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【まとめ】チャーチル著:第二次世界大戦:第二章:絶頂期の平和

2010-07-17 12:54:55 | 三大宗教統一教義・人文社会
1922年~1931年。

イギリスの首相は、保守党のポールドウィン氏と労働党のマクドナルド氏が交代で政権の座につく状況であった。外交面では、ヒンデンブルグがドイツの首相になり、英、仏、独、白(オランダ)、伊の間で、平和維持のための軍備縮小を取り決めた、ロカルノ条約が1925年に結ばれる。ポールドウィン政権の英外相チェンバーレーンは、この条約の働きかけを評価されノーベル平和賞を受賞することに成り、だれもが、西ヨーロッパの20年は続く平和を夢描いていた。

1929年マクドナルド氏が英の政権を再び奪取。
だが、その年世界大恐慌がおこり、英でも2、300万人の失業者。米で1000万人の失業所が生まれる。

ちょうど、その頃、チャーチルは、インド問題で、ポールドウィン氏と対立。
チャーチルは、ガンジーの釈放は「インドを失うことになる」と強く反対。
やはり、チャーチルはガンジーの力を性格に把握してたようだが、この対立を期にしばらく、内閣から外れることになり、絵を書いたり、小説を書いたりと政治の表舞台からおりている時期がつづく。

マクドナルド氏は老衰で弱っていく中で、恐慌の混乱後の4年間(1931~1935)の任期を過ごすことになるが、その間に、ヒトラーが登場し、世界の混乱がよりいっそう深まることになる。

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