比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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エヴェレスト街道・終章

2007-02-16 | 道をゆく インド・ネパール
サヨウナラ・・エヴェレスト、クーンブの氷河。
ゴラクシェブを後にします。なおゴラクシェブから先に有名なエヴェレストのバースキャンプ村があります。こことこの先のサウスコルのあたりのゴミの山については野口健さんや田部井淳子さんがその清掃作業について語ってます。日本の山や里山や都会にも、すべて当てはまる問題です。野口さんの今後の活動を期待します。

ゴラクシェブ(5100m)からロブチェ(4910m)、ペリチェ(4240m)と海抜高度は下がります。
写真はクーンブ氷河の末端です。

氷河の末端は押し出された石ころの堤防(氷河末端堆石=エンドモレーン)になります。写真ではタダの下り坂です。氷河から流れ出した小川クーンブコーラが見えます。左の峰はアマダブラム、右の双耳峰はカンテガ、わずかにタムセルクが見えます。



クーンブ氷河を降るとき白く見えたトゥクラの茶店(ゲストハウス)。この先はU字谷になりエーデルワイスが群落してると本に書いてあります。
左の山肌に沿ってディンボチェへ、クーンブ・コーラに沿ってペリチェへと道は分かれるようです。

クーンブの人々の生活限界はディンボチェまで。ペリチェ、トゥクラ、ロブチェ、ゴラクシェブは夏期の牧畜地カルカです。ペリチェ(4240m)。写真ではヒマラヤンホテルという堂々たるホテル?があり石を積んだ家畜の囲いが見えます。右の写真はヘリポートです。タダの広場です。土埃が巻き上がってます。
写真を提供いただいた松本市のMSさんのトレッキンググループはここから一路ヘリでルクラへ、ルクラから空路でカトマンドゥへ一っ飛びです。

最後に。イロイロな資料を見ても食べ物の話はあまり載ってません。ワカル・・でも・・・
その土地に生まれて育ったものにとってはすべて「命の食」「心の食」です。

 

チョルテン(塔、ストゥーバ)でもないようです。チベットでオボとかラプチェというものだろうか。
タルチョがはためいている。何か道シルベのようでもある。道祖神か?


多民族の国ネパール・・・王政から立憲君主制へ、ふたたび絶対君主制へ、今また暫定的な象徴王位制に、国名から王国の名前が消え、ヒンドゥー教が政治から分離、王を讃える国歌が廃止されました。今後さらに共和制へと移行するのか、しのぎを削っているようです。。カーストの世界も疑問もなく民衆の中に生きているようです。
奥深い山地の谷間の民、そこが貧しいのか心豊かに生きているのか外側の人間にはわかりません。
資料の世界からだけしか思い浮かべることはできませんが、私のフルサトの近く伊那の谷の赤石山脈の麓、大鹿郷や遠山郷のことが眼に浮かびます。全然関係ないが民俗学の「歩く巨人、宮本常一」が歩いたら何を考えるだろうかと思いました。



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