只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

野菜作りもだんだんと要領がよくなってきます

2015-10-29 10:03:05 | 日記
私(思考)は、「このようになりたい」と
未来の夢(幻想)を描いているのです。
でも今しかないから、未来が幻想になり
解決が付かないのです。

本来は未来、過去、現在はどこを探してもありません。
このように『自覚』すれば一発で解決ですね。

つまり不安、心配があるのは、幻想の中に入っていると
いうことです。
思考と一体化するから不安、心配になるのです。
それは思考が不安、心配だからです。

わかりますか?
考えていることが不安な事であれば、それは考えが
不安に移っているということですね。
このことが思考と一体化しているということです。

ですから念がでたら、そのままで念を相手にしない
ということです。
常に幻想(自我)と離れていることです。

漠然と思考しているのを「幻想・自我」と
『自覚』出来ればいいのです。

その出来事はその出来事です。
その出来事はそのとき始まって終わっています。

厳密に言うとそれがそれで、出来事も無く、
始まりもなく終りもなく只、今この瞬間です。
あらゆることのすべては只、今この瞬間、
無思考で完結しています。

言葉で表わすと“真実は無思考”と言えます。

過去のことは思考の創作です。
過去の事は自分の事ではありません。
過去の事は自分の事だ、としているのは思考です。

ですから過去は何ら関係ないのです。
しかし何十年も自分と一体化してきた思考を
引き離すには並大抵の事ではありません。

少しずつ引き離すのがこの“只の道”です。




只の道…淡々と歩く

お釈迦様の教えである『般若心経』の一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、実践で明らかにしていってくださいね。

   『是故空中無色 無受想行識』
  これゆえに空の中には 、肉体も、
  感じたりする精神も、無いのです (HP参照です)

いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
「空」は「空」です。

「肉体」は「肉体」です、これは事実です。
「感覚、精神」は「感覚、精神」です、これは事実です。

では『真実』を言葉で例えると、
「空であり、無であり、神仏であり、
宇宙であり、自然である」のです。
例えですから何と例えてもいいのです。

「空」は「空」です、これは真実なのです。
チンプンカンプンでそれがわからないから
実践で『体得』するしかないのです。

繰り返し述べていますが
思考では永遠にわかりません。
それは思考の無いところに現れるからです。

それを、例えて言いますが
大いなる自分』ということです。
遠くに存在しているのでなく、

今、ここに只、存在しているのですね。

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