きのうの続き。
戯曲「王将」で有名な坂田三吉氏は、
大阪、堺の人だが、貧困の中に育ち、成人して目に一丁字も無かった。
やがて将棋で名を挙げ、
各界の名士とも交流を持つようになる。
当時は、テレビゲームの無い時代、
男なら誰でも将棋を指すことが出来たから、
「将棋が強い」と云う事は、今のイチロー選手以上の人気があった。
従って、庶民のみならず、
財界人や文化人にも将棋ファンは多く、
坂田氏と親交を結びたいと云う人は多かったのである。
さて、そうなると、
色紙に揮毫を求められたり、
あるいは、署名だけでも、と要請される機会も増える。
そう云う場合、
「私は字が書けなくて」と断るしかないのだが、
それが又、「字も書けないのに、将棋が強い」と、一層の人気になった。
中には書けないことを承知でサインを求め、
「書けない」と言わせて喜ぶと云う手合いまで現れる始末。
いつも付き添いで行く娘さんが、
これを苦にして、なんとか揮毫できるようにさせたいと思い立った。
しかし、忙しい人だ、
せっかく教えても、次までに間があいて忘れてしまう。
そこで、
ともかく名前だけでもと、ある便法を思いついた。
まず、
習字の練習のように、
横一直線を上から七本、順に引いてゆく、
次に、
三本目と四本めの間、
真ん中から、五本めへと、タテ一直線に引く、
さらに、下二本の横線の両脇に、縦棒を引き「口」の形にする。
これで、「三吉」となり、立派なサインの出来上がり。(笑)
ただし、
巷間伝わるこの逸話、事実かどうか保証の限りでない。
戯曲「王将」で有名な坂田三吉氏は、
大阪、堺の人だが、貧困の中に育ち、成人して目に一丁字も無かった。
やがて将棋で名を挙げ、
各界の名士とも交流を持つようになる。
当時は、テレビゲームの無い時代、
男なら誰でも将棋を指すことが出来たから、
「将棋が強い」と云う事は、今のイチロー選手以上の人気があった。
従って、庶民のみならず、
財界人や文化人にも将棋ファンは多く、
坂田氏と親交を結びたいと云う人は多かったのである。
さて、そうなると、
色紙に揮毫を求められたり、
あるいは、署名だけでも、と要請される機会も増える。
そう云う場合、
「私は字が書けなくて」と断るしかないのだが、
それが又、「字も書けないのに、将棋が強い」と、一層の人気になった。
中には書けないことを承知でサインを求め、
「書けない」と言わせて喜ぶと云う手合いまで現れる始末。
いつも付き添いで行く娘さんが、
これを苦にして、なんとか揮毫できるようにさせたいと思い立った。
しかし、忙しい人だ、
せっかく教えても、次までに間があいて忘れてしまう。
そこで、
ともかく名前だけでもと、ある便法を思いついた。
まず、
習字の練習のように、
横一直線を上から七本、順に引いてゆく、
次に、
三本目と四本めの間、
真ん中から、五本めへと、タテ一直線に引く、
さらに、下二本の横線の両脇に、縦棒を引き「口」の形にする。
これで、「三吉」となり、立派なサインの出来上がり。(笑)
ただし、
巷間伝わるこの逸話、事実かどうか保証の限りでない。