粧品をたくさん使います。(笑)
私(思考)はお金のことをいつも心配しています。
ですから執着心が強いのです。
これらのことが『一切無い!』のが
“真の自分”です。
『一切無い!』のなら生きていけないよう~と
私(思考)は言いますが、そもそも現象界には
私(思考)は『無い』のですから
そんなことご無用ですね。(笑)
繰り返し言いますが、
『一切無い!』のなら生きていけないよう~と
言っているのは頭の中で、
現象界には何にもありませんね。(笑)
只の道…淡々と歩く
お釈迦様の教えである『般若心経』の一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、実践で明らかにしていってくださいね。
『以無所得故』
それは、四諦、智慧も、悟りを得るということも
無であるのです。得ることが無いゆえに、
所有することも無いのです。 (HP参照です)
いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
すべては思考の創作ですね。
ですからすべては“無い”ということになります。
“無い”ということを自覚し
生きてゆく事が大安楽の道です。
思考の「在る」という迷いから
遠く離れないと不安、心配、苦悩、恐れになります。
このせっかくの人生は
お遊びの感覚でお楽しみくださいね。
繰り返しですが不安、心配、苦悩、恐れが
出るのは仕方ありません。
それは厳密に言えば不安、心配、苦悩、恐れでなく
浮かんでくる『念』です。
『念』に取り付けば不安、心配、苦悩、恐れになってきます。
浮かんでくる『念』を相手にしなければ
いずとも無く消えていきます。
思考癖を淡々と落としていくのが
この“只の道”です。
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