それでも永山則夫が好きだ(スピンオフ)

「ねっとわあく死刑廃止」や、無期懲役囚で「とらえなおし」で知られる飯田博久さんや、小松川事件の李珍宇のことを書いたり色々

(第六章-2)小笠原和彦著『李珍宇の謎』…ブラック神父の次はブラック僧侶…教誨師は官憲の手先になることが多い

2017-05-06 22:44:37 | 小笠原和彦著『李珍宇の謎』

(第六章-1)から続く

 

【李珍宇・小松川事件について】

・1958年4月20日、賄い婦の田中せつ子さんが殺害される。

・1958年8月17日、東京都江戸川区の東京都立小松川高等学校定時制に通う女子学生(当時16歳)が行方不明になる。

・1959年2月27日、李珍宇(在日韓国人)は犯行時18歳であったが、「賄い婦殺人事件」も含めた殺人と強姦致死に問われ、に東京地裁で死刑が宣告。

・二審もこれを支持、最高裁も1961年8月17日(被害者の命日)に上告を棄却し、戦後20人目の少年死刑囚に確定。事件の背景には貧困や朝鮮人差別の問題があったとされ、文化人や朝鮮人による助命請願運動が高まった(自白だけで物証がなく冤罪という説もあった)。

・1962年8月には東京拘置所から仙台拘置支所に移送(当時東京拘置所には処刑設備がなかったため)

・同年9月8日、珍宇が宮城刑務所から小林直人弁護士に再審請求書を送る

・同年11月16日に宮城刑務所で死刑執行。異例のスピード執行だった。

 

小笠原和彦著『李珍宇の謎』の目次 (五章以降)

 

【教誨師が官憲の手先になることが多い】

獄中で話し相手もなく、孤立しがちな死刑囚にとって、教誨師の存在は大きい。

免田裁判の免田栄さん(冤罪で釈放)が、こんなことを証言している。

免田さんに、仏教僧侶の教誨師がついたとき、その僧侶からこう言われたのだという。

「免田さん、再審を諦めてくれ。仏教は因果応報であるから、あなたが死刑になったというのは、前世でそうした因を負うてきたのだから、そのありがたい因を、ここであなたが断ち切るということでは、あなたが救われない。そのまま背負うて潔く刑場に言ってくれ」(『李珍宇の謎』P.161より抜粋)

珍宇には『志村』というカソリック神父が付いて、「来世があるのだから潔く死刑になれ」と説得されているが、それと非常に似ている。なので、キリスト教誨師だからこう、仏教教誨師だからこう、ってのはないみたいだちなみに、再審請求するように獄中者を応援してしまった教誨師はクビになってしまうのだという(なんてことだ…)

(第七章)へ続く

 

以下、管理人より適当な主観と余談

この『李珍宇の謎』では、ブラック神父にブラック僧侶と、教誨師が『官憲の手先』として出てきますが、“現在の教誨師はどうなっているのだろう?”と思ってしまいますよね?私が苦手なジャーナリスト堀川惠子さんが、【教誨師】という本を書いてますが…まさか…官憲の手先を遠まわしに誉める内容になってないだろうね?(私は【教誨師】を読んでません。読んでる時間はとれません。)

堀川さんは永山則夫(刑死囚)を題材にした【封印された鑑定記録】という本も書いてるし、【100時間の告白】という番組も制作している。彼女の著書や彼女の制作番組を見ると死刑反対派という感じがするのですが、実際は彼女は死刑反対派ではなく、そういう確固たる思想をもってたわけでもなく、ただ仕事だからやってただけみたいなんだよね。また、堀川著書を読むと、左翼とか、“反権力思想者を嫌っているような記述”が見られるんだよね。それも、彼女の思想云々ではなく、彼女が人から言われたことや当時の偏見をそのまんま書いただけじゃないか説もある。

ちなみに、【李珍宇の謎】P.161に書かれている、「仏教僧が着る袈裟についている藤や萩は権力と癒着していた証拠」という文章が気になる。

 

 

 



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