体調がかなり戻ってきました。
左手はまだ時折ジーンと痺れますが、どうやら峠は越えたようです...たぶん。
さて、久保青鬼の気持ちも理解できるけれど、受賞式とか賞の名称とかが重要な事ではないと私は思います。
確かに非常に残念で、無念な思いはあります。しかし、職員会議の決定事項にたてつく生徒に近い構図が協会と刀鍛冶にあったことは否めません。
つまり、刀鍛冶はずっと教えを受ける側であったわけで、それはそれで非常に有益な事だと、未だ私は思います。
日本刀剣の長い歴史、伝統の上になりたち、恩恵にあずかっているという側面も現代刀には確かにありますから、数多くの名刀を研究してきた碩学の評価は、刀剣美の観点から多くの示唆を含んでいるのは間違いないことでしょう。
学問と創作は全く違うものだと思います。青鬼が学問として地鉄を研究する事には諸手をあげて賛同し応援しますが、個々の創作はそれぞれが完結しているわけですから、現在の凡作が30年後に高く評価されると言う事は考えにくいですね。
ビンゴの青鬼の書き込み、ちょっと読んでこれを書いたけど、はやとちりで意味が違っていたらごめんなさい。
左手はまだ時折ジーンと痺れますが、どうやら峠は越えたようです...たぶん。
さて、久保青鬼の気持ちも理解できるけれど、受賞式とか賞の名称とかが重要な事ではないと私は思います。
確かに非常に残念で、無念な思いはあります。しかし、職員会議の決定事項にたてつく生徒に近い構図が協会と刀鍛冶にあったことは否めません。
つまり、刀鍛冶はずっと教えを受ける側であったわけで、それはそれで非常に有益な事だと、未だ私は思います。
日本刀剣の長い歴史、伝統の上になりたち、恩恵にあずかっているという側面も現代刀には確かにありますから、数多くの名刀を研究してきた碩学の評価は、刀剣美の観点から多くの示唆を含んでいるのは間違いないことでしょう。
学問と創作は全く違うものだと思います。青鬼が学問として地鉄を研究する事には諸手をあげて賛同し応援しますが、個々の創作はそれぞれが完結しているわけですから、現在の凡作が30年後に高く評価されると言う事は考えにくいですね。
ビンゴの青鬼の書き込み、ちょっと読んでこれを書いたけど、はやとちりで意味が違っていたらごめんなさい。