只の道…淡々と歩く

無いものを在るとする…ゆくゆくは苦悩となる
無いものは無いのです。

今朝は雑草取りでした

2015-10-12 07:50:15 | 日記
ある方からメールがありました。
>最近 煩悩が邪魔をしてきます、どうしましょう…

そのことの返信です。
煩悩を弱めていくことが只の道です。
人生がスムーズにいかないのは
煩悩が支配しているからです。
この 煩悩を自分と思っているからです。
自分と一体になっているのです。
ですから、この 煩悩を自分と切り離さなければなりません。

煩悩を煩悩として観る、これは煩悩だと自覚することです。
「真の自分」ではないと自覚することです。
長年、 煩悩一体のまま生きてきましたから
これから離れるには並大抵のことではありません。
しかし「真の自分」ではないからできないことはありません。

煩悩が次第に弱まってくると、「真の自分」が次第に現れてきます。
真剣に、考えず思わず淡々と歩くことです。
思考と二人連れは1万年たっても
煩悩が邪魔をしてきます 。
と、返信を差し上げました。
【実践教材は有料ですが書いていますのでご活用ください】


私(思考)は、「お金が欲しい」とよく言います。
でも「お金が欲しい」は、どこまでいっても「お金がほしい」の繰り返しです。
解決策がないのですからどうすることもできません。
「お金が100万円欲しい」を千回唱えても
お金は舞い落ちてきません。(笑)

ですから何事も諦める!ことが肝心ですね。
完全に忘れた頃、何かの縁で入ってくる可能性があります。
この世は縁と無常ですからね。
お任せ、お任せです。(笑)

もう少し詳しく言うと、事実から物事を観なさいということです。
「お金が欲しい」と思うのはお金が無いからです。
『お金が無い』のは『お金が無い』のです。
これが事実です。
「お金が欲しい」と思うのは幻想です。
幻想としっかり自覚すれば、もう言いませんね。

しかし諦めきれないから、犯罪に走ったりする方がいます。
また「何とか成る」と執着する方がいますが、事実は何ともなりません。
諦めきれないのは、この幻想を事実とするからです。

思考,願望している以上は、
どこまでいっても逆のことになるから混迷し苦悩するのです。
思考,願望しなければ苦悩は訪れません。

繰り返し言いますがそのままに居ることです。
そして、身も蓋もないことを言うようですが
『諦めることが肝心』ですね。


只の道…淡々と歩く
【あらゆる宗教、政治団体とはまったく関係ありません】

僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。

『このように悟るなら 不完全を思い煩うこともない
この真理を信頼し生きることが不二の道である
不二と信頼は一体なのだから』

不完全は心の作用で、幻想であるのですから
思い煩うことはありません。
このように観ることです。
空のまま、あるがままが真の道です。
空のまま、あるがままが私(思考)の無いところです。


いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
この世の中はすべて私(自我)が創りだしたものです。
つまり幻想世界ということです。

幻想なる思考が無いところが真実世界ですね。
誰だってぐっすり眠っていたら真実世界です。
目を閉じてから目を開ける寸前まで何もわかりません。
しかし即、記憶が立ち上がります。
夜の何時に寝て、朝の6時に起きたとなるわけです。
前回もお話した記憶障害は過去がわかりません。

自分としても過去がほとんどわからなくて結構です。
10分の1ぐらいややわかればいいです。(笑)
このブログは、過去に囚われない道を淡々と歩くことを
書いているわけですから、その方がスムーズにいきますね。