只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

レタスも元気よく育っています

2016-05-26 08:33:39 | 日記
これから害虫さんとの戦いです。笑
農薬は一切使いませんので工夫が必要です。
山の畑もかなり植えてあります。




私(思考)の真相…第10回目です。

私(思考)が真実と思い込んでいる観念は、
すべて「幻想」ですね。

例えば事実には「善い事」や「悪い事」はどこにもありません。
良かれと思ってやったことが逆に悪かったことがあります。
「悪いことをしたな~」と思っても『そんなことはないよ!これでいいんだよ』と
いうようなこともあります。

ですから「善い事」は私(思考)が創作した思いで幻想です。
もちろん「悪い事」も私(思考)の都合で幻想です。

やってはいけないことは「善い事」や「悪い事」ではなく
“絶対善!”なのです。
他人をいじめたり、自分を苦しめたりしてはいけないことです。
それは「善い事」や「悪い事」を超えた“絶対善!”なのです。

国会でも議員さんたちがいろいろ議論しています。
大別すれば与党と野党に分かれて与党の政策を
議論しているということです。
その政策の議論はほとんど噛み合わず、
どこまでいっても平行線のままですね。

なぜか?というと与党の「善」と野党の「善」の議論だからです。
ですから与党の「善」は野党の悪になるのです。
同じく野党の「善」は与党の悪になるのです。
これは議論ゆえに多数決があるからその決まりに従うしかありません。

恐ろしいのは戦争です。
国と国の戦いで、その国の「善」と相手国の「善」の戦いです。

しかしこの事においてお互いに
自国は「善」にして相手国は「悪」なのです。
ですから事実は善も悪もないのですから、
その『善悪』を超えることが必要となります。
このことを理解しないと戦争になりますね。

私(思考)的には「正しい事をしているのです」と
言われますが、「間違いはしていない」ということです。

ですから「正しい事は間違いです」と同じことです。
「しているはしていない」と同じことです。

同じことであればそれらは“無い”ということですね。
ですから正しいや間違いは“無い”のですから、
永遠に決着つかないということになります。

しているもしていないも事実には“無い”のですから、
“それはそれ、これはこれ”で決着です。

繰り返し述べますが真実は“言葉は無い”のです。
例えば“それはそれ、これはこれ”には頭にも“言葉は無い”のです。


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