シベリア抑留死亡者遺児の会

父親をシベリア抑留で亡くした遺児の会。墓参・埋葬地調査・遺骨収集・慰霊碑の建立・慰霊祭の情報を交換し風化防止に努める。

厚木のポンプ車モンゴルへ

2012-05-30 15:33:15 | シベリア抑留

私の住んで居る、神奈川県厚木市が去る4月5日に日馬富士関に救急車と2台を寄付した事を新聞で知り、市の広報誌でも市長の写真付記事が掲載された。

それでなくとも嫌いになった町で「そろそろ厚木から引っ越しするしか方法はないか」と悩んで居る私である.

 

「厚木は基地の町でしょう」とか、「飛行機の騒音がうるさいでしょう」と良く聞かれる。シベリア鉄道の中で会ったオーストラリア人と何処から来たかと話していると、「ATSUGI?、NAVY AIR BASE?」と言われたことがある.

 

厚木基地は厚木市にはなく、厚木市には空港はない、『マッカーサーよさようなら』キャンペーンでもやって、イメージアップして欲しいと思うのだが、まるで逆行である。

前回書いた、「シベリア抑留戦友会」にモンゴルからの帰還兵がお二人居られると書いたが、ご両人は「テレビで相撲が始まり、モンゴル力士が出るとテレビを切る」と言われて居た。

又私も「大相撲のキップがあるが、行かれれば差し上げます」と親しくお付き合いして居た方から連絡があったが、「モンゴル人など見たくもない」と断った為、良いお友達を失った事がある。

私が度々ロシアへ慰霊に出掛ける事をから、「俺もロシアへ旅行に行く」と親しい友達から電話があった、「俺は好きで行っているのではない、あんな国へ金を落とすな」と言ったら、それが最後の会話となった。

これがシベリア抑留死亡者孤児の悲しさである。

 


再開のご挨拶

2012-05-25 08:16:36 | シベリア抑留

去る4月2日より、GOOから週一回、この休止中のBLOGへのアクセス数の連絡が入るようになった。それによると「一週間のページビュー数が496PVでその前週比17%増、訪問客数は315人」とある。

2011年8月26日以来休眠中で、覗いて頂いた方を失望させ申し訳なくお詫致します。

書かなくなったのは、慰霊の気持ちが無くなったのでもなく、父の遺骨収集を諦めた訳でもない。 逆に、「急ぐべし」と益々思う気持ちは強くなり、去る3月に、厚生労働省へ「埋葬地再調査」に関する陳情書(これまで3度行った現地の状況を20数頁にまとめた)を出した。

一昨(2010)年6月に「シベリア抑留者特別措置法」が成立した。報道では、抑留帰還兵への給付金が支払われた事ばかり報じられているが、この特別措置法の「第13条」では「その実態調査を政府に基本方針の策定を求めている」ので、我々遺児にとっては「やっと始まった」である。 

昨年3月にこの法律による埋葬地調査の陳情に行く予定だったが、あの東北震災を思うと自分の事だけ言っては居れないと遠慮した。 勿論この1年はその法律に添った進展はなかった。

「国が引っ張りでしたのだから、その死亡者の遺骨は持ち帰る義務がある」と思いませんか? 自分で勝手に旅行に出掛けた訳でもなく、公費モスクワ大学留学生でもないし、「志願兵」でもないのです。

私は父を連れ帰るまで絶対に諦めません、国がやることですが、やってくれなければ、自分でやるしかないのです。

来る6月7日にある「シベリア抑留帰還者の最後の戦友会」が開かれる、最後だから舞鶴でと決まったが、私はこれまで毎年参加し、お世話になった方にお会いしたいが、「私の父は舞鶴へは帰還出来なかったので」と参加を断った。その会にはモンゴルから帰還された方が「相撲でモンゴル力士が出てくるとTVを切る」と言われる方が二人居られる。

次回からそのようなことでも記して見たいと思う。