ある方からメールがありました。
>最近 煩悩が邪魔をしてきます、どうしましょう…
そのことの返信です。
煩悩を弱めていくことが只の道です。
人生がスムーズにいかないのは
煩悩が支配しているからです。
この 煩悩を自分と思っているからです。
自分と一体になっているのです。
ですから、この 煩悩を自分と切り離さなければなりません。
煩悩を煩悩として観る、これは煩悩だと自覚することです。
「真の自分」ではないと自覚することです。
長年、 煩悩一体のまま生きてきましたから
これから離れるには並大抵のことではありません。
しかし「真の自分」ではないからできないことはありません。
煩悩が次第に弱まってくると、「真の自分」が次第に現れてきます。
真剣に、考えず思わず淡々と歩くことです。
思考と二人連れは1万年たっても
煩悩が邪魔をしてきます 。
と、返信を差し上げました。
【実践教材は有料ですが書いていますのでご活用ください】
私(思考)は、「お金が欲しい」とよく言います。
でも「お金が欲しい」は、どこまでいっても「お金がほしい」の繰り返しです。
解決策がないのですからどうすることもできません。
「お金が100万円欲しい」を千回唱えても
お金は舞い落ちてきません。(笑)
ですから何事も諦める!ことが肝心ですね。
完全に忘れた頃、何かの縁で入ってくる可能性があります。
この世は縁と無常ですからね。
お任せ、お任せです。(笑)
もう少し詳しく言うと、事実から物事を観なさいということです。
「お金が欲しい」と思うのはお金が無いからです。
『お金が無い』のは『お金が無い』のです。
これが事実です。
「お金が欲しい」と思うのは幻想です。
幻想としっかり自覚すれば、もう言いませんね。
しかし諦めきれないから、犯罪に走ったりする方がいます。
また「何とか成る」と執着する方がいますが、事実は何ともなりません。
諦めきれないのは、この幻想を事実とするからです。
思考,願望している以上は、
どこまでいっても逆のことになるから混迷し苦悩するのです。
思考,願望しなければ苦悩は訪れません。
繰り返し言いますがそのままに居ることです。
そして、身も蓋もないことを言うようですが
『諦めることが肝心』ですね。
只の道…淡々と歩く
【あらゆる宗教、政治団体とはまったく関係ありません】
僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
『このように悟るなら 不完全を思い煩うこともない
この真理を信頼し生きることが不二の道である
不二と信頼は一体なのだから』
@不完全は心の作用で、幻想であるのですから
思い煩うことはありません。
このように観ることです。
空のまま、あるがままが真の道です。
空のまま、あるがままが私(思考)の無いところです。
いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
この世の中はすべて私(自我)が創りだしたものです。
つまり幻想世界ということです。
幻想なる思考が無いところが真実世界ですね。
誰だってぐっすり眠っていたら真実世界です。
目を閉じてから目を開ける寸前まで何もわかりません。
しかし即、記憶が立ち上がります。
夜の何時に寝て、朝の6時に起きたとなるわけです。
前回もお話した記憶障害は過去がわかりません。
自分としても過去がほとんどわからなくて結構です。
10分の1ぐらいややわかればいいです。(笑)
このブログは、過去に囚われない道を淡々と歩くことを
書いているわけですから、その方がスムーズにいきますね。
>最近 煩悩が邪魔をしてきます、どうしましょう…
そのことの返信です。
煩悩を弱めていくことが只の道です。
人生がスムーズにいかないのは
煩悩が支配しているからです。
この 煩悩を自分と思っているからです。
自分と一体になっているのです。
ですから、この 煩悩を自分と切り離さなければなりません。
煩悩を煩悩として観る、これは煩悩だと自覚することです。
「真の自分」ではないと自覚することです。
長年、 煩悩一体のまま生きてきましたから
これから離れるには並大抵のことではありません。
しかし「真の自分」ではないからできないことはありません。
煩悩が次第に弱まってくると、「真の自分」が次第に現れてきます。
真剣に、考えず思わず淡々と歩くことです。
思考と二人連れは1万年たっても
煩悩が邪魔をしてきます 。
と、返信を差し上げました。
【実践教材は有料ですが書いていますのでご活用ください】
私(思考)は、「お金が欲しい」とよく言います。
でも「お金が欲しい」は、どこまでいっても「お金がほしい」の繰り返しです。
解決策がないのですからどうすることもできません。
「お金が100万円欲しい」を千回唱えても
お金は舞い落ちてきません。(笑)
ですから何事も諦める!ことが肝心ですね。
完全に忘れた頃、何かの縁で入ってくる可能性があります。
この世は縁と無常ですからね。
お任せ、お任せです。(笑)
もう少し詳しく言うと、事実から物事を観なさいということです。
「お金が欲しい」と思うのはお金が無いからです。
『お金が無い』のは『お金が無い』のです。
これが事実です。
「お金が欲しい」と思うのは幻想です。
幻想としっかり自覚すれば、もう言いませんね。
しかし諦めきれないから、犯罪に走ったりする方がいます。
また「何とか成る」と執着する方がいますが、事実は何ともなりません。
諦めきれないのは、この幻想を事実とするからです。
思考,願望している以上は、
どこまでいっても逆のことになるから混迷し苦悩するのです。
思考,願望しなければ苦悩は訪れません。
繰り返し言いますがそのままに居ることです。
そして、身も蓋もないことを言うようですが
『諦めることが肝心』ですね。
只の道…淡々と歩く
【あらゆる宗教、政治団体とはまったく関係ありません】
僧璨鑑智禅師の「信心銘」の一節ずつを、私(思考)が観てみましょう。
『このように悟るなら 不完全を思い煩うこともない
この真理を信頼し生きることが不二の道である
不二と信頼は一体なのだから』
@不完全は心の作用で、幻想であるのですから
思い煩うことはありません。
このように観ることです。
空のまま、あるがままが真の道です。
空のまま、あるがままが私(思考)の無いところです。
いかがでしょう。
おわかりになったでしょうか?
この世の中はすべて私(自我)が創りだしたものです。
つまり幻想世界ということです。
幻想なる思考が無いところが真実世界ですね。
誰だってぐっすり眠っていたら真実世界です。
目を閉じてから目を開ける寸前まで何もわかりません。
しかし即、記憶が立ち上がります。
夜の何時に寝て、朝の6時に起きたとなるわけです。
前回もお話した記憶障害は過去がわかりません。
自分としても過去がほとんどわからなくて結構です。
10分の1ぐらいややわかればいいです。(笑)
このブログは、過去に囚われない道を淡々と歩くことを
書いているわけですから、その方がスムーズにいきますね。