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祖谷渓挽歌(いやだに・ばんか)~藍 友紀(あい・みゆき)著

「2007年自費出版文化賞」大賞受賞作品の紹介およびその周辺事情など。

2014-6-14/あい・みゆき(藍 友紀)作「ふみ子抄」第11回ほか・自衛隊

2014-06-14 22:28:51 | Weblog
  ** 武器を持つなら、そら行け戦場へ! 歴史は繰り返す そして敗戦

<自衛隊>陸自と海自760人 佐世保の街をパレード

毎日新聞<自衛隊 6月14日(土)19時35分配信


>陸自と海自760人 佐世保の街をパレード


パレードに抗議する市民団体の前を行進する陸自西方普通科連隊の隊員たち=佐世保市島瀬町で2014年6月14日午前11時46分、梅田啓祐撮影


 長崎県佐世保市の陸上自衛隊相浦駐屯地と海上自衛隊佐世保地方隊は14日、同市中心部のアーケードを約1キロにわたってパレードし、小銃を携行した隊員ら約760人が参加した。パレードは「新入隊員の紹介と、自衛隊の真の姿を市民に見てもらうこと」を目的に2002年、同駐屯地の創立記念行事として始まったが、11回目の今回、初めて海自と合同で実施した。

【写真特集】自衛隊:銃器携行し金沢市パレード 47年ぶり

 多くの市民が沿道から拍手を送る一方で、市民団体約150人が抗議集会を開き、パレードの横で「集団的自衛権の行使容認反対」「子供に銃を見せるな」などと抗議の声を上げ続けた。

 同市の男性会社員(58)は「子供の晴れ姿を見に来た。日本のために頑張ってほしい」。長崎市の主婦(45)は「駐屯地内でやればいい。わざわざ銃を持って商店街を歩く意図がわからない」と話した。【梅田啓祐】
.

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<このパレード、事前に中止申し入れもあった>

最終更新:6月14日(土)22時6分

  * いざ行け、つわもの、日本男児!
     讃えて送る一億の
     歓呼は高く天を衝く

     羹に懲りず、羹を繰り返す

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あい・みゆき(藍 友紀)作「ふみ子抄」第11回
(  二 )

 この学生は八木精一と言い、東大で西洋史を専攻している。家は東京山の手の住宅街、渋谷か
ら東横線で五つ目の学芸大学駅の近くだから、駒込は通学コースとは正反対の方向になる。
 それが何故、土地勘もない駒込の方へ出かけてきたのか。実は彼、火曜と金曜の週二回、放課
後、王子の戸田家で家庭教師のアルバイトをしているのである。
 このアルバイトを世話したのは、東大教養学部からの精一の同級生で内山継夫という真面目な
青年だ。その内山が、昭和三十一年十一月初めのある日の午後、学生食堂付属の喫茶室「メトロ」
でコーヒーを飲みながら、精一にこんな話をした。
「八木さん、このごろ又、講義に余り出てきてないでしょう。仏文や国語の授業は、よく盗聴し
てるそうだけど、…西洋史は馴染めませんか?」
「いやあ、御心配をかけて済みません」と精一は頭を掻いた。[実をいうと、もともと僕は西洋
史の知識が皆無なんですよ。一高の理科に合格した時にも、西洋史の試験は百点満点で五点だっ
たそうで、林先生に笑われたんですよ。その君が西洋史に来ると聞いた時は、腰が抜けるほど驚
いたよ、って言われちゃったんだよ」(つづく)
 

2014-6-13/あい・みゆき(藍友紀)作「ふみ子抄」第10回ほか

2014-06-13 16:13:55 | Weblog
 
国民投票年齢、4年後18歳に=改憲環境整う―改正法成立

時事通信 6月13日(金)10時48分配信



 国民投票法の投票年齢を「20歳以上」から4年後に「18歳以上」へと引き下げる改正国民投票法は、13日午前の参院本会議で与野党8党の賛成多数により可決、成立した。投票年齢の確定で国民投票を実施する法的環境が整い、憲法改正が現実味を帯びることになる。
 改正法は与党と民主、日本維新の会、みんな、結い、生活の各党が共同で衆院に提出した。採決では、衆院に議席のない新党改革を加えた8党が賛成。共産、社民両党は反対した。 
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最終更新:6月13日(金)11時42分


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 *あい・みゆき(藍友紀)作「ふみ子抄」第10回ほか

 学生がカツライスを半分ほど食べた時、一人のサラリーマン風の若い男が店に駆け込んで来た。
常連なのだろう。
「一番早く食べられる物は何?」とマダムに訊く。
 マダムが、「それはカレーライスよ」と答えると、
「じゃ、それ。大至急で…。四時半に駅で客と会う約束なんだけど、腹が減って・・・」と言う。
 やがて出されたカレーライスを、男はスプーンに山盛りに載せてガッポガッポと河馬のように
平らげると、百円玉を机の上に置いて、釣りも貰わずに飛び出して行った。
 学生がカツライスを食べ終えたのは、だいぶ後である。水も全部、飲んでしまってから、伝票
と千円札を持って、ふみ子のところにやってきた。ふみ子がカウンターをチラと見ると、マダム
もマスターもいない。彼女は困った。計算が得意でないのだ。だから、この店に勤め始める時に
は、姉の春江が付き添ってきて、「会計は勘弁してもらえません?」と頼んだのである。飲食店
で会計抜きの勤務というのは、店によっては通らない。けれども、「ビアン」の主人は、ふみ子
を気に入った。
「どうせ俺も家内も店にいて、料理を作らねばなんねえだ。だから釣りのいる会計は、カウンタ
ーに持ってきてくれればいいよ。レジもカウンターの中に置いておくから大丈夫だ』と、採用を
決めてしまった。というわけで、ふみ子は安心していたのである。だが、今日は何故か夫婦そろ
って姿が見えない。ふみ子は困った。そこで、
「カツライス、七十円なんですけど、細かいの、お持ちじゃありません?」と訊いてみた。
 すると学生は、
「ちょっと待ってください」と言いながら、小銭入れを開けて数え始めた。
 だが彼も不器用らしい。なかなか、うまく数えられない。指先が震えるらしい。とうとう、小
銭入れを床に落としてしまった。十円玉や五円玉、 一円玉などが、床のジュウタンの上にパッと
散った。それを、あわてて拾う姿が面白い。ふみ子は思わず吹き出しそうになったが、すぐに、
ここは笑ってはいけないと気づき、拾うのを手伝った。
 学生は小銭を拾い終えると、改めて数えなおした。そして七十円ちょうどを、ふみ子の持って
いた銭皿に入れると、頬を赤らめながら、「御馳走さま」と蚊の鳴くような声で言って、店を出
て要った。(つづく)

2014-6-12/あい・みゆき(藍友紀)作「ふみ子抄」⑨ほか

2014-06-12 13:39:40 | Weblog

「日本側が接近」と映像公開=異常接近に反論―中国国防省
 【北京時事】中国国防省の耿雁生報道官は12日、東シナ海の公海上空で中国軍の戦闘機が自衛隊機に異常接近したと日本政府が発表したことについて談話を出し、日本の戦闘機2機が中国機の30メートルまで接近・追跡し、「中国側の飛行の安全に重大な影響を与えた」と反論した。その上で「国際社会をだまし、わが軍のイメージをおとしめ、地域の緊張をつくり出した」と日本側を批判し「中国側はさらなる措置を取る権利を留保する」と警告した。(時事通信)
[記事全文]

◆中国が公開した映像
・ 中国国防省が公開した映像(中国語) - 中華人民共和国国防部
・ Yahoo!翻訳 - Yahoo! JAPAN

◆中国「国際社会を欺く」
・ 中国機接近に対する日本の抗議、「国際社会を欺く」=中国当局 - ロイター(6月12日)

◆2度目の異常接近に日本は抗議
・ 中国機異常接近、大使呼び厳重抗議…外務省 - 読売新聞(6月12日)
・ 中国軍機による自衛隊機への接近について - 防衛省・自衛隊(6月11日)

  ・歴史は繰り返さず 柳条溝、盧溝橋とはまったく違う、いざ香ぐわしき秋津島 頑張れ、我らが安倍さん




    ***脱原発こそ、文明国の資格***


敷地内に本社を=東電柏崎刈羽原発で―泉田新潟知事

時事通信 6月11日(水)13時8分配信


 新潟県の泉田裕彦知事は11日の記者会見で、運転停止中の東京電力柏崎刈羽原発について、「本社が別にあることが、緊急時に責任を持って対応できない足かせになっている」と述べ、東電から分社化して同原発敷地内に本社を置くべきだとの考えを示した。
 同原発をめぐっては、東電が再稼働を目指しているのに対し、泉田知事は福島第1原発事故の検証と総括が先と主張している。会見で知事は「東電社長の頭の中はまず(福島第1原発の)汚染水、廃炉をどうするか、賠償をどうするか、そのための資金をどう借りるかでいっぱいになる。安全対策にどうしても思考が回らないことになってしまう」と強調。その上で「安全を考えたときに責任を持って対処できる態勢を考えると、本社は世界的に見れば、サイトの中にある方が望ましいのではないか」と述べた。 
.

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最終更新:6月11日(水)13時13分

時事通信

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あい・みゆき(藍 友紀)作「ふみ子抄」⑨~藍 友紀(天城ハイランド)

 メニューとはいっても、載っているのは、カレーライスとハヤシライス、かつライス、それに
サンドウイッチ、コーヒー、アイスコーヒー、ミルクコーヒー、ココア、紅茶、それにショート
ケーキの10種類だけである。この店は、三年余り前に若い夫婦が始めたもので、ふみ子が入る
までは人も使わず、夫婦二人だけでやっていた。テーブルも六つしかない。とにかく、ささやか
な軽食堂なのである。
 学生はしばらく迷った末に、
「かつライスを頂けますか?」と、ふみ子に訊いた。
 すると、ふみ子ではなく、カウンターの中から、マダムが答えた。
「かつライスはご注文を頂いてから揚げますので、十分くらいかかりますが、よろしいでしょう
か?」
 学生は、ハー、と答えたらしい。声は聞こえなかったが、口が僅かに動いて、うなずいた。マ
ダムは早速、油の入ったフライパンをガス台の上に載せた。
 やがて、ふっくらとしたカツが揚がった。それにスープとご飯を添え、フォーク、ナイフ、ス
プーンと一緒に、ふみ子が運んで行った。そして戻ってきた途端、学生が、、アッと小声で叫ん
だ。ふみ子は何かと思ったが、事を荒立てても仕方がない。何か言われるまでは黙っていること
にした。
 学生が叫んだ理由は、すぐに判った。彼はカツを切ろうとして、ナイフを床に取り落としたの
である。その時、アッと言ったのだ。しかも、ナイフを拾おうとテーブルの下に首を突っ込んだ
ら、今度は左手のフォークまで落としてしまった。
 マダムも気づいて、ふみ子に新しいナイフとフォークを持って行かせた。すると学生は、ごめ
んなさい、と謝った上で、
「ボクは洋食を食べつけていないので、すみません。出来たら箸を頂けませんか?」と言う。
 ふみ子は、にっこり笑って箸を持って行った。実は彼女自身もフォークとナイフは苦手だった
のである。(つづく)

2014-6-11/ここで頑張れない公明党なら自民に吸収合併されるべき。ほか

2014-06-11 13:55:33 | Weblog
  *  集団的自衛権 今国会中の閣議決定めぐり、自公でぎりぎりの攻防


集団的自衛権の行使容認をめぐり、自民党は、22日までの今の国会中の閣議決定を目指しているが、公明党は、依然、慎重な議論を求めていて、ぎりぎりの攻防が続いている。(フジテレビ系(FNN))

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        あい・みゆき(藍 友紀)作「ふみ子抄」⑧~藍 友紀(天城ハイランド)

 最近の大学生は、だんだん帽子をかぶらなくなってきている.ペンの徽章を誇りにしている慶
応の学生などは必ず帽子をかぶるが、それは今や例外である。
 ところで、ふみ子は貞夫のことを考えていたので、うっカリ<いらっしゃいませ>を言うのを
忘れた。学生は思いがけなく客が誰もいないので、たじろいだらしい。一瞬、困ったような顔を
して突っ立っていたが、そのまま、帰ってしまいそうな気配である。それにカウンターのマダム
が気付いた。すぐに、
「いらっしゃいませ」と声を掛けると、ドアの陰にいたふみ子も、あわてて、<いらっしゃいま
せ>と、学生の背後から呼びかけた。
 すると学生が、驚いた様子で振り向いた。そんな所に、人がいようとはおもわなかったのだ。
ふみ子が急いでコップに水を入れて盆に載せ、
「どちらのテーブルになさいます?」と訊いた。
 すると学生は、「ハー」と一応は返事をしたが、なおも数秒間は、焦点の合わない視線をふみ
子に向けて立ち尽くしている。しかし、ふみ子が、
「どちらのテーブルになさいますか?」と、もう一度訊くと、また「ハー」と言いながら、目の
前のテーブルの向こう側の椅子に座った。テーブルの上には、小さなボール紙の衝立が置いてあ
理、メニューが書いてある。それを学生は手に取ったものの、目でも悪いのか、読んでいる様子
はない。視線が宙をさまよっているようで、なかなかオーダーをくれない。
 この日、ふみ子は、如何にも洗いざらしといった感じの、色褪せた小豆色のワンピースを着て
いた。しかも腰の所には共布のベルトが縫い付けてある。流行遅れも甚だしい。更に、その生地
たるや、五月と言うのにネルである。見るからの暑そうだ。そのせいか、彼女は頬から咽喉にか
ケて、ひどく汗を書いている。それが、ちょうど、火傷の跡のように見える。
 ふみ子は、何とはなしに、バツの悪さを感じたので、
「オーダーがお決まりになったら、呼んでください」
と言って、カウンターの所へ戻ってきた。(つづく)



2014-6-10/あい¥みゆき作「ふみ子抄」⑦ほか・従軍慰安婦問題

2014-06-10 15:07:36 | Weblog

南京・慰安婦の史料、記憶遺産申請=「対日共闘」で韓国支援―中国

時事通信 6月10日(火)17時15分配信



 【北京、ソウル時事】中国外務省の華春瑩・副報道局長は10日の記者会見で、旧日本軍による南京事件と従軍慰安婦に関する史料について、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産への登録を申請したと明らかにした。申請には、歴史問題で対立する日本の安倍政権をけん制する狙いがありそうだ。
 申請したのは中国国内の歴史資料館などに保存されていた史料だが、詳細は不明。吉林省の資料館は今年に入り、南京事件や慰安婦などに関する史料の公開を進めており、中国側がこうした史料を登録申請した可能性もある。
 華副局長は、今回の史料について「重要な歴史的価値があり、申請基準を完全に満たしている」と主張。申請目的については「歴史を刻み、人道や人類に反する罪を二度と起こさないようにするためだ」と訴えた。

あい・みゆき(藍 友紀)作「ふみ子抄」⑦~藍 友紀(天城ハイランド)


「儂の稼ぎが足りないんで、おフミに頼ることになるのか」この父は、ふみ子を三年間、末っ子
と思って育てた。だから十人いる兄弟姉妹の中でも、ふみ子を今も、一番、可愛がっている。怪
我をさせたことについても、親の気遣いが足りなかったからだと、責任を感じている。そのふみ
子に、こんな苦労をさせるのも、所詮は自分に甲斐性がないからだ。そう思うと、目元に涙がた
まってくる。それを人には見せまいと,拳の裏でそっと拭い取っては、心の中でふみ子への詫び
の言葉を、口には出さずに繰り返すのだった。
 しかし、この家の采配は、もともと妻のフジが握っている。そのフジは女の子には厳しい分、
男の子には甘い。女が働いて、男に尽くすのが、この世のしきたりだと思っている。とくに、ふ
み子は怪我で多額の出費をさせたというので、償いをするのが当たり前だと考えている。だから
吉三郎が俯いて、擦り切れた畳の藺草の裂け目を見つめているのとは対照的に、貞夫の肩に手を
置いて、
「貞夫ちゃん、よかったねえ。ふみ子姉ちゃんが働いて、学費を出してくれるってさ」
と、にんまりしている。すると貞夫も諦めたのか、
「仕様がねえなあ。じゃあ、高校へ行ってやるよ」ふてくされたように、言うのだった。
 次の日から、ふみ子は読めない新聞を春江に読んでもらっては、勤め口を探した。文盲の彼女
に出来そうな仕事は少ない。その中から、ふみ子は駒込駅に近い「ビアン」という軽食堂を選ん
だのだった。
 あれから、もう二年がたつ。慣れたとはいえ、立ちづくめの仕事はつらい。配膳する盆も次第
に重く感じられるようになり、腕や腿が痛む。しかし貞夫も、この四月、三年級に進んだ。
「もう一年だわ。がんばらなくっちゃ!」ふみ子は自分に言い聞かせる。そうすると、その場に
座り込みたくなるような疲れでも、何とか、こらえることができるのだ。
 時刻は、やがて四時になるところだ。あと二時間あまりで、遅番の貴子と交代である。その時
間が待ち遠しくて、時の流れが遅く感じられる。

 その時、一人の学生がドアを押し開けて入ってきた。黒い詰襟の服をきちっと来ているが、帽
子は被っていない。(つづく)

英断! 消費税減税?/2014-6-9/あい・みゆき(藍 友紀)「ふみ子抄」⑥ 他

2014-06-09 01:21:16 | Weblog
*  法人減税、来年度から着手=参院決算委―安倍首相
 安倍晋三首相は9日午前の参院決算委員会で、法人税の実効税率を2015年度から引き下げる方針を改めて明言した。首相は「世界が注視しているのは法人税の実効税率がどうなっていくかということだ」と指摘、「経済成長をしっかり進めていく上で法人税改革も行っていく。来年度から引き下げに着手する」と表明した。 (時事通信)

  法人減税とあるが、消費税減税の間違いだよね!

*<秋葉原無差別殺傷>事件発生から丸6年

 東京・秋葉原の歩行者天国で7人が死亡、10人が重軽傷を負った無差別殺傷事件は8日で発生から丸6年を迎えた。事件現場となった交差点前の一角には花束や缶ジュースが供えられ、手を合わせる人の姿も見られた。(毎日新聞)

  * 悲惨な事件を繰り返さないことを祈る。高騰を続ける物価にも注意。ともに政府の責任大。

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 あい・みゆき(藍 友紀)「ふみ子抄」⑥

 幸いだったのは、中学の校長が気のいい人で、ふみ子の就職先を心配してくれたことである。“とにかく気立てのいい子だから”と、文部省のお茶くみ給仕に丸特印をつけて推薦してくれたのである。
 けれども実務についてみると、時には文書の複写なども言いつけられる。そんな時には、仲間の給仕に頼まねばならず、つらい思いをした。なかに得物、意地の悪い古参の給仕がいて、「あんた、字くらい覚えなさいよ!」と繰り返し厳しく叱責され、結局は辞めるより仕方がなくなった。
 その後、ふみ子は姉の春江に新聞広告を読んでもらい、和菓子作りの工場に行った。八人でチームを組み、流れ作業で菓子を作るのである。しかし、ふみ子は頭の手術の過程で運動機能に障害が残ったらしい。どうしても、皆の作業に追いつかない。作りかけの菓子の山が、ふみ子の前にできてしまう。見かねた仲間が、一番簡単な作業を割り当てるなど、いろいろ工夫をしてくれた。だが、それでも彼女の前は次第に菓子の山になってしまう。それでも、個々の仲間は貧乏人が多いせいか、みな親切だった。交代で彼女の作業を手伝う方式を試みたり、最初の作業を彼女に割り当ててくれたりした。この優しさは嬉しかった。だが居づらさは残る。三か月頑張ってみたが、作業hが素早くできるようにはならなかった。結局は、ご迷惑をお掛けしました、と工場帳に頭を下げて、辞めることになってしまった。
 その後は家で父の煮豆つくりの仕事を手伝ったりしていたが、そこへ持ち上がったのが、弟貞夫の中学卒業である。
 貞夫自身は勉強が嫌いだったので、、高校へは行きたがらなかった。
「俺、就職して自由に暮らしたいナ」と言う。両親も就職に賛成するので、貞夫は喜んでいた。
 dが、日頃おとなしいふみ子が、珍しく強い口調で反対した。彼女は学校を出られなかったために、ずいぶん辛い思いをしてきた。その苦労を、貞夫にもさせるのが耐え難かったのである。彼女は弟に高校へ行くよう勧めた。しかし貞夫は、その勧めをうるさがって言う。
「父うさんだって、俺が就職するのを喜んでる。第一、学費がもったいないよ。それでなくても家は貧乏だしさ」
「学費だったら、私が出してあげるわ。最近は結構な給料をくれるお仕事もあるようだから。寝、高校へ、行きなさい」と畳み掛ける姉のふみ子に、
「うるせえなあ。俺の好きにさせてくれよ。丁稚だって小遣いくらいはくれる。それを自由に使って、少しは遊んでみてえんだよ」
 しかし、ふみ子は説得を続ける。ふみ子の年子の姉、春江も、貞夫に進学を勧める。
「貞夫ちゃん、ふみ子ねえさんの言う通りよ。遊ぶことばかり考えてちゃダメ。とくに、これからの男は高校くらい出ていないと、後で困るのよ」と睨みつける。
 ふみ子は、とうとう父親に言った。
「あたしが働いて、間違いなく貞夫ちゃんの月謝を払うから、いいでしょ。お父さん、お願い」ふみ子に手を合わされて、吉三郎は涙ぐんだ。「儂の稼ぎが足りないんで、おフミに頼ることになるのか」(つづく)

2014-6-8/あい・みゆき(藍 友紀)「ふみ子抄」⑤ 他

2014-06-08 00:04:26 | Weblog

「混合診療」、15年度から拡大 新成長戦略に明記へ  :日本経済新聞


 政府は公的保険が使える診療と保険外の診療を併用する「混合診療」の対象を2015年度から拡大する。患者の選択肢を増やすとともに、医療技術の革新を促す。月内にまとめる成長戦略に混合診療を「大幅拡大」する

* 貧乏人の医療が切り捨てにならないように、頼みまっせ。成長か、破壊か。

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JA全中廃止に「対案」、自民が新組織を検討
 自民党は7日、政府が検討している全国農業協同組合中央会(JA全中)の廃止を柱にした農協改革案について、大筋で容認する一方、JA全中に代わる一定の権限を持った新たな組織をつくる方向で検討に入った。(読売新聞)
[記事全文]

◆JA全中、5年後をめどに廃止へ
・ <農業改革>政府 JA全中の廃止容認 5年後をめどに - 環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉などで農産物の市場開放を迫られる中、農協改革で農業の競争力を高める必要がある。毎日新聞(6月6日)
・ 農協改革って何をするの?そもそも農協ってどんな組織? - THE PAGE(5月23日)

◆JA全中会長は廃止を批判
・ <JA全中>万歳会長「農協壊す提言、危機感覚える」 - 毎日新聞(6月5日)

JA全中会長「農協壊す提言」(5日) / JA全中廃止へ 5年猶予で調整(3日) ...

* 昭和29年、全中なる組織が作られたのは、体制的農協の復活と、それに抵抗する農民組合とのせめぎあいの中で、だった。当時は農民を農協ぐるみで体制に組み込む反動的役割を果たすことが少なくなかった。その全中が政治の右傾化、農民無視の方向に動くのにつれて全中の運動方針も次第に変わり、今はTPP反対運動の旗を振っているように見える面もある。その全中を政府はどうしようとしているのか、この新たなる改変は農民の経営と生活にどのような影響を及ぼすのか、農民の監視の目をかいくぐりながら政治は動く。その結果に注目。

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あい・みゆき(藍 友紀)「ふみ子抄」⑤



当時は抗生物質も無ければ、CTも無い。せいぜいがレントゲンという粗末な医療技術だけで、
脳に入った毒物を完全に除去することは出来なかった。何度もの手術を繰り返し、ようやく化膿
が止まったかと見て退院すると、ひと月もたたないうちに又、化膿が始まる。あわてて病院へ戻
って再手術をする。数か月の治療で、ほぼ回復したとみて退院する。しかし数週間を経ると又、
再発する。結局、小学校へも中学校へも殆ど行けなかった。試験は無論、授業にさえ殆ど出られ
なかったのだから、学業を覚えようにも覚える間がない.入院生活の間の僅かな期間、学校へ行
っても、何かが覚えられるというものではない。それでも中学までは、戦後の学制改革で義務教
育になっていたから、落第はない。何も解らないまま、進級させられてしまう。やがて十五歳に
なると、中学の卒業証書を渡された。昭和二十六年、新制中学三期目の卒業生である。とはいえ、
文盲のままの卒業と言うのは、何とも悲しいことだった。
 中学を卒えると、ふみ子は直ぐに仕事に就いた。文盲のふみ子に進学は無理である。しかし、
それ以上に、就職は母フジからの強い要望だった。何せ健康保険の無い時代である。市電に撥ね
られた時の治療には、多額の出費をした。それを出来るだけ早く返してほしい、というのである。
母は、ふみ子の結婚も諦めていた。男の子なら多少の傷や怪我はあっても、仕事や結婚が全くダ
メとは言えない。努力と工夫で乗り切れる。けれども女の子は、そうは行かない。それが致命傷
になって、結局は親兄弟が面倒を見なければならなくなる。そう考えるフジは、<いっそ、あの
時、なまじ生き残るよりも、いっそ死んでくれていた方が良かった>と、よく人に話した。
 もともと、フジも読み書きは出来ない。しかし簡単な計算はできた。五体も丈夫で、病気もた
まに軽い風邪をひく程度である。だから煮物屋の女将として店番をしている分には、何も不自由
を感じなかった。そのため、女の子の教育などには、何の意味もない、と考えていた。それでも
四女の清子にだけは女学校をやらせた。小学校の担任が、義務教育だけでやめてしまうのは惜し
いと強く進学を勧めたからである。とは言っても公立は無理で私立の女学校だったので、そこそ
こ高い学費を取られた。だが結果は、どうということもない。日本橋の生地問屋で、事務補助と
いう職場を得るのが精一杯だった。それでも気位だけは無闇と高くなり、幾つかあった縁談も、
みな不満で断ってしまう。そのうちに忽ち三十娘になってしまった。三十娘と言うのは当時の流
行語で、“婚期を逸して貰い手が無くなった女性”を揶揄して、そんな呼び方をしたのである。
今の時代なら一種の差別語とも言える言葉だが、当時の結婚年齢は女性の場合、二十五歳ごろに
は大方片付いており,二十六、七歳というと、かなりトウ(棹)が立つた、などと言われたもの
である。清子の場合も、結局は独身で通す道を選ぶことになってしまったので、母のフジとして
は、もう“女の学校は懲り懲り”という気持ちだった。清子の妹、五女の春江は、その煽りをモ
ロに受けた。彼女は小学校の成績がクラスで三番だったにも拘わらず、否も応もなく就職させら
れた。
 こんな状態だから、卒業後のふみ子には選択の余地もなかった。直ぐに就職して、怪我の治療
費を返すよう、しばしば催促された。父、吉三郎の考えは少し違った。彼は、ふみ子を溺愛して
いたので、怪我の責任も大部分は子の面倒を見きれなかった親にあると考えて、できれば、ふみ
子を家におきたい、仕事も母の台所を手助けするくらいでいいではないか、と考えていた。しか
し、この父は、なぜかフジに頭が上がらない。いつものことながら、結局は何も言い出せず、フ
ジの言いなりになっているより仕方がなかった。(つづく)


2014-6-7/あい・みゆき(藍 友紀)「ふみ子抄」④~天城ハイランドにて執筆

2014-06-07 02:56:23 | Weblog
あい・みゆき(藍 友紀)「ふみ子抄」④~天城ハイランドで執筆

(この物語の内容)・・・「パパ。いったい私は誰を恨めば、いいの?」ーーーおとなしい一方のふみ子が、
自らは何の落度もなかったにも拘わらず、周辺関係者らの相次ぐミスによって、「胆嚢癌」という恐ろしい病に侵され、
余命数か月と宣告されて無念さを隠しきれない。もはや医師たちの対策も尽き果てた中で、彼女は迫りくる死をみつめながら、
これまでの幸せと不幸の交錯する日々を振り返って自らの悲運を慰める。その過程を描いたのが本編である。

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 運転手が急ブレーキを掛けた。しかし、その時には、ふみ子の上半身は側溝の泥の中に頭から
突き刺さっていた。もちろん運転手は、電車から飛び降りた。そして自分も泥水につかりながら
女の子を抱き上げた。前日に雨が降ったこともあって、側溝には汚泥がたまっている。引き上げ
られた女の子の顔は泥に覆われて目鼻もわからない。首の下に大きな傷口があるらしく、そこか
ら真っ赤な血が流れ出ている。既に意識は全く無い。息をしている気配も感じられない。
「死なせちまったか!」呆然と女の子を抱いた運転手のズボンも靴も、汚泥の悪臭を放っている。
 只ならぬブレーキ音を聞いて、近くに居合わせて通行人が、一斉に走り寄ってくる。電車の乗
客らも、みな降りてくる。近くの家々からも人が集まってきた。
 だが、ふみ子は依然として意識がない。大声で呼びかけても、反応はない。手も足もだらりと
ぶら下げたままで、ぴくりともしない。「即死だナ」と年輩の男が言った。だが運転手が女の子
の口近くに耳を押し当ててみると、かすかながら呼吸音らしい音が、不規則に聞こえるようにも
思える。だが、何せ出血がひどい。顎の裏側から頸へかけて大きな裂け目ができており、そこか
ら今も血がほとばしり出ている。すでに大量の血が噴き出したことが、衣服の汚れからも推察で
きた。
 当時は救急車が、まだ無かった。代りに警察の車が来た。近所の人がコタツ蒲団を持ってきて
くれた。後部座席に、その蒲団を敷いて、病院へ運ぼうというのである。病院が近いのは幸いだ
った。もし遠かったら、搬送途中の出血だけでも、女の子は死んでしまう。有難いことに一キロ
と離れていない所に、東京都立豊島病院があった。
 彼女が運び込まれたとき、医師たちは手当をしても無駄だと思った。あと一時間か二時間か、
治療の途中で患者は間違いなく息を引き取ると考えた。
 しかし最年長の老医長が、彼女を見捨てなかった。彼は食事も取らずに治療を続けた。もちろ
ん戦争真っ盛りの昭和十五年である。世間では軍と政府を中心に、“紀元は二千六百年”などと
中国由来の占いを宣伝し、鳴り物入りでお祭り騒ぎを演じている。だが泥沼に入った戦争は四年
目に入り、物資は急速に欠乏している。薬も繃帯も人でも足りない。一人の女の子の命など、ど
うでもよい、という風潮さえ、世間には流れていた。
 しかし、この老医長は、子供一人の命を、国家よりも、地球全体よりも大切と考えている。彼
は睡眠さえも取らずに手当を続けた。脳の奥まで流れ込んだ泥水を洗い流し、なおも後に残って
いる毒素を取り除こうと、老骨にムチ打っての必死の医療である。そして、とうとう翌朝早く、
「命だけは取り留められるかもしれません」と、廊下で仮寝していた吉三郎ら家族に告げた。ふ
み子思いの吉三郎は、廊下に額をこすり付け、涙を流して老医長に例の言葉を繰り返した。
 けれども当時は抗生物質もCTもない。せいぜいがレントゲンという粗末な医療技術だけで、脳
に入った毒物を完全に除去することは出来なかった。(つづく)



(つ
づく)

2014-6-6/あい・みゆき(藍 友紀)作「ふみ子抄」 ③~天城ハイランドにて執筆

2014-06-06 00:10:34 | Weblog
あい・みゆき(藍 友紀)作「ふみ子抄」③

 行列は大塚台小学校の脇を廻って、向原の手前で東京市電の荒川線の線路を渡った。線路の向
こう側にある広場で、野天興行を始めようというのである。この荒川線は市電としては珍しく,
ほとんどの区間が、家々の間を縫って走る専用の軌道を持っている。普通の路面電車とは、ちょ
っと趣が違うのである。そのため、道路や路地との交差点はすべて踏切となる。しかし、当時は
まだ殆どの踏切に遮断機も無ければ、戦後に取り付けられるようになった警報機も無かった。と
くに雑司ヶ谷から大塚駅にかけては小さな無人踏切が林立している。そこで“踏切銀座”と呼ば
れ、東京の観光名所の一つになっているほどだ。この踏切を、人と電車が互いに注意しながら通
過するのだが、当時は“歩行者優先”などという洒落た言葉は、まだ発明されていなかった。ど
ちらかと言えば、人は目下だ。おづおづと道路の端を通り、車や電車は天下御免で、「下に居ら
う、下に居ろう」と傍若無人に走る風さえあった。
 その踏切並木の一つを、辰ちゃんの率いる子供軍団は、渡り始めたのである。もちろん辰ちゃ
んは、電車が来ていないのを確かめて渡ったのだ。だが、この辺りの線路は、カーブや坂が多く
て見通しは悪い。一方、子供の軍団は、歩いているうちに、大分、長くなっている。その行列の
半分ほどが踏切を渡った時、立ち並ぶ家の陰から、突然、電車が現れたのだ。
 子供らの行列を見た運転手は、急ブレーキをかけて電車を停止させた。そして子供らが渡り終
ったところでブレーキを外し、運転を再開した。実際、そのつもりだったのである。
 ところが一人、幼いふみ子が、行列より七、八メートル遅れて走ってきた。行列に追いつこう
と、心もとない足取りで一生懸命である。そのため、ふみ子には走り始めた電車が見えなかった。
電車の運転手も、子供たちは渡り終えたと思い込んでいる。時間の遅れを取り戻そうと、スピー
ドを上げようとした。その瞬間、ふみ子が線路に飛び込んできたのである。たちまち、ふみ子は
電車に跳ね飛ばされた。そして頭から、泥水の溜まった側溝へ叩き込まれた。(つづく)

2014-6-5/あい・みゆき(藍 友紀)作「ふみ子抄」 ②~天城ハイランドにて執筆

2014-06-05 01:15:05 | Weblog
 ふみ子② あい・みゆき(藍 友紀)著作権所有

しかし、ふみ子が末っ子として甘えていられたのは三つまでだった。ふみ子が生まれて一年近
くたった昭和十二年七月七日夜、日本の大陸進攻が始まった。盧溝橋の夜空に轟いた一発の銃声
に端を発したシナ事変は、わずか五か月で中華民国の首都、南京を陥落させた。だが敵の総統蒋
介石は、首都を奥地へ奥地へと移動させ、とうとうチベットにも近い重慶に移して抗戦を続けた。
こうなっては日本軍は苦しい。食糧は現地の農民らを銃剣で脅して“徴発”できたが、武器弾薬
は日本内地から、長い補給路を延々運ばなければならない。初めは短期決着を目論んでいた日本
の目算は外れて長期戦となってしまった。いきおい戦死者は増える一方である。将来の兵士要員
に不安を抱き始めた軍や政府は、“生めよ殖やせよ”と鳴り物入りで国民に催促した。
 もとより松島夫妻は、政府や軍に従順な普通人である。“お国のため”と言われて、出産に精
を出した。そして昭和十四年、三男貞夫、昭和十五年に七女光子を生んで都合十人の親となり、
政府から表彰を受けた。
 その犠牲になったのが、もとの末っ子、六女のふみ子である。下に幼児が二人も生まれたとな
ると、親たちの目は、今までに比べて、ふみ子から離れがちになる。
親に構ってもらえなくなったふみ子は、自分で独り遊びをみつけねばならなくなった。そんな
時に、思いがけなく街角からにぎやかな太鼓の音が聞こえてきたのである。<何だろう?>一人
ぼっちでの人形遊びにも、そろそろ退屈し始めていたところである。ふみ子は、二階の窓から首
を延ばして、通りを見下ろした。すると通りの右手の方から、、頭に子猿を載せた恰幅のいい小
父さんが、太鼓を叩きながら近づいてくるのが見えた。その小父さんの後には、十五、六人の子
供たちが、はしゃぎながら、ついて来る。手を挙げたり振ったりして、まるで踊っているような
子もいる。その楽しそうな一団を見ると、ふみ子は、もうじっとしてはいられなくなった。急い
で階段を下り、赤い鼻緒の下駄を突っかけると、裏口から表通りへ飛び出した。普段が、おとな
しいだけに、ふみ子が飛び出して行くとは、両親も全く考えなかった。
「おお、猿回しの辰ちゃんじゃないか。いつ帰ってきたんだろう?」と吉三郎。
「よかったのう。無事でーー」と答えるフジ.両親とも、ふみ子が出て行ったのには、気付かず
じまいだった。
 猿回しの辰ちゃんは、以前は頻繁に顔を見せて、子供たちの人気者だった。しかしシナ事変が
始まって間もなく召集され、二年以上、大陸での戦争に狩り出されていた。それが、このほど除
隊となり、帰国したのである。辰ちゃんは、もっと子供を集めようと、太鼓を鳴らしながら勝手
知った町並みを縫って、造幣局の方へ向かっていった。子供たちと言っても大方は小学校の低学
年くらいの子だったこともあって、ふみ子はどうしても遅れてしまう。十メートルも後から、一
生懸命ついて行った。(つづく)