シャフタマ収容所再訪
私は60才を過ぎて単身赴任がきつかった事もあったが、仕事も一段落したので定年を1年半残して退職した。健康な内に思いっきり好きなゴルフがしたいとか、父の死んだシベリアへの墓参を早く済ませたかったのが偽らざる心境だった。
先ず退職後、妻への慰労も兼ねて半月ハワイで過ごしたが、少しも楽しめない、これも父の怨念かと、帰国後色々調査を始めたが進まない。
そこでノスタルジック・ジャーニーではないが、娘を連れて私の生まれ故郷の満州旅行に出掛けた。その時ハルピンで、瀋陽への汽車の出発を待つ時間、地図を見ていて、「ここから東京へ帰るより父の眠るチタの方が近い」のだと改めて気付いた。
帰国後調査に一層力を入れた。そして素敵な方とお知り合いに成れた、そのお二人をご紹介しよう。
石川県加賀市の表谷様、父上のお遺骨をクラスノヤルスクで見付けられた方である。DNA鑑定の導入のきっかけを作られた方である。「全国郵政シベリア会」の年一度の会で来月熱海で再会するが、私に「父を探す」突破口を開いて下さった。
もうお一人は京都の亀井様、この方も父上のお遺骨が帰って来た方で、「シベリア抑留者と遺族はいま」「シベリア抑留って」(かもがわ出版)を出版され、「京都シベリア抑留死亡者遺族の会」を主幹され、小学校などへ出向きシベリア抑留の話をされたり、宝ヶ池にある、大きく立派なシベリア抑留慰霊碑の前で慰霊祭を行われている。
私はこのお二人の様に父の遺骨を探し出し、持ち帰りたいと今も頑張って居るのである。
その後「東京ヤゴダ会」の帰還兵の方や「シャフタマ戦友会」の方とお知り合いになり、その気持ちをより強くしながら今日に至った訳で、いよいよ最後の詰めである。
ここシャフタマからのご帰還された方から「ご父君の遺骨を捜し求めてのご苦労とご孝心あらためて心から敬服いたします」「親孝行の極みと存知ます、必ずや成功される事を祈るばかりです」と10名以上から励ましのお言葉を頂いた。
GOOGLE EARTH で 51°18N - 117°53E です。(完)