それなり

息子二人を育てあげ、後は夫と二人でそれなりに仲良く過ごせたら幸せ~♪ 
っと、思っていた2014年。で、今は?

2017年3月現在

2017-03-10 10:00:15 | 家族
ドタバタの初孫誕生から5か月半の現在、嫁子が勤務時間は8時35分に家を出て帰宅は19時20分頃、水曜日は17時半に帰宅、土曜半ドンで12時半頃帰宅、月一度に土曜休み、日曜祝日はお休み。長男は7時40分頃に家をでて帰宅は18時頃、土日祝日は休日だが年に数回、休日出勤と日帰り出張ありの生活。

孫は、保育所には預けず私が息子宅で面倒をみている状態です。

嫁子の悪阻の時の食事のお世話、出産時の付添、そして産後のお世話と孫の子守。

息子夫婦から本当に助かると感謝され私も遣り甲斐があり楽しい毎日を過ごしています。

私は、昨年還暦を迎えるまで仕事をしていました。正社員ではありませんでしたが33歳から60歳なるまで働いていました。(41歳で転職)。
最初の仕事は大手企業の支店で営業のサポート役を、その後41歳である資格をとり転職し大手保険会社の本社委託社員として医務部に所属。47歳の時に本社から依頼があり子会社の仕事も請け負い58歳まで二足の草鞋で働きその後は子会社で60歳まで勤め上げました。子会社の定年退職年齢は68歳でしたが孫の面倒をみることも理由ですが、60歳で退職したいとの願望もあり円満に退職することができました。嬉しいことに子会社からはまだ務めて欲しいせめて休職ということにして孫育てが終わったら戻ってきて欲しいと提案されましたが、もともと好きな仕事じゃなかったのでキッパリ退職しました。
ちょっと面倒な仕事で、メンタル面にも影響がでたりと私には適正していなかったので辞めるキッカケとなった初孫誕生は私の60代の人生のいい分岐点になりましたね。

もともと、子供は大好きで保母さんになりたかったほどだったし自分の子供を育てている時も、楽しくて楽しくて夏休みや冬休み長期休みも子供と過ごせるのを毎回楽しみにしていた程、小中学の役員もしていたし子供のサッカーにも積極的に参加していたほど。塾、プール、スキーなどの送り迎えも楽しかったなぁ♪ ちょっと過保護気味だったけどネ(; ̄ー ̄A ア 長男なんか中学生の時に自分でマザコンって言ってたこともあった(笑)
だから?実家の隣に家を建てたのかな???
いいえ!高校生になったとたん親離れをしてその後は放任でしたから。もともと子供の自主性を尊重していた子育てをしていたので・・・^^v
だって、私が育った環境が束縛、支配、コントロールされ子離れできない母親に育てられ苦しんだ経験があったので自分の子供には自由に生きて欲しいと願って育てたつもり。

子育てする上で自分に言い聞かせてきたことは、子供は一個の人格をもった人間、その人格を尊重し接していこうと心に決めていましたから。だから友人、習い事も高校、大学進学、就職など相談に乗ることはありましたが子供自身に選択させてきました。
子供に自分で選んだ道だけど失敗することもある、その時は助けるから!それが親だからね!それより失敗を恐れず興味をもったことは挑戦してみて、それで失敗したらやり直せばいいんだから、人生って失敗や後悔の繰り返しだけどその度になにかを学ぶことが大切。せっかく親がいるだから失敗した時は頼っていいんだからね!
その甲斐があって?長男も次男もいろいろやってくれました(笑)
その度に、あ~~これが親業ってやつなんだなぁ~って。私も親として躓いて転んだ子供をどうやって助けるか学び成長できたと思っています。
お陰様で、長男も次男も30歳過ぎてから落ち着き、親を超えたなぁ~て場面に出会うことができ今は頼りになる息子に成長したわ^^v
いやいや、まだまだこれから何があるかわからないけどネ(´ー`A;) ア
でも、すべて運命!どんなことが起きても運命だと思って受け入れ、それからその運命に立ち向かえばなんとかなるでしょ~!
自分の運命から逃げないこと、でもシンドイ時は一休みするけど(笑)

とにかく今は、日々重くなる孫を背負いものすご~~く幸せ♡
一日中、孫のお世話するのは大変でしょ?って人に言われるけど全く大変だと思っていません!
毎日毎日、可愛い孫を抱けてお世話できるなんて~♪
まして息子の子供、初孫ですよ!本来なら嫁実家にベッタリが当たり前の時代に私はなんと幸せな姑~♪
今じゃ、嫁子が実の娘じゃいないかと?錯覚を起こすほど(笑)本当は嫁子は私の子供として産まれるはずだった?それがこのような形なって長男の嫁として出会うことができたんじゃないかと思えるほど( ´艸`)ムププ
これからも仲良くやっていけるようにしたいな


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2016年9月嫁子よく頑張った!

2017-03-09 11:00:56 | 家族
嫁子のお産は後産時に胎盤を出すときに

出血が止まらずに医大に救急搬送、無事に初孫が産まれたことに一安心していたところだったので
嫁子ご両親と嫁子姉と私はいったい何が起こったのか頭が真っ白状態、一瞬何を言われているのか理解できずにいました。
長男も出産を終えて元気な嫁子の顔を見たばかりだったのにと先ほどまで満面の笑顔がったのが一瞬のうちに真顔

医師からは、「出血が止まらずこのままだと危ないので今から救急搬送します。救急車には助産師と医師が同乗するのでご家族の方は、車で医大へ行ってください」と説明されました。

初孫ちゃんは一人、病院に取り残されたまま嫁子家族と私、長男は医大へと向かいました。

夫は、仕事だったので逐一電話とラインで状況を報告、仕事が終わり次第医大へ直行。

なんでこんなことになったのか?原因は不明とのこと医師の説明もあったのですが内容は動揺していて覚えていない状態、ただただ嫁子の回復を嫁子のご家族と願って家族待合個室に待機していました。

嫁子の回復を待ちながら
嫁子ご家族と私は「こんなに危険なお産になるなら、子供は一人で十分。長男に二人目は諦めて欲しい」とお願いしました。

長男「二人目も欲しいと思っていて既に受精卵を凍結保存しているんだよね。」

私「嫁子にもしものことがあったら可哀そうなのは子供だからね。二人目は夫婦で決めることだけど、嫁子ご両親の気持ちも考えてあげてね。それと今は嫁子の体が一番心配だし気持ち的にも二人目は考えられないと思うから、自分の考えは二の次だよ」

長男「わかってる。嫁子には負担がからないよう今まで以上に家事はもちろん育児も協力するから。」

嫁子母と姉「嫁子には二人目はあきらめ仕事も辞めるよう、お義母さんからも言ってください。あの子は頑固だから私たちの言うことは聞かないと思うからお願いします。」

私「娘を想う親の気持ちはよくわかります。ましてはお産をして大変なのは女ですから。これから産後の回復にも時間がかかると思うので、私がしっかりフォローして産後ケアと赤ちゃんの世話をしますからご安心ください。」

医大に救急搬送されてから6時間程たった頃午後10時頃、
医師から再度説明「まだ出血が止まらず輸血を続けている嫁子の意識はしっかりしている命には別状ありませんが子宮全摘したらすぐに出血は止まるが嫁子が頑として拒否してるため今、麻酔科医と優秀な医師がこちらに向かっている」と言われました。
(嫁子、二人目が欲しいと願望が強く子宮全摘を拒否してと後で言ってた。)

私たちは、一晩まんじりともせず一夜を明かし、やっと処置が終わった嫁子と面会できたのは午前2時過ぎでした。

こんな大変なことがあり、嫁子ご家族との絆は深くなり現在も初孫の成長とともに両家の関係はますます良好になっています。

これから、初節句と一歳のお誕生日のイベントと楽しいことが待っています。

嫁子よ~大変なお産だったけどよく頑張ったネ♪ 

現在、嫁子の仕事は辞めませんでしたが予定より長く育休をとり身体がすっかり回復するまで3ヵ月程かかりました。混合ですが貧血状態で母乳も頑張って出し初孫は健康で逞しい男の子に成長しています。ヽ(^。^)ノ(孫の成長の記録もブログに記するよ)





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ブログを毎日続けること

2017-03-07 17:23:20 | 家族
ブログを毎日続けるって大変

まじ毎日更新してる人って凄いわぁ~尊敬しちゃう


なんて、ことを言ってる間に続きをとっと更新しなくっちゃね(´ー`A;)

長男夫婦ことの続きね!

詳しく説明すると長くなるので簡潔に

2014年の夏頃に、息子夫婦から不妊治療を打ち明けられました。

でも、なかなか妊娠せず諦めてかけていた2016年1月に懐妊の報告があり

思わずお嫁さんの手を握り涙ぐんでしまいました。

嫁子(お嫁さんのことは今後、嫁子にします。)さんの母親(私より8歳上)が身体が弱く産後のお世話、孫の世話などはできない産後は実家に帰らずに自宅で過ごすと言うので、嫌でなければ私にさせて欲しいとお願いして産後と孫のお世話をすることになりました。


長男から、産後二か月したら仕事に復帰するから保育所に預けようと思っていると言われ

私は、それなら私が預かりたいと言ったところ。

長男は私の性格を熟知しており私自ら孫の子守を願い出ると確信していたらしく

嫁子の顔をみて「ねっ!言ったとおりでしょ!」
「お母さんなら絶対そう言うってわかってたよ!」と言われてしまった^^;

お産のお世話も孫の世話も嫁子が嫌ならできないこと

長男に後で二人で相談して決めて、断れられても気分を害することは決してないからと言うと

長男と嫁子から「願ったりかなったり!お母さんが嫌でなければお願いします!」と言われました。

と言っても、出産したらホルモンバランスが乱れ母親の感情、動物的本能から姑に嫌悪を感じることもあるから

その時は、赤ちゃんの為にも母親が穏やかに過ごせることが大事だから嫁子の気持ちを優先しようね^^v

私はどんな結果でも受け入れることができるから心配しないで嫌な時は言ってねと言いました。

私は、姑と同居経験があるから嫁の気持ちがわかるつもりでいます。

嫁子は、寒い冬の間、悪阻もあったのに一度も仕事を休みことなく行っていました。根性のある嫁子です。

お腹の子は順調に成長し予定日を10日遅れ、3600gの立派な男の子を出産することがでました。

出産の為の入院時には私が病院に付き添って行き、ほんと実の母親のように陣痛時もずっと付添いました。

よく出産時は、なるべく姑遠慮してほしいと思うお嫁さんが多いと聞きますが、私もかなり遠慮気味に接していたのですが

嫁子の方から付き添っていて欲しいと言われて

娘のいない私は普通はできないような経験ができ感動しました。

こんなに嫁子に慕われすっごく幸せな姑で~す♪

嫁子は、ちょう~安産だったのですが出産後に~~~~~~!!!

続く (まだ続くんかい!どこが簡潔・・・?(笑))
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長男夫婦のこと

2017-03-02 14:07:33 | 家族
長男夫婦は、同じ年齢

2008年5月吉日に結婚

お嫁さんは、二女でこの時点でお嫁さんの姉は未婚でした。

お嫁さんのご両親は物静かな控えめなお人柄で結婚話もスムーズに進み

それはそれはとてもよいご縁を結ぶことができました。

その二人が選んだ新居は、息子と嫁の職場の中間で新築のマンションでした。

当初二人は子供は持たないと言っていました。

子供を持つことは、二人が決めることで私も二人の気持ちを尊重していましたし

嫁実家も全く同じ気持ちでした。

長男夫婦が我が家に来るのは年に盆と正月、その他2~3回顔を出す程度の付き合いでした

私も仕事して忙しいこともあり長男夫婦とは丁度よい距離間でした

私としては、結婚した時点で子離れ親離れしたと自覚しており

今の時代、長男夫婦は嫁実家の方との関わりが深くなると漠然と思っていたので

長男の結婚は全く寂しく感じたことはありませんでした。

むしろ家を出てくれて一安心していました。

息子というのは、そーいうもの

私は息子二人だから一旦家をでて自立したら殆ど関わりはなくなると

子育てしている時から思っていましたから

次男も、大学は地方でしたのでそのまま就職し自宅にはもどってこないと思っていて(次男も戻ってくるのですが・・・

これからは夫婦二人でのんびり暮らして行こうっと思っていた矢先


それが、なんと・・・


2012年春、長男夫婦が我が家の隣の土地が売りに出たとたん、ここを買うと言ってきたのです!

まぁ、ちょ~ビックリ!

長男は良いけど、お嫁さんは納得してる? お嫁さんの実家も納得してる?

長男の独断で決めたんじゃないかと心配していたのですが

お嫁さんも実家ご両親も、我が家の隣に家を建てることを快諾~~~~!

もう話が決まったらとんとん拍子に進み、あっと言う間に家が建ち

それから私達夫婦、特に私と息子夫婦の関係が深~くなるのです^^;

人生って何があるかわからないよね~~~

この続きは、のちほどw

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2014年11月28日~12月3日 バルセロナ

2017-03-01 10:46:37 | 温泉
11月28日 バルセロナ1日目

☆バルセロナ半日観光オプショナルツアー
 サグラダ・ファミリア
9:20 集合 バルセロナ凱旋門 アーチ下
9:30 出発
9:40 コロンブス記念塔(車窓)
9:50 モンジュイック展望台(下車)
10:10 オリンピック競技場(車窓)、スペイン広場(車窓)
10:30 カサ・バトリョ(車窓)、カサ・ミラ(車窓)、サン・パウ病院(車窓)           シウダデーヤ公園
10:50 サグラダ・ファミリア(入場見学)

12:00 解散 (サグラダ・ファミリア内)


    午後から、サクラダファミリアを夜までゆっくり堪能した~♪


11月29日 バルセロナ2日目

 ランブラス通りはバルセロナで一番の繁華街観光

生憎の小雨、バルセロナマリーナまで行きフラフラ散策
港に行く途中、コロンブスの塔で撮影
コロンブスの塔の先にあり、1995年にバルセロナ・オリンピック時にオープンした
総合レジャー施設ショッピングモール 「マレマグヌン(Maremagnum)」があり、
そこでバックを購入後でわかったんだけど、
そのバックがストラディヴァリウス【Stradivarius】一応、ブランドものだった(*^_^*)
帰り道で、トルコ石のネックレス、指輪、ピアスも買った確か2000円くらい?

お昼は、「TAPAS&TAPAS」  ここのウエターさん親切だったネ^^v
おやつは、「ラ・パシャレ」でホットチョコとプリン、チェロス
夜はフラメンコ鑑賞 「タブラオフラメンコ コルドペス」


11月30日 バルセロナ3日目 大雨

この日は朝から大雨
おまけに観光は殆ど休館が多かったから
ピカソ美術館が15時以降、入館無料だからそれをメインに観光したね

①10時~ホテル近くの市庁舎の見学ここも入場無料 現役の市庁舎なので、日曜の10-14時のみ、見学可能!
②サン・ジャウマ広場にXmasの飾りつけがしてあり大きなツリーもあったよね
③チョコレート博物館見学 入場料5€
④お昼を食べた
⑤ピカソ美術館 ここで雨の中長い行列に並んだよね
⑥カテドラル見学


12月1日 バルセロナ4日目

9:30にホテルを出発
↓ リセウ駅3番線
カタルーニャ広場 銀行により両替
デパート「エル コルテ イングレス」
↓ 
カサ・パトリョ (20.30€)
カサ・ミラ(16.50€)
靴屋「カンペール」
スーパーマーケット「メル・ガドーナ」で買い物
夜のカサ・パリョ堪能
デパ地下で夕飯調達しホテルの部屋でゆっくりディナー


12月2日 バルセロナ5日目 
朝から大晴天~☀

今日はグエル公園を散策
グエル邸見学
夕食は「ロス・カラコレス}
1835年創業の老舗レストラン
因みに、店名は「カタツムリ」と言う意味
入口から入ったらバーのカウンターがあって
そこから厨房を通って店内に入ったよね^^;
お客様は私たちだけだったから店内を見学
入口からは想像ができないくらい広くて
ビックリ! 有名人の写真が一杯あるし
お店の人が店内を案内してくれ写真もいっぱいとれた^^v

バルセロナの人の夕食時間は午後8時頃からで深夜までゆっくり過ごすのが習慣
私たちは、午後6時頃に夕食なのでお店にはお客様は一人も居なかったのでゆっくりでき
サービスも沢山うけラッキーでした^^v


12月3日 バルセロナ6日目

いよいよ帰国、最終観光✈ まだまだ居たかった♡
カタルーニャ音楽堂
グエル別邸

グエル別邸の見学の後、地元のカフェで一休み
直ぐ近くにスタバがあったけど
あえて地元の地元のカフェに入ったので
観光客は誰もいません。
個人旅行の醍醐味だね^^v

フランスのドゴール空港でトラジット
長時間待たされた(T_T)
それもいい思い出♪

写真UPしたかったけど、手間がかかるので手抜き(; ̄ー ̄A
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