只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

山地の開墾は地道に一堀りです

2015-10-24 09:24:43 | 日記
今も思考していませんか?
思いに取り付いていませんか?
必要な事だけ取り出してくださいね。

自然に湧いてくる思いはまったく必要ありませんから、
相手にしないでください。

ですからこのプログも読んだらスルーしてくださいね。
忘れるのです。
必要な事はちゃんと残るようになっています。

でも私(思考)が支配していると、
その必要な事を打ち消したり改ざんしたりしますのでご注意を!(笑)

ですから私(自我)の勢力を淡々と弱めていけばお気楽となり、
その時その場に必要な事が現れてきます。

究極は「思考・幻想」の起こらない
無の状態”を体得されることです。


只の道…淡々と歩く

お釈迦様の教えである『般若心経』の一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
あくまで私(思考)から観たものです。
このことは信じないで、実践で明らかにしていってくださいね。

『度一切苦厄』

苦しみや災難 すべてが「空」であることがわかり
一切の苦しみを克服する事が
できたのです。       (HP参照です)

いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
現象界のことはすべて思考が創作しているのです。
無い”事を、さも「在る」ように創作しているのです。

すごいですね!…知能は。
幻想を事実に、瞬間に置き換えるのです。
それは手品師より数百倍速いのです。(笑)

ですからこのカラクリは
ほとんどの方がわからないのです。
このカラクリを最初に見破った方が
お釈迦様だったのです。

無い”ものは “無い”ですね。
これは目で見て“無い”と判断できるのです。

例えば、「お金が無い」と判断すれば
「お金が無い」のです。以上です!
と、いかないのが思考です。(笑)

この思考が目にも止まらぬ速さで
「どうにかしなければ!」と幻想世界に入るのです。
また瞬間に「お金が欲しい!」と欲望の世界に入るのです。

このように入っていくのは何ら悪い事ではありませんが、
事実は「お金が無い」で終われば何も問題ありません。


ある話があります。
お釈迦様…ご飯にしよう
弟子…お米がありません
お釈迦様…それではお粥にしょう
弟子…お粥にするだけのお米がありません
お釈迦様…それではお湯を戴こう
弟子…・・・

こんな話もあります。
お供を連れてお釈迦様が巡回されているとき、
道で出会った人と話されていましたが、その人が怒り出し
お釈迦様に鍔を吐いてその場を離れていきました。

それを見ていたお供は驚き、「なんと無礼な奴だ!
その時、お釈迦様はなぜ怒りにならないのですか」と聞きました。

お釈迦様は頬に付いた鍔を拭きながら静かに話されました。
「よくお聞き、もうあの時というものは無いんだよ」
『今この瞬間』が真実で、過ぎ去ったものは記憶で幻想ということですね。

また、禅の教えで「薪が燃えて灰になる」があります。
薪が燃えて灰になる…はたしてそうでしょうか?
この続きは次回で・・・