漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

「津波の墓標」を読んでください

2016年03月11日 | 
震災の翌日から始まった人名救助は、
実質、遺体捜索だった、と石井光太著「津波の墓標」は書いている。

ほとんどの人が津波で命を落とし、
たとえ瓦礫の下に生存者がいたとしても
三月の極寒の夜をずぶ濡れのまま明かすことは難しかった、とも書いている。

地震の第一報を見てすぐ現地に行った著者は、ナマの遺体を見ることになる。

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私は車を止めて冠水してない道を歩いていた。
しばらくすると、瓦礫の山の上に自衛官が何人か集まっているのが見えた。

 (中略)

人垣の間からのぞいてみると、
自衛官が車の窓ガラスを割り、遺体を引っ張り出そうとしている最中だった。

だが遺体は硬直して
体を捻じ曲げたままで枠に引っかかってしまい出てこない。
運転席に座ったままで硬直してしまっていたのだろう。
周りにいた人たちは青ざめた顔をしてそれを見つめている。

傍にいた上官らしき自衛官が言った。
「もういい。先にこっちの遺体を運ぼう」
見ると傍に二体の遺体が毛布をかけられたまま横たわっていた。
こちらも車の中で発見されたのだろう。
シートにすわって手を伸ばした姿勢でかたまっていて、毛布が不自然な形に盛り上がっている。

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~

テレビの地震報道で遺体を見ることはなかった、
だがこの本には、ゴロゴロと遺体のころがるナマの震災が有る。

何万人もの方が亡くなられたのだから、
それは当然のことなのだ。

その当然のことを、私はこの本を読むことで実感した。






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