猛暑だ! 職人さんたちがんばって!
今日からスタッフ紹介しよう。
創業者の会長79歳と奥様の現社長?歳だ。
すまいるリフォーム中村工務店の歴史は45年前
現雲仙市の吾妻町出身の中村鉄治が始めた。
兄の鉄治が営業、弟の親(チカシ)が大工、、、弟子がいっぱい。
こういうチームで 建売をやっていたらしい。
長崎市内で土地を買っては上物を建て200万円くらいで当時
すぐ売れていたらしい。
あの頃は良く売れた!!と昔会長がよく言っていた。
昭和42年当時の会社の様子(笑) 社長の長男の端午の節句の時期で
建物は隠れてしまっているが 木造平屋の事務所があったようだ。
現在の長崎市松山町に事務所をかまえたのは昭和38年ごろ。
昭和45年に現在の自社ビルを建造した。
建築中、面白い話があって
当時1階のテナント部分(現在の弊社の事務所部分)をぜひとも貸して欲しいと
現在のメモリードの社長吉田氏が 「お金はこれだけです。。」といって
借りにきたという。 当時は「長崎互助センター」という社名で
現在のメモリードの原点となったと思うと 何かうれしい気がする。
しかし、スタート地点は同じなのに あんな立派な会社に成長した姿をみると
われわれは何をやってんだと、ふと振り返るが、まあ~いいか。。。
その後社長は 分譲マンション・戸建分譲・公共事業などを得意分野に営業した。
現社長もサポートして夫婦でがんばってきたみたいです。ほのぼの夫婦だ。
しかしやはり長年営業していると、不況の時期もあり 昭和60年
中村工務店はしばらく休眠に入った(あまり書きたくないが、この時期があったから今はあると思う・長い人生の試練かな)事実上の倒産。~ショックだった。
だが、当時の会長・社長のがんばるよ・・の姿をみて自分は育った感じがする。
今は笑い話だが、会長が知人の焼肉店で働いている姿を見た時、自分もアルバイトで応援してました。
その後バブル景気(ありがたかった)で 当時の負債も返済し整理できたので
社内で考えた結果個人住宅を対象に営業に取り組む方向に変換した。あ~今がある。
現在の会社の様子
不思議なのか 同じように倒産や倒産しかけのかたがたから?
「どうすれば立ち直れるの・・・?教えて・・と」相談に来ていた風景を
よく見てきた気がする。・・・時間は掛かるけど諦めない事じゃ?と思う。
ちなみに現社長は 昭和60年から15年間 社交的な性格のもと 某保険会社の
営業に明け暮れ平成16年退職して すまいるリフォームへ復帰した。
定期的に開催しているリフォーム相談会などでは パワフルな営業で同年代のお客様のハートをゲットして、第一線で会社のPR役をかっているのが社長の姿だ
(感謝)
会長と社長は 今はのんびり若いものに任せて お孫チャン(6人)の世話を楽しみに日々 二人でのんびり散歩しながら 会社を見守っているようです。
いつまでもがんばれ~