シベリア抑留死亡者遺児の会

父親をシベリア抑留で亡くした遺児の会。墓参・埋葬地調査・遺骨収集・慰霊碑の建立・慰霊祭の情報を交換し風化防止に努める。

野茂投手ご苦労様でした

2008-07-18 21:28:49 | 今日の出来事
昨日の引退発表を聞いて心からご苦労様でしたと労を労いたい。
今日の新聞で「日本人メジャーリーガーのパイオニア」「トルネード投法」「ホークボール」「メジャー123勝」「ノーヒットノーラン」・・・と賛辞が続く。
私は97年4月に娘の海外青年協力隊赴任地のグアテマラを訪ねる時、往路ロサンジェルスでの乗り継ぎ時間を利用して、ドジャーススタジアムを訪れた。試合の開催のない時間で、静まりかえった球場をスタンド上段から眺めた。アミニテー・グッズ・ショップに入ると野茂グッズを販売していた。
そうだ野茂選手がここで活躍しているのだと、トルネード投法のグッズを手にとって見ていると、若い女性係員が近ずいて来て、「彼は入団前年のメジャーリーグのストライキで、フアンが野球離れしそうな大リーガーの危機を救ってくれた」と話してくれたのを覚えている。
自国民を褒められることは外国を旅していて嬉しい事だが、今のアメリカの野球フアンも彼がメジャーリーグの救世主だと知っているだろうか。
野茂英雄選手ご苦労様でした、そして数々の金字塔樹立おめでとう。

教科書問題に付いて

2008-07-17 22:25:56 | 陶芸
最近「竹島」を教科書に取り上げるべきだ、いや朝鮮との関係を考えて・・・と色々問題になっている。
このBLOG自体がシベリア抑留で父を失った遺児が「シベリア抑留問題」を風化させてはならないと言う事が趣旨なので、この教科書問題に関しては考えさせられる。

昨年5月に引き続き今年も5月31日・6月1日に国士舘大学鶴川祭のJYMA(旧日本青年遺骨収集団)活動展示に参加した。多くの事を感じたが、教科書に出ていなのだから、大学入試問題に出題されないのだから知らないはずだ、となる。

昨年11月13日に地元の小学校へ語り部として参加した。老人会―遺族会のラインからの人選で3年生に「私の戦後はまだ終わって居ない」と題してお話をさせて頂いた。シベリア抑留問題を理解して貰うのは無理で、「だから戦争は絶対してはいけない」という結論に向ってお話した。3月中旬に25名の3年生の文集と鉢植えの菊が届いた。「お爺さんこの前はお話有難う、お父さんのほねが見付るのをねがってます。」「ほねをロシアから持って帰るのを応援してます」と、有難う。

一昨日のSANKEI-WEBによると、「シベリア抑留を教科書に 文科相に要望」と題して、シベリアの元抑留者らで組織する協議会が、現行の歴史教科書はシベリア抑留などの記述が不十分として改善を求める要望書を文科省に提出した。シベリアやモンゴルでの抑留について、中学や高校の歴史教科書に「わずかな記述はあっても、原因や実態は全く触れられていない」と指摘し「事件をきちんと歴史にとどめ、継承するよう切望する」と訴えている、とあった。

あの純白な心の、興味深々の輝く目を持つ小学3年生に、これから誰が右だ左だ赤だを教えるのだろうか?私は折角の機会だったが精々家族愛の大切さぐらいしかお話出来ない。

諦めないで探しましょう

2008-07-10 10:07:08 | シベリア抑留
昨日コメントを頂きました、ご主人のお爺様がシベリアでお亡くなりになった方から、埋葬地探し、遺骨収集の方法に付いての問い合わせです。
諦めないで、お爺様の埋葬地を探し、お遺骨を持ち帰りましょう。

探し方の手順
1.死亡者名簿で氏名を捜す:
  A.村山リスト - 「シベリアに逝きし人々を刻す」
    このBLOGの2007.07.22参照下さい。
  ホームページ:http://yokuryu.huu.cc/index.html
  B.厚生労働省:
  http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/syakai/soren/index.html
    (漢字にはなっていない)
  抑留中死亡者でありながら、未だ15%前後が未掲載だと思います。
2.収容所を特定する:
A.死亡告知書に記載の死亡場所を確認する。
  B.出身本籍地の役所で「除籍謄本」を取り、抑留地を探す。
  C.厚生労働省で調べて貰う、- 最近は大変丁寧に対応して頂ける
  との事です。
  厚生労働省社会・援護局業務課調査資料室調査第二係
電話 03-5253-1111(代表)(内線3471)
  チタ州の埋葬地数は60箇所、その内36箇所収集済み。
3.遺骨収集の現状:
  厚生労働省の発表では、チタ州に関しては、名簿登載死亡者6832名
  中、36箇所の埋葬地から4832柱収集済みとなって居り、残り
  24箇所は収集不可とされてます。
  厚生労働省担当窓口: 社会・援護局援護企画課外事室、
  電話(代)03(5253)1111(内)3415
  「村山リスト」では91埋葬地、7338名になって居ります。
4.DNA鑑定
  チタ州での最後の遺骨収集は2006.7.20.-8.7.に行われたヤブロノバヤ
  より63柱収集で、現在その収容所での死亡者のDNA鑑定が進んで居
  ります。
  厚生労働省の発表では平成20年3月に申請者あて通知した戦没者遺骨
  のDNA鑑定の結果、特定19件(累計529件)、否定50件(累計
  492件)とあり、過去1年間で149件特定出来、お遺骨が返還された
  ようです。


訃報二件

2008-07-02 17:11:17 | シベリア抑留
今日、父と同じ収容所に居られた方の訃報が2件届いた。
本BLOGで「楽苦我飢」と題してスケッチ入りの抑留記を25回アップさせて頂き、昨年は埋葬地調査にご同行願った柴谷様が去る6月27日にお亡くなりになった。昨年は場所を特定出来なかったが、何とか良い報告をするまで、頑張って頂きたかった、残念で言葉も無い、ご冥福をお祈り致します。
もうお一人は、京都の畑谷好治さんで、矢張り同じ収容所に居られた方先月18日にお亡くなりになった事を本日奥様よりご連絡頂いた。畑谷さんは私の父が死んだ後、又シャフタマ収容所から全員帰還した後、転々と収容所を変わられ、シベリア抑留11年、最後の引揚げ船「興安丸」で昭和31年12月26日に舞鶴に帰国された、1025名の中のお一人である。「最初の収容所だったので良く覚えている」とお話頂いた。ご高齢から次つぎに情報源が無くなる。ご冥福をお祈り致します。