比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

梅雨の合間に・・・秩父ぶらりぶらり・・・羊山公園

2013-06-14 | 道をゆく 秩父路
6月9日、秩父ぶらりぶらり散歩・・・羊山公園にやって来ました。

芝桜の咲いていない芝桜の丘・・・静かです・・・最盛期には40万株の芝桜が咲き誇ります。

秩父の象徴・・・武甲山が背景です・・・最も秩父らしい・・・風と光・・・です。

羊がいます。むかしは県の綿羊種畜場・・・それで羊山・・・かな?
羊山公園・・・約30㌶、北に見晴らしの丘、南に芝桜の丘と分かれています。

大戦中、ここに軍の地下設備の建造計画があったそうです。

見晴らしの丘・・・眼下に秩父の市街地。秩父鉄道の創始者柿原萬蔵の銅像が建っています。

※柿原萬蔵(1860~1919年)・・・江戸時代からの秩父大宮郷の織物商の家に生まれる。1994年、上武鉄道(現秩父鉄道)の設立を提唱、初代社長に。志半ばで病のため弟定吉に社長を任せた。資金難に苦しみながら鉄道が秩父市まで敷設されたのが1914年、実に10年の年月を費やした。銅像の制作者は大戦中に秩父矢那瀬に疎開していた彫刻家北村西望(長崎平和祈念像の制作者)と聞いています。
なぜ柿原萬蔵が私財を投げ打ち秩父鉄道の設立に奔走したのか・・・設立年の1894年、その10年前の1884年この谷を揺るがした秩父事件が起こりたった10日間で悲劇的な結末を迎えました。秩父の谷の命を支える産業振興とその流通のインフラ整備、このことが秩父人の理念だっだのでしょうか。

この木 何の木? 桑の木・・・です
公園の中に桑畑があって、こんな立札がありました。
かつて秩父はお蚕様で命が支えられていました。

わたしの子どものころ、遊びに出れば周りは桑の木でした。
桑の実で口の中を真っ赤にしたことがあります。

いまは・・・桑の木・・・誰も知らないのでしょうか。

武甲山のふもと・・春そばの花盛りの・・・そば処「ちちぶ花見の里」・・・は今

2013-06-02 | 道をゆく 秩父路
6月1日、秩父・・・荒川上田野・・・武甲山が見えます・・・あたりいちめん蕎麦畑・・・
あいにくの曇り空で青空と武甲山と白い蕎麦畑・・・というわけにはいきませんが。

花見の里の「花見まつり」・・・6月1日・2日・・・今です!

 


武州秩父の新蕎麦よりも わたしゃ貴方の側が良い・・・なんてね


     

そば処「ちちぶ花見の里」・・・といっても屋根のある200席のベンチ席。 普通の建物の中のお蕎麦屋さんと違うようです。
※花見の里の情報は・・・クリック→秩父観光ナビ・・・そば処「ちちぶ花見の里」

天空に続く・・・秩父高原牧場・・・ポピー畑.・・・2013年

2013-05-26 | 道をゆく 秩父路
2013年5月26日、秩父高原牧場ポピー畑です。







牧場名物のソフトクリームを食べに秩父高原牧場へ4時ごろ行ったら売り切れ
牛乳もコーヒー牛乳も売り切れ



今週いっぱいは大丈夫です・・・お出かけになってはいかがでしょうか。

※秩父高原牧場のブログ
→2012年6月7日・・・秩父高原牧場・・・天空につづくポピー畑と・・・ソフトクリーム
→2011年6月4日・・・秩父高原牧場で・・・ソフトクリーム
→2009年5月22日・・・秩父高原牧場・・・この広い野原いっぱい・・・咲くポピー

秩父・・・羊山公園・・・紺碧の空と新緑と・・・芝桜の丘の風景

2013-05-18 | 道をゆく 秩父路
彩の国比企の郷の・・・「彩の旅人の写真帳・・・
(今日はに比企の丘からのブログをギャラリーとして開放して友人の素晴らしい写真を展示します)

秩父市営「羊山公園」・・・芝桜の丘

※ブログ「比企の丘から」ではときおりわたしのではない写真をギャラリーとして公開することがあります。いままでハンドルネーム「上田六文銭」「ネパールの風」「彩風人」さんの写真をを公開しましたが、今回はハンドルネーム「彩の旅人」さんの写真公開です。ハンドルネームはわたしが勝手につけました。
これらの写真はいずれも本人から許可をとっていただいたもので無認可ではありません・・・半ば脅迫ですが。写真の選定はわたくし的哲学で選定したもので作品の優劣は関係ありません。

外秩父・・・風布で日本の名水・・・日本水を飲んだ

2013-05-16 | 道をゆく 秩父路
風布の山の頂で秩父事件の最初の狼煙が上がった琴平神社を参拝したあと、峠道を辿って寄居町の下ります。
風布みかん山の中腹から釜伏山あたりを見ています。このあたりに名水「日本水」の給水所があるので行ってみます。

風布の名水「日本水やまとみず)」
源泉は900m離れた釜伏山の中腹、百畳敷岩からしみでているのですが、ここまでパイプで導水して訪れる人に提供しています。

美味しい水・・・です。

風布の集落から山道を辿ると・・・塞神峠・・・外秩父の山なみの稜線上です。稜線を西に下ると長瀞町大字風布(もとは同じ村でした)。
塞神とは・・・悪霊を集落の境、道路の分岐点、峠で塞ぐ神様・・・道祖神、岐の神、障の神、辻の神など。

塞神峠から秩父を見る。下方に長瀞市街、宝登山、中央に城峰山、左に両神山、右に浅間山が見えるが霞んでいる。

日本水・・・「やまと水」と読みます。環境省が1985年に選定した「日本の名水百選」に選ばれた名水です。日本武尊が東征のおり釜伏山の中腹の百畳敷岩に戦勝を祈って剣を刺したら泉が湧いたという。日本中によくある日本武尊伝説です。
ポリタンクを持参して汲みに来る人々が多いそうだ。

秩父の山の上から・・・長瀞渓谷・・・親鼻鉄橋を見た

2013-05-06 | 道をゆく 秩父路
4月29日、秩父山中の散歩、皆野町下田野の山の中、標高約400m、曲がりくねった狭い道を上がっていくと、この先行き止まり、駐車スペース2~3台、車を降りてさらに登っていくとツツジが咲いている尾根道に。

山の集落の鯉幟。

尾根の上から、長瀞渓谷、宝登山、秩父鉄道荒川橋梁、国道140号線親鼻橋が見えます。

秩父鉄道荒川橋梁(通称親鼻鉄橋、1914年建造、高さ20m、全長167m)が見えます。
秩父はセメントの国・・・石灰岩を運ぶ電気機関車が見えました。


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秩父札所23番・・・音楽寺・・・小鹿坂峠の十三権人

2013-04-17 | 道をゆく 秩父路
4月7日、秩父札所34ヶ所23番「音楽寺」を尋ねました。
※前回は音楽寺と秩父困民党について紹介しましたが、今回は音楽寺のみ紹介します。

秩父市街を東に望む荒川左岸の長尾根丘陵、小鹿坂峠の中腹に音楽寺があります。遠くに見えるのが二子山(883m)。


松風山音楽寺・・・そのむかし、観音堂を開いた十三賢人がこの山の松の梢に吹く風の音を菩薩の慈悲の音に感じて「音楽寺」と名づけたという。開基は824~824年ころ。観音堂は15世紀末頃はこの山の頂上あたりにあり16世紀初め現在の場所にという記述が風土記にあるそうです。
この丘陵一帯はかつて西武グループが開発した270㌶の大アミューズメント公園「秩父ミューズパーク」(現埼玉県・秩父市運営)。音楽寺を英語にすればミュージック・・・でも関連はないようです。

観音堂・・・三間四方の方形造り。回廊が広い。

千社札(せんじゃふだ・・・せんしゃふだ)の貼られた観音堂。

※千社札は御朱印をいただいてから貼ること。他の札の上に貼る、剥がしにくい接着剤で貼る、文化財建造物に貼るは論外。


観音堂の右サイドの山道・・・小鹿坂峠の古道を辿ると旧観音堂の跡地、十三地蔵尊の石像が。
5~6分です。ぜひ足を延ばしてください。

秩父札所を開創した十三権人です。権人とは・・・この場合、権現。権化と同じ意味で仮(権)の姿をとって衆生を救う人のこと。十三権人は・・・閻魔大王・倶生神・花山法皇・性空上人・春日開山・醫王上人・白河法皇・長谷徳道上人・良忠僧都・通觀法印・善光寺如来・妙見大菩薩・蔵王權現・・・ソウソウたるメンバーです。実際は無名の修験者、行脚僧が十三権人のまた代理人(仮の姿)として開創に奔走したと思います。秩父札所は古文書によると15世紀末ごろにすでにあったようです。

「小鹿坂峠」の古道を引き返すと秩父市街が眼下に、その向こうに武甲山。

桜で有名な古寺です。山桜だけになっていました。桜満開のころまた来たい。

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秩父市大滝…中津川の奥の秘境で…ニッチツ秩父鉱山を見た

2012-11-16 | 道をゆく 秩父路
11月10日、しばらくぶりのロングドライブ。外秩父の白石峠を越えて定峰峠を降りて秩父市大野原、下吉田に出て農産物直売所で念願の生の蜂屋柿を買ってから、椋神社に寄り、宮戸からトンネルを抜けて小鹿野町へ、国道299号線を志賀坂峠方面に。志賀坂峠から林道金山志賀坂線を八丁峠に。
八丁隧道を抜けると秩父市大滝大字中津川小倉沢…道は高度を下げて神流川(かんながわ)の谷、標高約900m地点に。

仰ぎ見ると赤岩岳(1583m)の岩峰が(たぶん?)。

山道を降りるとまず最初に見るのが秩父鉱山(ニッチツ秩父事業所)の廃鉱跡。
赤岩岳の左の鞍部が赤岩峠、その左のピークが1493m、その左が雁掛峠、いずれも群馬県上野村に通じます。

かつてここに2000人以上の人が働いていたといいます。保育園、小学校、中学校、病院、公衆浴場、公会堂、商店、社宅などがありました。
建物がいつ崩れ落ちるかわからないので立ち入り禁止です。

さらに下りてくると操業している現場もあります。白く見える砂は珪砂でしょうか。

さらに神流川に沿って下ってきますと稼働中のニッチツの工場が見えてきます。現役の郵便局があります。


秩父鉱山…戦国時代、甲斐武田氏の金山。明治時代に民間に移り、1916年には皆野まで空中索道が設置されたそうです。1937年、日本窒素が買収、現在は(株)ニッチツ。金、銀、銅、鉛、亜鉛、磁鉄鉱として栄えたが、現在は非金属の珪砂、石灰岩。
こんなところにこんな鉱山が…秘境マニアのスポット。

Ⅴ字谷の渓谷、蛇行するところはトンネルで抜け、やがて中津川との合流点に。ここから渓谷美と紅葉の中津川が始まります。
中津川の渓谷と紅葉と猪鍋のことは11月11日のブログでリポートしましたのでこれにて秩父路のリポートは終了です。

志賀坂峠から八丁峠…素晴らしい紅葉です

2012-11-15 | 道をゆく 秩父路
11月10日、しばらくぶりのロングドライブ。外秩父の白石峠を越えて定峰峠、下吉田、小鹿野、志賀坂峠、八丁峠、神流川渓谷を下り、中津川との合流点へ、紅葉真っ盛りの中津川渓谷を秩父大滝方面に。
下吉田、農産物直売所で念願の生の蜂屋柿を買ってから、椋神社に寄り、宮戸からトンネルを抜けて小鹿野町へ、国道299号線を志賀坂峠方面に。

志賀坂峠(標高約800m)にやってきました。振り返って谷底を見ます。埼玉県秩父郡小鹿野町河原沢です。

国道299号線の志賀坂トンネルを抜けると群馬県多野郡神流町です。299号線と別れて金山志賀坂林道に進みます。
諏訪山(1207m)の脇腹を縫うように高度を上げて八丁峠(約1300m)に。両神山の登山口の駐車場とトイレがあります。写真は八丁隧道

標高900mあたりから見た二子山。右が東岳(1122m)、左が西岳(1165m)。真中が股峠。右下の谷底が登山口(約600m)。
 
高度を上げて1100m地点あたりから見た二子山山塊。ほとんど同じ高さに上がってきました。

林道から見た両神山山塊の北側、東岳とか西岳とか険しいピークがありますが通ったことがないのでよくわかりません。
素晴らしい紅葉です。



この林道、前にヤシオツツジを見に来ました。前に来たとき森の中で気にならなかったのですが、今回は伐採、植林したばかり、短い距離で高度差500mをつづら折りで登っていきます。裸山ですから見通しが良くて怖いです。
八丁隧道を抜けると秩父市大滝小倉沢、神流川から中津川へ進みます。