伐採現場
鋸は日本では引き切りであるがソ連では押し切りであり、勝手が違い初めの内は困惑したが直ぐに慣れた。ノルマは一人5立方米で3人一組でノルマ、ノルマと追い立てられ辛かった。
(楽苦我記)
伐採場所も初めの頃は現場も近くに在ったが段々と遠くになり、片道が1時間半はざらとなって、冬場は防寒帽、防寒外套を着て長蛇の列がだらだらと行く、現場に着いても未だ薄暗く、先ずは焚き火であり暖を取り切断組、集材組に分れ仕事に掛かる。切断組は2人1組になって二人挽き鋸(ピラー)で指定された木を切断するのであるが、倒す方向、木の曲がり具合、生えている斜面などを考慮に入れ、どの方向に倒すのか見定めその方向側に少し鋸を入れ、その所を斧(タポール)で削り、反対側より切り込む。一抱え以上ある木等は外套を敷き尻を落とし足を踏ん張り、二人息を合せて切るが、日本では引き切りであるがソ連では反対の押し切りである。(以下省略)
(解説)
これは冬期の伐採作業とあり、「木の水分が凍っているのでシャリシャリと氷を切る様な音がする」とあるが、森林伐採は夏には出来ないのだそうだ、樹液が多くて鋸が通らないとか。
冬期は防寒の服装で、食事の不足から体力もなく、敏速な動きは出来ず、倒れる木によっての死亡者・負傷者が沢山出た様だ。
父の居たシャフタマ収容所はモリブデン鉱の仕事が中心で、80メートル以上の竪穴での事故が一番多かった様だが、それでも伐採事故で2名の方が亡くなられ、収容所きっての美男子のS軍曹が顔面を打撲され、(帰還されたが)見るのが気の毒な怪我をされたとある。