叢雲会ブログ

叢雲会 刀匠達の四方山話

なるほど        ひむかのクニマサ

2009-01-11 00:46:40 | Weblog
古人の跡を求めずして求めたるところを求むべし。
確かに名刀をいくら眺めても謎は解けないねー。
流石にビンゴの青鬼、上手い事言うわ

地鉄に関しては全く同感。
しかし我々が古作から学ぶべきは姿、刃文、そこに込められた日本の太刀、刀の真実、ではないかな。
ただの鉄の工芸品であれば新しい作風をどんどん作り出せばよかろうが、日本刀の本質は武器、日本のもののふの魂であるから、簡単にはいかない。
現実に侍が帯びた太刀、刀から学ぶものはまだまだ巨大だと思う。
それは我が日本民族のみならず人類にとって有益なサムシング、だからこそ現代でも刀剣を作り出す意味がある、とは私の信念です。

古刀の地鉄、ということだと、日刀保玉鋼と卸鉄しか使わない私の地鉄を古刀そっくり、現代刀には見えない、なんて人もある。
ビンゴの青鬼が顕微鏡の先に見ている古刀の地鉄とは違うものであろう事は明白だけれども。
アキの御大など、私よりはるかに美しい地鉄を作れる刀鍛冶はいくらでもいるし、
研ぎ減らせば古刀に見える現代刀も結構あるみたいだし、見た目だけの問題なら、古刀にあって現代刀の表現できていないものは、やっぱウツリに尽きるのではないのかな?これも眺めるだけでは再現は難しいですね。

いま一生懸命、古流居合家に頼まれた試し斬り用の刀を作っています。姿のバランス、身幅、材料、焼き、考えて考え抜いて丁寧に丁寧に、時間をかけていますが、実用に供するのは非常に難しいものです。
武術家刀工?のメンツもかかっていますから必死にやってます.
無論、実力以上の刀は望むべくもないですが、持てる力は出し切りたいですね。



さむいですねぇ  ビンゴ住人

2009-01-10 18:20:18 | Weblog
雪が深々と降っています。これから帰って雪見酒としましょう。

さて、現代刀はいつまで古名刀の勉強(模倣)をしなくてはいけないのでしょうね。戦後60年以上、古名刀の勉強をし続けているじゃないですか。それに、古刀再現の謎は、純粋に技術的問題なので、いくら名刀を鑑賞しても再現できるとは、私には思えません。
私は、かなり真剣に古刀の謎を解く研究をしてきたつもりです。そしてこれからも、古名刀に化ける刀が出来るまで続けるつもりです。しかし、「古名刀再現!」とは言っていますが、実は、新しい作風の確立の方がはるかに尊いことだと思っていますし、やりたい事なのです。出来るかどうかは別にしても・・・。

もし、将来、私が長光に化ける刀を造り得たとしても、それとて所詮、古いもののコピーでしかありません。作家のオリジナリティなどありはしません。

精炎2号で永山先生が仰っているではないですか。
「いかに名刀といえど過去の遺物です。いつかそれを凌駕する平成の名刀の出現を望んでいます」と。
私は、永山先生大好きだなぁ。
そうだ、今晩は永山先生の心意気に乾杯だ!

刀鍛冶と学者        ひむかのクニマサ

2009-01-09 18:15:13 | Weblog
体調がかなり戻ってきました。
左手はまだ時折ジーンと痺れますが、どうやら峠は越えたようです...たぶん。

さて、久保青鬼の気持ちも理解できるけれど、受賞式とか賞の名称とかが重要な事ではないと私は思います。
確かに非常に残念で、無念な思いはあります。しかし、職員会議の決定事項にたてつく生徒に近い構図が協会と刀鍛冶にあったことは否めません。
つまり、刀鍛冶はずっと教えを受ける側であったわけで、それはそれで非常に有益な事だと、未だ私は思います。
日本刀剣の長い歴史、伝統の上になりたち、恩恵にあずかっているという側面も現代刀には確かにありますから、数多くの名刀を研究してきた碩学の評価は、刀剣美の観点から多くの示唆を含んでいるのは間違いないことでしょう。

学問と創作は全く違うものだと思います。青鬼が学問として地鉄を研究する事には諸手をあげて賛同し応援しますが、個々の創作はそれぞれが完結しているわけですから、現在の凡作が30年後に高く評価されると言う事は考えにくいですね。

ビンゴの青鬼の書き込み、ちょっと読んでこれを書いたけど、はやとちりで意味が違っていたらごめんなさい。




憧れ

2009-01-08 08:41:38 | Weblog
独立し出品し始めた当時、展覧会で上位入賞を果たす事は刀を作っていく上での大きな目標の一つでした。キズのない刀を作るのに精一杯だった私にとって、授賞式での特賞受賞者達は輝いて見えました。
たたら製鉄や映りの焼入れ方法に膨大な時間を費やし、独自の作風を完成させて、ようやく宮賞に手が届いたと思った晴れの授賞式は、来賓もなく会長欠席のしょぼくれた授賞式でした。そして、長い間憧れであった高松宮賞自体が、消え去っていました。
更に、「今回、宮賞と長官賞が無くなりましたが、出品作の内容から判断すれば、該当作品なしと言ってもいいようなレベルでした」との駄目押しの審査員講評まで付いておりました。

あの時点で、私の展覧会で評価されることへの強い憧れは半減してしまったような気がします。
一つの大きな目標であった○鑑査の肩書きも、それほどの興味は無くなってしまいました。

展覧会の重要性は認識していますが、それ以上に、刀造りにおいてやりたいことが山ほどあります。展覧会には中途半端な刀は出せないので、時間も気力もかなり消耗します。審査結果に一喜一憂せずに、地鉄つくりなど、時間のかる刀造りの本質的な課題に腰をすえて取り組んで行きたいという気持ちが、最近、とても強くなってきています。

今話題になっているノーベル賞受賞者たちの研究は、何十年も前の仕事が評価されてのことです。それらの研究は、評価されることを目的になされた研究ではなく、純粋に科学的な好奇心から始められた研究です。
私も何十年も先に評価されるような、地鉄つくりの研究に取り組みたいと思っています。
それが、私が今一番やりたいことなのでゴザンス。

権威?     ひむかのクニマサ

2009-01-05 21:50:13 | Weblog
青鬼は権威ある新しい展覧会を欲しているみたいですね。
しかし、ローマは1日にして成らずというではないの?現代刀を審査するにふさわしい審美眼をもって審査し、それが歴史を刻んだ後、やがて権威をもつようになる、という流れが必要で、いきなり権威ある展覧会なんてできっこない、と思うけれど?

歴史ある新作名刀展にはいまだ権威はある...と思うけれど昨年の出品者の激減という事実があり、率直に言って現在、展覧会としての存続の瀬戸際に立っていると思います。

私も新作名刀展で特賞を取ってやろう!という意欲がなかなか盛り上がってこなくて本当に辛い。もっと出来そうなのに、こんなものでよいか、などと簡単に妥協してしまっている...。
単純に結果を競っていた数年前が遠い昔のように感じられます。

それにしても私の業は大したレベルに達しているわけではなく、作品作りへの執念と根性だけが取り得だっただけに危機感を持たざる得ません。
居合での使い易さとか、試し斬りでの刃味とかにも結構ワクワクしてしまって、地鉄造りや刃文の構成などに新味を出せないでいます。

またどこかで、魂を揺さぶられるような名刀を見せてもらって、作刀へのモチベーションを上げなくてはなりませんね。

鍛錬   ビンゴ住

2009-01-04 17:47:57 | Weblog
今日の午前中は家の片付けをし、午後から鍛錬をしました。
実は近頃、鍛錬をするとどっと疲れてしまっていたのですが、今日は鍛錬が終わってもほとんど疲れが出ませんでした。運動不足のせいだと勝手に思っていたのですが、尿酸値やコレステロール値が高かったことを考えれば、疲れやすい体質になっていたのでしょう。病気の一歩手前だったのかもしれません。
正月の間は毎晩飲んでいたので、今晩からはお酒を控え、また体重計を見ながらの腹八分ダイエットを続けようと思います。

ひむかの赤鬼氏が言うように、私も展覧会は必要だと考えています。
権威のある展覧会が。

報道と娯楽        ひむかのクニマサ

2009-01-04 11:57:45 | Weblog
テレビ抜きという久保家の決断は、ひとつの生き方として賛同できます。
むかし私も5年ほどテレビ抜きで生活していました。
やってきたNHKの料金徴収人に、テレビはない、と言っても信じてもらえずえらくもめた事を思い出します。
日航機が堕ちたニュースを新聞で見て息をのむ私を、その驚きは新鮮やな、と言った人もありましたっけ。
あの頃と違い、緊急のニュースはインターネットで即時に入手できますからね...。

昨今のマスコミの金融危機報道を見ても非正規雇用問題にしても、不安感をあおるだけあおっているようでかなり不快です。
私はツマ共々映画やドラマがとても好きなので、テレビなしの生活は考えられないですが、なかったら読書時間が増えそうで、ちょっとあこがれますね。

展覧会への青鬼の意欲低下はよーくわかりますよ。
まー彼奴ほどの刀工ならば己が思うままに業を振るってもよい方向に行くでしょう。しかし、私の持論である新しい刀剣価値観の創造にはコンペティションの存在なくしてはありえない、と思います。


テレビ   ビンゴ住人

2009-01-03 15:12:56 | Weblog
テレビといえば12月1日に引っ越して以来、我が家からテレビが無くなりました。子供達も私も、ついだらだらとテレビを見るのが習慣になっていたので、この際、テレビを物置に仕舞ったままにして見ない事にしました。見たい番組を見れないのは残念ですが、見なくてもよい番組をだらだらと見て時間を無駄にするよりはいいと考えています。何より、テレビ画面ばかりに目が行き、子供の話を上の空で聞くことも無くなりました。たわいもない話で盛り上がりながら家族で食事が出来ることに、とても満足しています。
テレビを見ない生活が1ヶ月経ちましたが、仕事に疲れて帰った時には「ボーっとテレビを見たい」という妻にも考慮し、ビデオだけは見れるようにしようと思っています。2台あったビデオデッキは三男がおもちゃを突っ込んで全て壊してしまったので、新しく買わなくてはいけません。

閑話休題。
少し前に展覧会の話題が出ていましたね。立場によっていろいろな考えがあると思いますが、私にとっての一番の問題は、「頑張っていい刀を造って出品しよう!」という気持ちになれない事です。困ったことに、この心の中の敵はかなり手ごわいので、モチベーションが全く上がりません。

中途半端な時間ですが、これから玉へしをして、明日から鍛錬を始めます。

あけましておめでとうございます     ひむかのクニマサ

2009-01-02 18:34:52 | Weblog
不穏な経済情勢とはうらはらに、穏やかな新年の幕開けとなりました。
一日中ゴロゴロしていたので身体がなまりそうです。
明日から仕事を始めますから今日までは正月気分に浸っておこうと思います。
それにしてもテレビ番組に興味を引くものが少ないですね。スポーツ中継ばかり見ていました。

謹賀新年  ビンゴ住人

2009-01-01 14:21:14 | Weblog
雪の正月になりました。庭の松の木に降り積もった雪が、正月らしさを感じさせてくれます。
休日で、出かける必要の無い時に降る雪は風情があっていいものです。

皆様、明けましておめでとうございます。
少し前までは過去最高の企業利益が話題になっていたにもかかわらず、一気に景気が冷え込んでしまい、この冬空に多くの人がリストラされて住む所も無くしてしまいました。雪に風情があるなどとは、暖かな家のある恵まれた人間の言えることですね。
しかし、辛い時期がいつまでも続くとは思えません。本来、日本とは、要らなくなった人間を使い捨てにするような国ではなかったはずです。行き過ぎたシステムの誤りに気づき、世の中のあるべき方向に修正していくべき時期なのかも知れません。
貧乏鍛冶屋に出来ることは限られていますが、社会のために自分の出来ることからこつこつとやってゆきたいと考えています。
少しでも世の中が明るくなるために。