漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

懐かしの投手、ジーン・バッキー

2019年09月18日 | スポーツ
我が同居人ドノは栃ノ心のファンなんですが、
その大関は先場所負け越し、

で、今場所はカド番なんですが、
現在の処、五勝五敗、

ゆえに、栃ノ心の相撲となると、
彼女の悲鳴と声援が交錯し、家の中を嵐が吹き荒れる。 (笑)

先日のもの言いが付いた微妙な勝負など、
負けが判定されると、

「外人差別だ!
 相撲協会は偏見に満ちている」と八つ当たり気味。 (笑)

それで思い出したのが、
先日亡くなったジーン・バッキー投手のこと。

あまり期待されず、
テストを受けて入団した選手で、

通訳なしと云う扱いにもかかわらず、
二年目からは主力として活躍、タイガースの優勝にも貢献してます。

当時の外人選手は、悪役のイメージが強く、
ことに純潔主義を貫く、ジャイアンツのファンからは目の敵にされた。

それは新聞やテレビでも同様で、
もっと云うなら、審判にも外人嫌いは居たように思う。

つまり当時の野球界は、

「外人差別と偏見に満ちていた」 (笑)

バッキー自身は、
甲子園の裏にある貧乏住宅に住み、

自転車で甲子園に通う、と云う、
今の外人選手の扱いとは大違いの庶民生活。

帰国後は、
長く小中学校の先生をしていたそうで、

時折、日本に来てOB戦などに出てました。

最後に一つ、
ウィキペディアに載っているエピソードを。

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陽気さと真面目な性格で
チームメイトはもちろん他球団の選手からも親しまれたバッキー、

1963年5月26日の大洋戦で9回2死から浜中祥和にヒットを打たれ、
ノーヒットノーランを打ち砕かれたばかりか

敗戦投手にもなったバッキーは、

翌日、浜中を見つけるや、

「コラ~! 浜チャン~! コラ~!」と
叫びながら浜中を追いかけまわし、周囲を笑わせた。

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