goo blog サービス終了のお知らせ 

北へ南へ、東へ西へ

旅と山歩き・街歩きの記録です 今を語りながら過去も振り返って

移転ご挨拶

plalaからgooへ移転してほぼ修正が終わりジャンル・カテゴリーが設定出来ました。タグ付け法が見つからないので、県名・市町村名、東京都は区市町村名で、その他寺社・名所などは固有名詞でサイト内検索して下さい。 サイト内リンク先、アドレスがplalaのpubのままgooに変更していないのでリンク切れしていました。リンク箇所を探して変更するのはかなり時間がかかりそうです。

武家屋敷跡・野村家 長町武家屋敷③:石川県金沢市

2011-06-09 12:52:05 | 心休まる風景

2011金沢の旅 その10
  GWの旅、長々と続いていますが、食あたりで倒れたり20年ぶりの風邪引きで意欲が失せたり、予測外の仕事繁忙で・・・・。

 資料館、宝物殿、博物館など旅の途中で有料の施設に出会った時は、目的として予定して行った時以外はほとんどパスします。最近の施設入場料金は法外ではないかと疑問に思っています。展示物や施設の建物や庭の植栽などの維持管理に人手その他で出費の多いことも理解しようとは思いますが、音楽や芝居のように常に作り続ける作業を伴う訳でなく、単に絵画や資料が飾られているだけで、庭や建物が在りし日のまま保存されているだけで、かなりの高額の入場料、拝観料を徴収しているのですから・・・。

 それでも興味を持っている場合はやはり財布の紐を弛めます。(見終わった後半分くらいは、やはりナ~ンダ!!!とがっくりするのですが)長町武家屋敷には全く往時のままの姿での保存はなかったようですが、大半の敷地は分割され移築や改築は加えられてはいるものの、武家屋敷の趣を尤もよく残している「野村家」に入ってみることとしました。料金が500円と低い設定であったことと、妻待望の茶室が公開されていることから・・・。門と塀は往時のままとパンフレットにはありました。



 『野村家当時の屋敷も古木、曲水など庭園の一部を残して取り壊されて分割されてしまったのだとか。しかし、昭和の初期に加賀の支藩・大聖寺藩下橋立村の北前船の船主・久保彦兵衛の豪邸の一部が移築され、現在に至っているそうです。』この解説は「気まま お出かけガイド」から無断拝借しましたが、このサイト「みんなでつなごう相互リンクの輪」にリンクしていましたので、リンクフリーと見て・・・。

 曲水の庭は保存されていると有りましたが、入ってすぐ座敷からの庭は趣がありました。



 謁見の間の移築部分は記録していなかったようですが、書院の佇まいは落ち着きを覚えます。



 早速妻期待の茶室へと進みますが、なんと石段を上がった先上階にあるのです。



 階段入り口には庭石として多く使われている由来のかかれた石があり、(金沢城の石垣用に切り出された石の内搬出されずに残された、切り出し人夫の効を誇る目印入りの戸室石・・・と添え書きがあり)



 蹲いも途中にありました。



 石段を登り詰めると茶室と待合い(控えの間)が廊下を挟んで振り分けられています。



 茶室手前の水屋に老婦人が着座していましたので、抹茶を所望して茶室にていただきました。庭を見下ろしながらの喫茶、珍しい体験でした。



 茶室相客も次客もいたので長居が出来ず写真を取り忘れ、控えの間の掛け物と庭の一部で雰囲気を表してみました。


孫と一緒に・・・ NASP&田代:新潟県湯沢町

2011-02-18 12:44:45 | 心休まる風景

 盆暮れを除けば臨時の休みは年に数回(2~3回?)しか取らない?取れない?のですが、冠婚葬祭と会の委託事業担当や学会以外個人的にはこの時期のスキー行きが主となります。先週の日曜日は偶然次女親子と行動が一緒になりました。数日激しく雪が降り続いていて、娘家族4人午後早くに帰京するというので一番近くのNASPニューオータニ・スキーガーデンに行きました。



 写真では3人に見えますが1歳半の長男は婿さんの背中にいます。



 5歳の孫娘はすでに手を借りずにかなりの斜度のゲレンデを滑り降りてゆきます。妻は「孫と一緒に滑るなんて幸せ」と自身の健康に感謝している模様!



 「じじ馬鹿」ではありません、「じじ・ばば」ではなく孫たちにはさんづけの名前で呼んでもらっているのですから・・・老け込まないために・・・。妻は自称「晴れ女」ということで、青空までは望めないまでも雪が止み、雲が薄くなってきました。



 明けて月曜日、せっかくの無給休暇(自営業に有給はありません)青空が広がっていました。もちろん「かぐらスキー場」へ直行です。田代のお気に入りレストランに向けての連絡コース、時折止まりそうな緩斜面もありますが田代湖を眼下に爽快です。・・・晴れていれば。氷が張りつめ雪に閉ざされた田代湖は久しぶりです。この位置からだと平標山、万太郎、それに続く谷川岳連山がきれいに見えます。



 いつも湯沢に近い三俣ロープウエーで上がるのですが、田代に上がってくるロープウエーもあるのです。対面に見える頂上に上がってきますが、田代のゲレンデへはかなりの急斜面を滑り降ります。もっとも、初心者用の迂回路はありますが・・・。一度三俣ロープウエーが故障して田代まで来たことがありますが、こちらは小さくて遅い!のです。ドラゴンドラが苗場と直接結ぶようになって3つの路線で上がることが出来ます。なのに!人影が少ない、それでも無人のリフトが動いていました。



 先週土曜日、仕事を終え早めに閉めようと一旦PCの電源を落として準備を始めたのです。が、日・月曜とスキー行を予定して渋滞を避けるため夜の内に越後湯沢まで行ってしまう予定でしたので、道路情報を観るため再びPCを立ち上げた所、メーカーのロゴが出たまま固まってしまいました。再起動をかけても動かず時間が迫ってきたので強制終了して帰宅しました。スキーから帰って火曜日に再び電源を入れましたが、今度は再起動の方法の選択画面がぐるぐる回ってウインドウズが起動出来なくなってしまいました。おかげでブログやホームページの更新も、撮ってきた写真の整理も出来ず今日に至ってしまいました。

 今?10年ほど前のXP初期のノートパソコンが残っていたので、かろうじて事務処理が出来るようになりました。もっともこのPC時々真っ青になり固まってしまうのでお蔵入りした経緯があり、その都度初期化再インストールを繰り返して生き延びてきたのですが、その都度必要なソフトもインストールしているので面倒この上ないのです。いつまた固まるかの不安を抱えながら、そしてご多分に漏れず、スイッチオンしてからトイレに行って帰ってくる頃起動する遅さ、PC修理するか買い換えるか考える所です。なにしろDELLの同じくらいのスペックのPCなら、修理費用で買えてしまうのですから!!! 


緑の大地は命の洗濯! 長門牧場:長野県長和町

2010-10-23 09:31:12 | 心休まる風景

 明けて10月11日体育の日連休最終日・・・10月10日は東京オリンピックの開会式の日、統計的に絶対的に晴れの日!だから体育の日、誰が何の目的で第2月曜日などと無粋なことをしてしまったのか。連休は欲しいが、偶然性があって楽しみが倍加する!記念日には由来があり意味がありそれが重要なのだ!とひとまず意味もなく??あるので叫んでおいて!

 朝から晴天!子連れの家族は準備が大変、ゆっくり朝食を済ませ出発!小1時間走ったであろうか広々とした大地に到着!長門牧場であった。



 途中道の駅一つと農作物即売所の看板に惹かれてもう一箇所寄っていた。さすが似た者親子主婦、日常使用の野菜類をしっかり仕入れていた。牧場だからもちろん牛はいた。が、観光客の集まる中心の小屋からは、かなり離れていた。



 レストラン、乳製品始めお土産品などの売店のあるレストハウスを中心に、広々とした草原が展開していた。



 白樺高原と名乗っているのでかなりの高地なのであろうか近くに山が聳えていた。形に見覚えがあるのだが、位置的にこんなに近いのか疑問があった。そう!「蓼科山」!形が記憶と違うのだが、気が付けばいつも茅野・諏訪側から見て登っているので、いわば裏側から見ていたのだ。富士山の宝栄山が静岡側と山梨側では反対側にあるのと似ている。



 2500m以上有る蓼科山が手に取れる程の近くにあるのだから、この牧場もかなりの高地にある訳だ。牧場には家族連れが多く、広々とした原っぱを思う存分駆け回っていた。牛舎の屋根の下にも沢山置いてあったが、巨大な白い包みは何?飼料となる牧草の固まりをビニールを巻いて保存しているのか?間違いではないと思われるが如何に!草原に積み上げられ子供達の格好のジャングルジム代わりの山となっていたので、登っている子供達を撮してみた。



 写真を確認してみると、遠くの山に何かが林立しているのが認められた。子供達の肩の辺りの彼方山の上!しばし考えてみた。美ヶ原の王ヶ頭のテレビ送信塔群であるようだ!この位置から見えるとは考えつかなかった。牛舎を撮した他の写真にもあったので、前方の山は牛伏山であろうか?拡大してみると、頂上の牧場の草原も見えている。



 この牧場360°の展望があったので、広い草原を一回りしてみた。遠くの斜面に市街地が展開していたが、どの辺りか皆目見当が付かなかったが、背後に山を従えていた。山の形を検討付けてwebで確認してみたら、右手前が烏帽子岳、湯の丸山は烏帽子岳に隠れて見えないであろうが左奥が四阿山・根子岳 (吾妻山)であろうと想像出来た。とすると、手前の市街地は上田市、東御市、小諸市辺りになる。



 並んで篭の塔山などの浅間外輪山、そして浅間山も望めるかもしれないが、その方向は雲に閉ざされていた。烏帽子岳は昨年登頂している。四阿山・根子岳は菅平を通り過ぎた一昨年、中腹まで歩いた記憶がある。“縁は異なもの”??意味が違う?

 存分に太陽を浴び緑の空気を吸って、大地を謳歌して早い時間に牧場を後にした。娘家族は上信越道を経由して関越道で帰京するので別れ、大門街道経由で諏訪へ向かった。そのまま帰っても中央道も既に渋滞は始まっているので、盆・彼岸は遠出して親不孝をしてしまった墓参り、山梨にある妻の両親と親同様に親しんだ叔父叔母の墓に参って帰京した。食事をして時間を遅らせたので、笹子トンネルの渋滞は終わっていたが、小仏トンネルは渋滞の列が大月まで延びていた。30kmを2時間、トータル100kmを3時間かけて走ったことになる。又してもヤレヤレ!!!


ここはアルプス? 続・ベルデ武石:長野県上田市武石

2010-10-21 18:27:14 | 心休まる風景

 最近、妻との二人旅では街中のビジネスホテル泊まりが殆どで、皆が家にいた頃の家族旅行のようにリゾートホテルや温泉旅館はまれになってしまった。オン・オフシーズンや週末と平日の料金格差は尋常でなく腹立たしいことと、温泉旅館の品数を競う食事の献立は好みに合わず、又、食べきれなくなっている。リゾートホテルのアルコール類の高価設定も腹立たしい!GWといえども、直前でもなんとか宿泊場所が確保出来るのもビジネスホテルの優位さか!

 無機質なコンクリートの固まりの街中のビジネスホテルも、単なる寝ぐらと割り切れば、最新の設備をいち早く取り入れたり、禁煙ルームなど捨てがたいものがある。もっとも写欲は起きないので、殆ど画像はない。と言ってもゆったりしたリゾートが嫌いな訳ではない。久しぶりのゆったりした環境、木質(骨組みはコンクリートかもしれないが)で表現された内外装はスイスアルプスのロッジを思い出させる。



 ゆったりした廊下とロビー、ソファーに腰を下ろし暖炉の火を見つめる、ゴージャスな気分に浸れるであろう!

 



 食堂の天井の梁、窓から・玄関からの緑多い眺めは、心を洗ってくれる。



 旅の宿舎は写欲が湧けば撮ることもあるが、多くは夜暗くなって到着し、朝は慌ただしく出立してしまうので実際の逗留時間は僅かで、撮影の機会は少ないのが実態だ。今回は連泊の上、近所の渓谷の散策とテニスプレーが主体となっていたので、心と時間に余裕があり多くの画像が残った。前夜の雨で路面の濡れた朝の画像はしっとりと落ち着いた雰囲気だ。



 玄関前の木々に僅かに色付き始めた枝があった。そのずっと先、木陰に僅かにテニスコートが見えていた。天気予報の「午後は晴れ」を信じ夕方近くの予約にしたが、朝から全てではないが多数のコートが一日使われていた。



 散策から帰った昼下がりには、青空も広がり心も躍る!



 区立の保養所といえども、リゾート気分は十分満たしてくれた。(食事が洋食のコースで、なかなかのものだった)一段高い所には本館があり、団体利用に向く構造で林間学校や合宿に適している・・・娘の言の受け売り!



 テニスを終え風呂に入りテニス道具を車に運び込み、夕食までの少しの時間庭に出てみた。建物の影で既に日は射していないが、白壁とダークブラウンの木が描く模様が!!やはり此処はアルプス?!?



 そしてたった2日半の連休2日目、10日は早寝してしまった。


幻想的!霧に霞む白樺 ベルデ武石:長野県上田市武石

2010-10-13 13:48:59 | 心休まる風景

 カーテンを開けると霧が立ちこめ、白樺の白さが幻想的だった。



 信州武石村、平成の大合併により18年3月上田市の一部となった。上田市街地から武石川を遡り、武石の町並みから更に美ヶ原の麓かっての登山口巣栗近くまで遡った高台に、「練馬区立武石少年自然の家(ベルデ武石)」はあった。ベットから起きて窓の外を見ると庭があり、突き当たりにレストランの灯りが僅かに見えた。



 夜明けの山の風景白樺は幻想的で、何時までも眺めていたくなる。



 それも束の間日が昇るに連れ霧が晴れ、前夜の雨に洗われた緑がまぶしい。



 9日土曜日、先週やっと区切りがついたので仕事を午前で切り上げ、渋滞のほぼ終わった関越道、上信越道を走ってやって来た。練馬区の保養施設で人気があり、抽選もありなかなか予約をするのが困難であるが、幸いキャンセル待ちで確保出来たと長女から連絡があり、同行することにしてやって来た。本館と新館があり、家族やグループなど少人数での宿泊に適した新館に連泊の予定だった。玄関に回った時には既に朝日の中にあった。



 妻との二人旅では常に何かを求めて移動型の行程になってしまう。幼子や学童の孫との道連れでは、宿泊地で楽しむ滞在型にならざるを得ない。おかげでゆっくりとした散策を味わったので、いつもの数倍の写真を撮っていた。紀行と土地案内を中心とした常の記事と変化させて、この項は写真をふんだんに使い少し気取った映像中心に纏めてみることにした。

 今までのカテゴリーに当てはめにくいケースが時々あります。そこで、新たに「心休まる風景」として、何でも有りのカテゴリーを創ってみました。


蔵の町です :愛知県半田市

2007-04-13 13:58:58 | 心休まる風景

 法事のため実家へかえりました。この町で生まれ育ちました。
 私が子供の頃から、蔵の町を前面に出し力を入れていました。喜多方や川越は、蔵が商店に使われて、実用性と華やかさがあるのに比べ、醸造業中心の味噌蔵、酒蔵、酢の蔵ですから、黒板塀が延々と続くだけです。


   

地元一番の威容を誇る「mizkan」ブランドで知られる中埜酢店の本社工場も、半田運河に面し、改築を繰り返しながらも頑固に景観を維持しています。4月中旬から100匹の鯉のぼりを掲げ、イベントを行っています。昨年の5月に撮影しました。


 観光地とはいえませんが、最近では訪れる人が増えています。半島の反対側の常滑市に中部国際空港セントレアが開港し、交通の整備もされ、知多半島の存在が海水浴と常滑焼きだけでなく、認識されてきたのでしょうか。


 町興しのイベントも、3月の随所で公開されるひな飾り、春の祭礼(各地区ごとの山車祭り)5月の鯉のぼりなどが行われます。この時期3月から5月連休まで、土日は、どこかの地区で祭り(山車)が行われていますが、入学式など他の行事の兼ね合いでしょうか、残念ながらこの週だけはありませんでした。


 圧巻は、5年に一度開かれる「はんだ山車まつり」です。普段は別々の地区で、異なる日程での祭りに引き回されている31台の山車が、一堂に集まるのです。今年がちょうど5年目に当たり10月6・7日に行われます。


 写真は前回2002年はんだ山車まつりの時ですが、「尾張の山車まつり」については、圧巻のホームページがあります。このサイトのすばらしさを見つけて、自分のサイトへの山車についての記載をあきらめました。ブックマークに置いてありますのでそちらを是非ご覧下さい。


 2枚の内、上の写真の左の黒い建物が、ミツカングループ本社になります。日本一の「酢」の会社が、この田舎町に本社を置いているのも、工場の建物同様頑固さを感じます。
 町の中心だった実家の周辺は、今や駐車場だらけの寂れた商店街になっています。駅前の再開発も遅々として進まず、空き地が目立ちます。そして郊外のバイパス沿いに、全国展開の大型店舗が建ち並び、盛況を極めています。地方都市の苦悩を、この町も抱えています。