シベリア抑留死亡者遺児の会

父親をシベリア抑留で亡くした遺児の会。墓参・埋葬地調査・遺骨収集・慰霊碑の建立・慰霊祭の情報を交換し風化防止に努める。

シベリアに逝きし46300名を刻む

2009-07-25 21:14:26 | シベリア抑留
シベリア抑留中に死亡した我々の父親達の死亡者名簿に付いては幾度もこのBLOBで取り上げ、前回その予告を致しましたが、いよいよ書店店頭に並びました。
名簿部分を省き遺族や関係者以外の方にも是非お読み頂きたくお薦め致します。
地域の図書館に閲覧希望を出されますと、より多くの方でお読み頂けます。
今年も又慰霊のシーズンが参ります、シベリア抑留問題を風化させない為にも是非是非お読み下さい、お願い致します。

出版のお知らせ

2009-07-15 10:51:04 | シベリア抑留
出版のお知らせ

村山 常雄 編・著 『シベリアに逝きし人々を刻す』の普及版が間もなく出版せれます。
私がこのBLOGでよくとりあげます、ソ連抑留中死亡者名簿 ― 『シベリアに逝きし人々を刻す』 が一昨年の吉川英治文化賞受賞に続き、この度「自費出版文化賞大賞受賞」を受賞されました。

この受賞が機縁となり、選考委員長の色川大吉様、選考委員の鎌田様が、その内容のうち名簿部分をのぞく解説部分、論考類、資料編等を総括整理し、これを一巻の単行本として出版することを勧奨され、これを快諾された「七つ森書館(社長・中里英章氏)」により来週7月23日に、刊行される運びとなりました。
重さ2キロを超える前著に比し、ご遺族や関係者に限らず広く一般の方々にも親しみやすい普及版で、ぜひお読みいただきたい形状と内容で、概要は次の通りです。

書名、『シベリアに逝きし46300名を刻む』 副題、(ソ連抑留死亡者名簿をつくる)
著者、村山常雄  判型、四六判  製本、上製  定価、2000円+税  
出版、七つ森書館(社長・中里英章)
 文京区本郷3-13-3三富ビル TEL.03-3818-9311 
本文、256ぺージ  
構成、シベリア抑留マップ(著者自作)
    解説 (鎌田慧さん「歴史記録の金字塔」)
    第1章 いま、なぜ抑留死亡者名簿か
    第2章 シベリア抑留死亡者問題
    第3章 シベリア抑留における大量死の実態
    資料編 (死亡者集計グラフ、ソ連側作成の「抑留者個人調書」「カルテ」など)

帯文 (鎌田 慧)
「ついに帰還できず、異国の丘に人知れず眠る、
無名戦士の名前を掘り起こした、祈りと鎮魂の紙碑。
一市井人が決意し、生涯を懸けて大事業を達成した。
この壮大な生と死の記録は、今後も乗り越えられる
ことはない」(鎌田慧 ルポルタージュ作家)。


戦没地慰霊巡拝

2009-07-13 08:41:03 | シベリア抑留
前回7月5日に「嗚呼 満蒙開拓団」と題して書いた。これに対してコメントが入り、回答を入れたり、7回のやり取りがあった。
中々コメントまで読んで頂けないのではと、それをダイジェストしてアップする。

一昨年シベリアの父の埋葬地調査に出掛けたが、場所が特定出来ず、落胆から仲間集めに始めたこのBLOGも停滞した。しかし父達戦没者への慰霊活動は続けて居るし、来月4度目の現地への慰霊巡拝を予定している。

そこへ、佐渡ヶ島出身のシンガーソングライターのYAMATOさんと言われる方からコメントが入った。「自分の母方の伯父がシベリア抑留中にチタ地区で亡くなっているということを知り、検索したところこのホームページにたどり着きました。
実は、これまでの人生で伯父の慰霊ということにほとんど意識がなかったのですが、昨年、「全国ソロモン会」というソロモン諸島方面での戦没者の戦友・遺族で組織されている会に知人がいることから【涙雨】という曲を提供したことがきっかけで会との交流が始まりました。会の皆さんが【涙雨】という唄に大変感動してくれまして、現地で是非慰霊のために唄って欲しいという強い要望を頂き、4月にガダルカナル島の慰霊巡拝にギターを持って行き、慰霊祭で唄って来ました。もう間もなくですが、7月11日~18日までブーゲンビル島にも行って唄ってきます。」
この歌は「YOU TUBE」で聴けます。
http://www.youtube.com/watch?v=tfcekRpU9AI 

それに対し、コメントのお礼を述べ、「幾度かのソロモン諸島への慰霊訪問、亡き伯父上様の為にシベリアへ慰霊巡拝ご計画との立派なお考えに敬服致します。」「佐渡島と言えばこのBLOG2007年7月27日に採り上げて居りますが前回の墓参の時、佐渡にお住まいのシベリア抑留帰還者の菊池様が書かれた般若心経を頂き持参致しました。前後は晴天でしたが慰霊祭の時だけ大変な大雨に降られました。これぞ涙雨でした。(折角の般若心経がこの涙雨で瞬く間に墨が流れてしまいました)」とご返事した。
その後、不思議な呼び寄せ現象の事や、千鳥が淵戦没者墓苑への納骨、11月3日のそこでのシベリア鎮魂慰霊祭の事、シベリア抑留死亡者遺児の愚痴・・・など続きましたが、詳しくは前回のコメントをお読み下さい。

そこにロシアの広さからのシベリア慰霊巡拝の大変さを記しました。「 チタから車で東へ1時間走った地点で私の父達の合同追悼式を行つて頂きましたが、父の埋葬地はそこから更に400キロ東です。埋葬地が名古屋にあるのに東京を出発して横浜で追悼式をしたようなものです。未だ酷い人が居られました、父上はモスクワの近くで亡くなられたのですが、イルクーツクで追悼式、その方はそこで「お父さーん」と叫ばれましたが、勿論声は届きません、それどこらかその地点は、地図を見て頂ければ分りますが、死没地より日本の方が未だ近いのです。新潟を飛びたって1時間半でロシア領、2時間でハバロフスクに到着しますが、その後が大変です。ハバロフスクーチタはシベリア鉄道で41-42時間掛かると思いますが、目覚めて起き車窓からの眺めは変わっていなかったの世界です。」
YAMATOさんは1昨日からブーゲンビル島に行かれ、今頃「涙雨」を奉納演奏され追悼を行って居られることと思います。ご苦労様です、有難うございます。
本日は私の父がもし生きていれば100歳の誕生日です。

「嗚呼 満蒙開拓団」

2009-07-05 11:57:32 | シベリア抑留
昨日、今年で第4回目になる「大東亜戦争全戦没者合同慰霊祭」式典参加の為靖国神社へ行った。三笠宮殿下の玉串御奉奠を賜り、先の大戦での戦没者の御霊に追悼の意を捧げた。

その後、九段坂を下り、神保町の岩波ホールで上映中の「嗚呼 満蒙開拓団」を視に行った。

鑑賞後の感想は複雑で今も頭の中は混乱している。
送り出した日本はその補償も死亡者の慰霊も何もせず、迷惑をかけられた国の方が、敵国の為に慰霊碑を造った事が全面に出た、戦争責任を問う作品となっている。
観客は私と同じ満州生れや、満州からの引揚者が多いいのか、残留孤児の方も居られたのか、高齢者が殆どだった。
日本にもPOWの墓地では横浜の保土ヶ谷に立派な「英連邦戦死者墓地」があり見に出掛けた事がある。四国の松山市には「ロシア人墓地」があり、地元の中学生が清掃をしていると松山市のホームページに出ている。
戦後処理は、同じ立場であったドイツとは違い、日本は満蒙開拓団やシベリア抑留は未だに棄民扱いだとしか思えない。広島、長崎、沖縄にも大きな戦争の傷跡が残るが、モニュメントがあり、毎年国家的追悼式が行われている。