『アバター』3D、見にいってきました。
まず3Dスクリーン自体の感想を申しますと、
やっぱり眼鏡着用者にはダブル眼鏡はきついですね。
鼻で支えられないから、ずりっと落ちてくる。
終始手で3D眼鏡を支えなくてはなりませんでした。
見にいった映画館のスクリーンの方式はX-panDというもので、
どうも3Dスクリーンの中では評判のいい方ではないらしい。
私が一番イヤだったのは、画面が暗いこと。
仕様だったのかもしれないけど、暗くて細部がよく見えない。
薄暮の中で運転しているときのような、もどかしい感じ。
立体的に見えることによって得られる臨場感よりも
暗くて見えづらい方が大きくて、ストレスフルでした。
そして、3Dといっても、画面から飛び出して見えるというよりは、
スクリーンを一番手前として、その奧に世界が広がっていく感じなのね。
だから映像が自分に迫ってくる感覚は得られにくかった。
そもそも、映画が3Dである必要、私はあんまり感じなかったなぁ。
3D画像のもつ情報量は2D画像のそれよりも当然かなり多い。
だからといって見ている私たちがそれを全部受け取れるかっていったらそうじゃない。
脳内で勝手に情報がふるいにかけられて、自分が受け取れるものだけを受け取ってしまう。
ふるいにかけるのに忙しくて、私はなかなかストーリーに没入できなかった。
しかも自分でふるいにかけなくてはならないことで、
映画の醍醐味の一部が失われてしまう気がする。
どういうことかっていうと、
普通の2Dの映画は、3次元のものを2次元で表現するわけでしょ。
アニメでも実写でも。
そうやって、3次元のものを2次元に落とし込むとき、
そこで当然作り手側による取捨選択が行われる。
すると、そこに作り手の個性、品性、センスが表れる。
それこそが映像美であり、映画を観るときの楽しみの一つだと思うの。
3D映像だとそれがない気がしました。
3D映画はあれだな、遊園地のアトラクションの一つ、
15分くらいの短編でわーきゃー言いながら見るやつでいいな、私は。
そういえばディズニーランドにあったマイケルの「キャプテンEO」また見たいな。
ストーリーの舞台となる惑星パンドラの造形は、確かにすごかったです。
パンドラに暮らす異星人やクリーチャーたちも、動きがなめらかで自然。
最新技術はすごいんだのー。
いえ、すごいのでしょうが、私はその辺はあんまりワクワクしない方なので、
「ははー、すごいねぇー」で終わってしまう感じで、すみません。。。
作り手のご苦労は莫大なものであろうことはぼんやり感じるんですけどね。
私にとって映画を観るときに大事なのは、やはりストーリー。
ストーリーがよくないと、何がよくたってどんなに苦労してたって、
「よかった!!いい映画だ!!」って思えない。
その点では、『アバター』は……
※以下、ネタバレ。
*******************************************************************************
もーーー、がっかり!!!
とっても単純な話なんです。
惑星パンドラには自然を畏怖し、自然と共鳴し、自然と共に生きる部族(ナビィ族)がいて、
居住地の森の奧にある巨大なご神木を信仰の対象としている。
その地下には貴重な鉱石の広大な鉱脈が広がっていて、
その鉱脈目当てに、目先の利益しか考えない輩と、
自分のジャマになるものを暴力で排除することしか思いつかない輩が地球からやってくる。
ナビィ族に立ち退きを説得するために主人公が送り込まれたが、
共に生活するうちに部族の生き方に惹かれるようになり、
族長の娘と恋に落ちる。
立ち退きの話が進まないことに業を煮やした地球軍は、
武力で蹴散らそうと、ブルドーザーと戦闘機で太古の森に攻め入ってくる。
地球軍からもナビィ族からも裏切り者と責められる主人公。
板挟みになった主人公は悩むが、やはり部族と共に生きようと心を決め、
彼らの先頭に立って地球軍と戦う。
苦戦を強いられたが結局はナビィ族が勝利を収め、
地球軍はすごすごと帰っていく。
主人公は人間である自分を捨て、部族の一員として一生を生きることを決めて星に残る。
おしまい。
西部劇と、スター・ウォーズ(アニメの)と、もののけ姫と、ナウシカと、ポカホンタスと。。。
あとなんだろうな、きっとまだまだあるな、
古今東西 語り尽くされてきたストーリーを、別に新しい視点でもなく、新しい切り口でもなく、
そのまま寄せ集めてつぎはぎして素直に脚本にしました、という感じでね。
手あかつきまくっとるなー、つまらんなー、と思いながら見てたんだけど、
まぁでも、それでもいいかとも思ったの。
いろんな映画を見てきた者からすれば手あかがついてると思えてしまうけど、
こういう物語を初めて見る人だっているんだから。
シンプルなストーリーは、手を替え品を替え、何遍語られたっていいか、と。
だけどそれも途中まで。
物語後半に入って、地球軍がブルドーザーでガーガー森に入ってきたとき、
ナビィ族はいったん森の奧に逃げ込む。
自然と共に生き、狩りで仕留めた動物の死にも涙し、
弔いの言葉を丁寧に唱えるような暮らしをしているナビィ族が、
暴力で自分たちの命・自分たちの森を脅かされたとき、どういう行動を取るのか
と思ったら。
暴力、なんですよねぇ。。。
戦うの。地球軍を相手に。
ナイフで刺し、弓矢で矢ぶすまにして。殺戮には殺戮で応じるの。
すっごい脱力感に襲われました。もう呆れちゃった。
途中で、夢中になって戦ってた族長の娘が、ふと我に返って、
周囲で殺し殺されていく敵や味方を呆然と眺める、
っていうシーンもあったので、
お、これは、「こんなことはまちがってる。守るためとはいえ、戦うべきじゃない」
っていう展開になるのかな、って思ったんだけど、そうならないで、
結局はそのままナビィ族が地球軍を制圧して、追い返して終わっちゃった。
……まだそんなことやってんの……
この9・11後の世界で……
何やってんだか……
そこから先進もうよ。
学ぼうよ。
娯楽映画だからとかそういうの関係ないよ。
バカかと思ったよ。
おバカはいいけど バカはダメだと思います。
そういうの、もういい。
特にこれは、一見するとお利口ちゃんだからなおさらわるいです。
最近映画見てほめてないなぁ。。。
まず3Dスクリーン自体の感想を申しますと、
やっぱり眼鏡着用者にはダブル眼鏡はきついですね。
鼻で支えられないから、ずりっと落ちてくる。
終始手で3D眼鏡を支えなくてはなりませんでした。
見にいった映画館のスクリーンの方式はX-panDというもので、
どうも3Dスクリーンの中では評判のいい方ではないらしい。
私が一番イヤだったのは、画面が暗いこと。
仕様だったのかもしれないけど、暗くて細部がよく見えない。
薄暮の中で運転しているときのような、もどかしい感じ。
立体的に見えることによって得られる臨場感よりも
暗くて見えづらい方が大きくて、ストレスフルでした。
そして、3Dといっても、画面から飛び出して見えるというよりは、
スクリーンを一番手前として、その奧に世界が広がっていく感じなのね。
だから映像が自分に迫ってくる感覚は得られにくかった。
そもそも、映画が3Dである必要、私はあんまり感じなかったなぁ。
3D画像のもつ情報量は2D画像のそれよりも当然かなり多い。
だからといって見ている私たちがそれを全部受け取れるかっていったらそうじゃない。
脳内で勝手に情報がふるいにかけられて、自分が受け取れるものだけを受け取ってしまう。
ふるいにかけるのに忙しくて、私はなかなかストーリーに没入できなかった。
しかも自分でふるいにかけなくてはならないことで、
映画の醍醐味の一部が失われてしまう気がする。
どういうことかっていうと、
普通の2Dの映画は、3次元のものを2次元で表現するわけでしょ。
アニメでも実写でも。
そうやって、3次元のものを2次元に落とし込むとき、
そこで当然作り手側による取捨選択が行われる。
すると、そこに作り手の個性、品性、センスが表れる。
それこそが映像美であり、映画を観るときの楽しみの一つだと思うの。
3D映像だとそれがない気がしました。
3D映画はあれだな、遊園地のアトラクションの一つ、
15分くらいの短編でわーきゃー言いながら見るやつでいいな、私は。
そういえばディズニーランドにあったマイケルの「キャプテンEO」また見たいな。
ストーリーの舞台となる惑星パンドラの造形は、確かにすごかったです。
パンドラに暮らす異星人やクリーチャーたちも、動きがなめらかで自然。
最新技術はすごいんだのー。
いえ、すごいのでしょうが、私はその辺はあんまりワクワクしない方なので、
「ははー、すごいねぇー」で終わってしまう感じで、すみません。。。
作り手のご苦労は莫大なものであろうことはぼんやり感じるんですけどね。
私にとって映画を観るときに大事なのは、やはりストーリー。
ストーリーがよくないと、何がよくたってどんなに苦労してたって、
「よかった!!いい映画だ!!」って思えない。
その点では、『アバター』は……
※以下、ネタバレ。
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もーーー、がっかり!!!
とっても単純な話なんです。
惑星パンドラには自然を畏怖し、自然と共鳴し、自然と共に生きる部族(ナビィ族)がいて、
居住地の森の奧にある巨大なご神木を信仰の対象としている。
その地下には貴重な鉱石の広大な鉱脈が広がっていて、
その鉱脈目当てに、目先の利益しか考えない輩と、
自分のジャマになるものを暴力で排除することしか思いつかない輩が地球からやってくる。
ナビィ族に立ち退きを説得するために主人公が送り込まれたが、
共に生活するうちに部族の生き方に惹かれるようになり、
族長の娘と恋に落ちる。
立ち退きの話が進まないことに業を煮やした地球軍は、
武力で蹴散らそうと、ブルドーザーと戦闘機で太古の森に攻め入ってくる。
地球軍からもナビィ族からも裏切り者と責められる主人公。
板挟みになった主人公は悩むが、やはり部族と共に生きようと心を決め、
彼らの先頭に立って地球軍と戦う。
苦戦を強いられたが結局はナビィ族が勝利を収め、
地球軍はすごすごと帰っていく。
主人公は人間である自分を捨て、部族の一員として一生を生きることを決めて星に残る。
おしまい。
西部劇と、スター・ウォーズ(アニメの)と、もののけ姫と、ナウシカと、ポカホンタスと。。。
あとなんだろうな、きっとまだまだあるな、
古今東西 語り尽くされてきたストーリーを、別に新しい視点でもなく、新しい切り口でもなく、
そのまま寄せ集めてつぎはぎして素直に脚本にしました、という感じでね。
手あかつきまくっとるなー、つまらんなー、と思いながら見てたんだけど、
まぁでも、それでもいいかとも思ったの。
いろんな映画を見てきた者からすれば手あかがついてると思えてしまうけど、
こういう物語を初めて見る人だっているんだから。
シンプルなストーリーは、手を替え品を替え、何遍語られたっていいか、と。
だけどそれも途中まで。
物語後半に入って、地球軍がブルドーザーでガーガー森に入ってきたとき、
ナビィ族はいったん森の奧に逃げ込む。
自然と共に生き、狩りで仕留めた動物の死にも涙し、
弔いの言葉を丁寧に唱えるような暮らしをしているナビィ族が、
暴力で自分たちの命・自分たちの森を脅かされたとき、どういう行動を取るのか
と思ったら。
暴力、なんですよねぇ。。。
戦うの。地球軍を相手に。
ナイフで刺し、弓矢で矢ぶすまにして。殺戮には殺戮で応じるの。
すっごい脱力感に襲われました。もう呆れちゃった。
途中で、夢中になって戦ってた族長の娘が、ふと我に返って、
周囲で殺し殺されていく敵や味方を呆然と眺める、
っていうシーンもあったので、
お、これは、「こんなことはまちがってる。守るためとはいえ、戦うべきじゃない」
っていう展開になるのかな、って思ったんだけど、そうならないで、
結局はそのままナビィ族が地球軍を制圧して、追い返して終わっちゃった。
……まだそんなことやってんの……
この9・11後の世界で……
何やってんだか……
そこから先進もうよ。
学ぼうよ。
娯楽映画だからとかそういうの関係ないよ。
バカかと思ったよ。
おバカはいいけど バカはダメだと思います。
そういうの、もういい。
特にこれは、一見するとお利口ちゃんだからなおさらわるいです。
最近映画見てほめてないなぁ。。。