8/19(土)
石橋鉄心さんの工房に蕎麦を食べにいきました。
午後からの出発なので「蕎麦まだあるかねぇ~。なかったら違うお店探そう」とお気楽に
駐車場に車が4台。中で食事している人がいます。
「久しぶりです。お蕎麦まだ大丈夫ですかぁ?」
ざるそばセットで1000円です。ゆっくり座敷でゆかりさんの作品の中で
その時にテーブルに置かれていた2022.8.25付けの新聞に
「英彦山のマツカゼソウ」の記事
見たことがあるような画像なのですが翌日行ってみることにしました
8/20(日)
別所駐車場から英彦山バスで豊前坊駐車場まで行き、九州自然歩道を歩いて帰ります
英彦山バス9時36分発 終点まで私達2人でした。バス料金200円
高住神社参道脇に
しめじ?この一株だけです。
青年の家近くまで歩いてきました。
想像で杉林へ入っていきます。どの花なんだろう?
マツカゼソウです。
「あっ。見たことあるよねぇ~」目が慣れるといっぱい咲いているのがわかります。
友が来た時に楽に歩けるコースを探して自然歩道に戻ります。
7月の豪雨被害のつめあと
水が流れた様子が続いています。痛々しい。
別の場所でも・・・・以前は簡単に渡渉できていた場所です。
一度見てみたいと思ってた
英彦山神宮社殿(拝殿・宝殿)修理整備工事 資材運搬モノレール
日曜日で全休の為止まってました。これで北西尾根を登っていくようです。
駐車場まで戻り移動します
銅の鳥居から参道を歩いています。
左手に「財蔵坊」
大きな囲炉裏・奥には台所があります
添田町教育委員会発行のパンフレットには
英彦山には江戸時代の終わりまで西日本に於ける修験道のメッカとして栄え、その信仰圏は全九州や
中国地方の西部にまで及んでいた。
修験者(山伏)達の住む家を「坊」と云い、平安末期頃より英彦山十谷に散在し、現在の銅の鳥居から奉幣殿に至る
参道の両側を中心として最盛時には五六百坊は在ったものの現在は十数坊を残すのみとなった。
この財蔵坊は、規模としては中位に属し、必ずしも大坊とはいえないが、坊の全体をほぼ今日まで残している
唯一のものである。
坊屋敷は一般に傾斜した道路の山麓側に入口を設け立派な門構を持ち黒門を残しているものもある。
坊舎の間取りは概ね、客室系と居住系と納戸系に区分され、入口に近い部分に客室系をとり
広い玄関(式台)から真直に八畳三間位が並んでその突き当りに祭壇を持ち、室の境は襖でしきられていて、之を取り除けば
大広間となり英彦山詣りの檀家の宿所にあてられる。
この囲炉裏の側で炭の様子を見ながら、子供の頃が浮かびました。
おくどさんがあっておかまで祖母がご飯を炊いていました。時々できるおこげが
部屋の納戸みたいなところには・・・・多分甘酒の瓶
練炭だったこたつ
おひつ・・・・コンクリートでできた流し・・・・冬になるとアラレやかき餅を作ってた
庭にはいろんな野菜が出来てた。
ここで1時間ぐらい、英彦山の歴史を聞きゆっくり
土日祝日(10:00~17:00要事前連絡)外観の見学は常時可能となってます。
事前連絡なしの訪問でしたが快く受け入れてもらいました。
次回はここだけにして囲炉裏の部屋で景色が眺められたらと。
8月はバタバタと過ぎてしまった
菩提寺の蓮の葉に小宇宙
はまゆうの花 少し盛りを過ぎて実になっているのも・・・
友と海を見ながら少しの時間おしゃべり 8/8撮影
7月末 手仕事しながら過ごしてた
ご朱印帳入れ(友へ)
令和元年に信州おぶせの岩松院へ行った時、買い求めた御朱印帳
櫻井神社・櫻井大神宮で最後のページに辿り着いた。
開いていくとその時の記憶が戻ってくる
2冊目は火男火売神社の御朱印帳
少しずつ日常に戻り始めてきてるよう
お盆前に区役所に行き、父の年金・国民健康保険・後期高齢者医療保険などの手続きを
必要な添付書類を揃え提出してきた。
「これで手続きは完了しました。市民税の不足分の払込票・後期高齢者保険の過不足を計算し払込票を送付します」
急ぎの手続きは済んだのだけど・・・・何か忘れているような気がする
友が糸島に行くんだけど一緒に行かない?と声掛けしてくれて
糸島の桜井神社へ
6/23に国の重要文化財に指定されたと聞き一度訪れたいと思っていた場所です。
あらゆる縁を結ぶ社 櫻井神社
竹筒の小さな穴から手水舎の細い流れがありました
本殿と拝殿と楼門が重要文化財に指定されています
江戸時代初期の1632年に福岡藩2代目藩主黒田忠之が自ら創建に関わったことが特徴です
神社の景観が変わらない状態で残されていることなどが評価されました(サイトより)
清らかな幽玄の社 櫻井大神宮
少し勉強はして行ったのですが・・・・
ネットを検索しているとみていない場所も会って、もう一度訪ねてみたい場所です。
駐車場に向かっていると
つくしみたいな花
グーグル先生にたずねたら
「トクサ」
こんなのはつくしに似るがトクサは雑草の王様であるスギナの近縁種であり、きちんと管理しないと
繁茂しやすい。触ると胞子が飛んでいく。
一刻 いろんな事忘れてた時間でした。
2015年5月に母が倒れ入院
それから1年 1人暮らしを続けていた父・・・・一人暮らしも難しくなり本人も施設へ行くと
2016年4月に老人病院に入院 2017年3月に病院併設の施設へ移動
2017年5月に母が虹の橋を渡った
コロナ禍になるまで週一ぐらいのペースで面会 30分位いろんな事話してた
コロナ禍になって面会ができなくなり、やっと少し落ち着いて面会が10分だけ出来るようになった時は
以前とは違って会話ができなくなり
6月の面会の時は最後に「またおいで」と
7月の面会の時は「きつそうにしてた」
7月29日 入所してからずっ~と看てくれてた看護師さんから「今のうちに会ってた方がいいよ」と
呼びかけると反応してくれる
8月1日 お昼に担当医から「早めに来た方が・・・・」症状の説明があった
午後3時 虹の橋を渡った
思いだせば
私が子供の頃はおちょこや小皿がとんでパリーン
そんな昭和一桁生まれの父が退職後、食器の後片づけを担当
洗濯機も使い、午後になると洗濯物を取り入れ、手アイロンをかけたようにたたみ
自分のと母のとに分けていた
父は私に
お別れする時の準備を教えてくれたように思う。
「悔いはないけど・・・・何か忘れているような・・・・・」
区役所で手続きをしながら「現実なんだ」