シベリア抑留死亡者遺児の会

父親をシベリア抑留で亡くした遺児の会。墓参・埋葬地調査・遺骨収集・慰霊碑の建立・慰霊祭の情報を交換し風化防止に努める。

「孝心も尽き果てたか」

2007-11-16 23:02:51 | シベリア抑留
7月27日以降中断して居りますが、アクセス数(閲覧数、訪問者数共)が全く落ちません。ありがたいと言うより申し訳なく思う日々が続いています。多分シベリアへ出掛けた結果をご心配下さり、アクセス頂いて居るのでしょう。もしそうで有ればお詫び申し上げます。ご報告だけでも早くすべきだったと反省致して居ります。以下言い訳ですが:

去る8月20日から父の眠る埋葬地へ、埋葬場所特定の為の調査に出掛けました。
これまで5年間、全てを犠牲にし、懸命に調査、準備をして来ました。そして準備万端とは行きませんが、同収容所からの帰還兵で記憶力抜群の柴谷様にご同行頂けることとなり、ここで父親を亡くした3人の遺児と共に出掛けました。
準備で一番大事な事は、此処からの生還者の証言で、25人を超える帰還兵を捜し当て、情報を得る事が出来ましたが、年齢から同行者は柴谷様お一人となりました。柴谷様も年齢・健康を考えると、失礼ながら、もう先延ばしは出来ない状態で決行した訳です、案の定旅行中に2度転倒され、やっとご無事に連れ帰れた状態でした。

そして現地でも不自由な環境の中3日間ベストを尽くしきりましたが、場所を特定する事は出来ず、無念の帰国、その落胆は精神異常をきたす程でした。5年間全力を挙げての集大成、同行チームは最強の布陣だとも思い、残った未調査の場所を探せば特定出来るとある程度の自信も有っただけに、その落胆も大きかった訳です。

この精神異状から脱し、全てを忘れようと、陶芸に没頭しました。早朝から物凄い集中力で愚作を作りまくりました。全てを絶って轆轤を廻し、良い作品を作る為でもなく、陶芸の上達を願う訳でもなく、粘土との格闘です。

帰国後禁酒しました、これは親爺に対して申し訳ない気持ちからです。健康診断に行く時期だが、何故それをする必要があるのか? スポーツジムに行くのも回数は減り、内容も入浴だけになり、何の為に健康でなくてはならないのか?と・・・、しかし皮肉なもので、健康診断の結果は昨年のグレーゾーンが全て消え、オールOK、きっと親爺が「健康で来年も来い」と云って居るのでしょうか?

3日前の11月13日、地元の小学校(娘の卒業した学校)へ出向き、先の戦争に付いての語り部として「私の戦後は未だ終わってはいない」と題して話しました。小学校3年生に、戦争の話は大変難しく、「戦争とはこんな悲惨な事を残したのだ、だから決して2度と繰り返してはいけない」と云う結論に向って、分り易い用語で説明した積りです。「シベリア抑留問題を風化させてはならない」と考える私に本当に良い機会を与えて頂きました。
そして私も生徒から元気を貰いました。

落胆から中断していたBLOGも再開し、父達の慰霊に努め、先の戦争の事を風化させないよう、次世代へ言い伝える事への努力を続けます。

BLOGをアップもしないのに、アクセス・検索数が減らない、親戚や親友が「シベリアへ行った結果は?」と心配されてのアクセスに答え、小学生にも分るようにシベリア旅行記でも掲載しようと思います。本日はお詫びと再開のご挨拶です。