私の住んで居る、神奈川県厚木市が去る4月5日に日馬富士関に救急車と2台を寄付した事を新聞で知り、市の広報誌でも市長の写真付記事が掲載された。
それでなくとも嫌いになった町で「そろそろ厚木から引っ越しするしか方法はないか」と悩んで居る私である.
「厚木は基地の町でしょう」とか、「飛行機の騒音がうるさいでしょう」と良く聞かれる。シベリア鉄道の中で会ったオーストラリア人と何処から来たかと話していると、「ATSUGI?、NAVY AIR BASE?」と言われたことがある.
厚木基地は厚木市にはなく、厚木市には空港はない、『マッカーサーよさようなら』キャンペーンでもやって、イメージアップして欲しいと思うのだが、まるで逆行である。
前回書いた、「シベリア抑留戦友会」にモンゴルからの帰還兵がお二人居られると書いたが、ご両人は「テレビで相撲が始まり、モンゴル力士が出るとテレビを切る」と言われて居た。
又私も「大相撲のキップがあるが、行かれれば差し上げます」と親しくお付き合いして居た方から連絡があったが、「モンゴル人など見たくもない」と断った為、良いお友達を失った事がある。
私が度々ロシアへ慰霊に出掛ける事をから、「俺もロシアへ旅行に行く」と親しい友達から電話があった、「俺は好きで行っているのではない、あんな国へ金を落とすな」と言ったら、それが最後の会話となった。
これがシベリア抑留死亡者孤児の悲しさである。