比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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近江の旅・・・木造現存天守・・・築400年の・・・彦根城を尋ねる

2015-12-21 | 古城・城址・陣屋・館跡
彩風人・・・近江から若狭・丹後への旅です。
・・・彩風人の写真帳・・・
(比企の丘からブログのギャラリー開放です)
旅の始まりは新幹線米原駅からJR東海道本線琵琶湖線で彦根へ。
日本に現存する木造現存12天守1のうちの一つ、その中で国宝四城と呼ばれる松本城、犬山城、彦根城、姫路城のうちの一つ・・・彦根城を尋ねました。

二の丸佐波口多聞櫓(国指定重要文化財)。

天秤櫓(国指定重要文化財)。

太鼓門(国指定重要文化財)。

望楼型3重3階地下1階の・・・天守、付櫓、多聞櫓(1952年国宝)。



ひこにゃん・・・彦根城築城400年のイメージキャラクターとして登場。彦根藩の2代目藩主井伊直孝にゆかりの白猫がモデル。
ユルキャラ御三家「クマモン」「ふなっしー」「ひこにゃん」のメンバー。
※撮影は12月13日、カメラはFUJIFIRM X-T10。

彦根城・・・1600年川家の譜代大名井伊直政が高崎藩から石田三成の居城であった佐和山城(現彦根市)に18万石で入城して彦根藩を立藩。2代目直継の時代の1606年現在の彦根城を金亀山に築城。以来、明治時代の1871年の廃藩まで彦根藩の本拠として存続。明治時代の廃城令による破却を免れ解体復元、修復を繰り返しながら現在に至っている。
彦根藩井伊家・・・初代藩主直政(18万石)から3代直孝(30万石)を経て17代直憲(23万石)まで271年間、転封することもなく彦根で明治を迎えた。初代直政は遠江国井伊谷の国人、今川家の家臣であったが今川家滅亡のあとは川家康に仕えた。川家直参ではなく新参者。家康の信任を得て、数々の武勲を上げるととも政務・外交にも秀でた政略家でもあったという。井伊家といえば安政の大獄の中心人物の井伊直弼(1815~1860年)しか知らないのですが・・・「安政の大獄」川将軍家13代目を決める水戸派と紀州派との間の暗闘、ハリスの来航による日米通商条約、朝廷の勅許でいろいろあって攘夷派から反発を受け、これらを弾圧して投獄したのが井伊直弼、「桜田門の変」で直弼は暗殺。攘夷派は明治維新とともに開国派に、彦根藩は明治維新とともに官軍派につくのですからややこしい。


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