漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

国・くに・そして「六合」

2017年03月13日 | 言葉遊び
先日、
「北の国から」全話収録DVDマガジンの発刊、

と云う宣伝記事があって、
「わぁ、なつかしいなぁ」としばらくは、

宣伝写真の
「純と蛍や五郎さん」に見とれていたんですが、

この名作ドラマの舞台となったのが、
北海道の麓郷地区と云う開拓集落。

この麓郷を私は当初、「六合」と思ってましてね、
と云うのも、「六合」と書いて「りくごう」と読むと、

天下やこの世界のことと云う意味があるんです。

つまり、「六合」とは、
東西南北の四方に天地を加えて、

宇宙をも包含するこの世をあらわしていると云う分けです。

と云う分けで、
この「六合」、そのままで「くに」とも読ませます。

これ、辞書にもある読みです。

その六合(くに)を捨て、
親の許さぬ仲の男女が見知らぬ他国へ逃げ行くを、

「駆け落ち」と云いますね。

江戸時代の駆け落ちは命懸けで、
浄瑠璃などでは、心中につながることが多い。

つまり、近松門左衛門の作品では、
その多くが、「駆け落ちは心中を覚悟した道行」として描かれることが多い。

これが昭和となると、
「命を懸けても添いたい」と云う覚悟は同じでも、

「一緒に死ぬこと」が、
“愛の成就”とまではならないのが普通です。

「連れて逃げてよ」と歌う歌謡曲、
「矢切の渡し」は、哀切な歌いだしですが、

最後には、「明日へ漕ぎだす別れです」と希望もうかがわせる。

ま、それも21世紀となった今では、、
心中どころか、駆け落ちさえも聞かなくなり、

もはや、
「古典の世界」で覗き見するだけの物語となりましたが。






コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。