それなり

息子二人を育てあげ、後は夫と二人でそれなりに仲良く過ごせたら幸せ~♪ 
っと、思っていた2014年。で、今は?

父との思いで

2024-06-29 20:12:59 | つぶやき
物心がついた頃から

父は単身赴任で不在だった

父が帰省するのは2~3カ月に一度程度?

お正月とお盆休みは数日いた程度

家に帰ってきても夜飲みに出ることが多く

顔を合わせてることも少なく

もちろん遊んでもらった記憶は殆どない

父から教わった遊びは花札

自宅に居るときはお酒を飲み

酒癖が悪くその酒に飲まれ不機嫌になり

その後は、よく寝ていた

そんな姿しか思い出せない

暮らしには不自由はなかった

衣食住に困ったことはなく

平均よりいい暮らしをしていたと今は思う

年に2回は泊りがけの旅行に連れて行ったもらった

列車、船や飛行機に乗った記憶もあるが

その旅行が楽しかったと感じた記憶はない

父と過ごす時間は緊張の連続だったような気がする

父がいつ、どんな時に不機嫌なるか

予測がつかなくてビクビクしていた

ただただ、静かに聞き分けたよく行儀よくしていた

なので父と出かけたときには

大人しくていいお嬢さんと褒められていた

ザ、昭和のお父さんって感じかな?

父との夕飯は背筋をのばし正座して黙食

ちょっとでも、兄や妹とふざけたら怒られた

普段一緒に生活をしていないから

ちょっとでも、注意されると怖くて

とにかく緊張しっぱなし

決して叩くなどの暴力もなかったけど

とにかく、そこに居るだけで怖かった

日々に生活での関りがないから

親子関係なども築けるはずもなく

たまに家にくる怖い父のいう名の大人の男の人だった

そんな父は熱帯魚、鳥と生き物が好きで

家族相談なく買ってくる

ある日、酔っぱらった状態で犬を買ってきて

翌日、この犬どうした?と言ったときには呆れた

ヨークシャーテリアだったが

その犬は家族に誰も歓迎されなかった

当時、私は結婚して家を出ていたし

妹は仕事と夜遊びで家には寝に帰るだけ状態

兄ももともと生き物にまったく興味なし

母も子供の世話からやっと解放されたのに

今更、犬の世話などって感じで放置

餌だけ与えてもらっていたが

誰も躾などしなかったから無駄吠えも多く

散歩も連れていかない、庭に放すだけ

それが何時か、塀の扉の下から脱走するようなった

最悪なのは、夜になるとわざとに外に出すようなり

ひとしきり走り回ると帰ってくるという野放し状態

母にそれはご近所迷惑だし止めるよう言ったが

母は馬耳東風で聞いてもらえず

父はたまに帰宅した時に

ちょっと撫でる程度で世話などしない

だいたい、これだけ放置されていたら

家族の誰の言うことを聞かない犬になっていた

たまに夫と実家に行くと

犬は夫が好かれているのか懐いていた

喜び勇んで飛んできて顔中ペロペロと嘗め回し

それを夫は抱きかかえて可愛い可愛いと撫でる

犬は可愛がってくれる人をちゃんと知っている

きっと賢い犬だったんだど思う

父は生き物は買うだけで育てない人

父は子供を作るが子育てできない人

昭和の高成長期の真っただ中

仕事、仕事で穏やかな家庭生活とは縁遠く

定年後すぐにくも膜下出血で倒れ

気が付けば、娘たちは嫁に行き

兄は障碍者でそれを認めることができなくて

見て見ぬふり

夫婦仲もあまり良いとは言えず

晩年は孤独だったと思う

ただただ真面目に一生懸命に働き

家族を養ってきたが

最期は、誰にも惜しまれず逝ってしまった

それもこれも

自分が蒔いた種

私は父が亡くなった時に

ちっとも悲しくなかった

それより父が大病を患うたびに母が大騒ぎ

姑と同居、幼稚園児と乳飲み子を抱えた私に

長女なんだからもっと手助けしてとか

何年も愚痴の電話をよこす母に疲れ切っていた

父に一緒に生活をしていなかったから

父に対する情も育っていなかったみたい😵 

唯一、父が私に残したことは

父が買ってきた生き物の飼育を

私が側で見て聞いて覚えたこと

最後に買った犬は私が嫁に出た後だったから

お世話できないかったのが残念かな?
























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生き物を飼う

2024-06-29 16:46:39 | つぶやき
孫たんがピアノレッスに行って

本物のオタマジャクシと遭遇

音符のことをオタマジャクシっていうけど

先生の計らいでご近所で飼っている

オタマジャクシを見に行ったようで

そのオタマジャクシは手足が出だしたところ

孫たんは初めて触って

興味津々で観察していたようで

飼い主にどこに生息していたのか場所の確認

他にもいろいろ質問していたと

先生から私のピアノレッスン時に聞きました

孫たんの生活環境内で生き物を飼ったことがなく

なにか生き物を飼いたいと以前から思っていたが

過去にパパに相談していたことがあったが

犬はパパがアレルギーがあるから却下

ハムスターは病気をもっていることがあるから却下

鳥、ウサギなどもアレルギーの心配がるあるから却下

カメもだめで・・・

そもそも孫たん事態が動物に興味がなく

動物園に行っても楽しそうじゃなく行きたがらない状態

なのでペットを飼うことを諦めていた

私もどうしても生き物が飼いたいとも思わず過ごしていたが

ピアノの先生とオタマジャクシの話しをしていたら

幼い頃から生活圏に常に生き物がいたことを思い出した

鶏(お祭で買ったヒヨコを二匹育てた。段ボールにヒヨコを入れて常に温かい状態を保つために裸電球を照らして入れていた)

熱帯魚も各種、(グッピーは稚魚を産むのでメスのお腹が黒く膨らんだら水槽内の子育てケース入れ保護し育てた)

ジュウシマツもタマゴから孵化させ育てた。(親鳥が巣から出入りする時に子供を巣から落としてしまうので拾って巣に戻していた。4羽から20匹程まで増やした)

父は単身赴任で留守が多く

世話は私がしていたことを思い出した

短い期間だったがリスも飼ったことがある
それは、当時勤め先が複合施設内にあり、同じ施設内にあったペット屋さんから脱走したリスを捕まえたところ、お礼だとその脱走したリスをもらい受けた。そのリスは私が仕事で留守の時に母がリスに首輪をつけた状態で庭に離したところ、カラスに襲われたと・・・😱 


そういえば、小学校の時

飼育係で鶉と金魚の世話をしたいたことがあったことも思い出した

鶉は先生と巣の掃除

金魚は水槽の洗っていた

思い起こせば、それほど生き物が好きだったと思ったこともなく

ただただ誰かがお世話をしてあげないと

小動物は生きていいけないからお世話をしていただけだったようだ

自分が動物好きだと今まで自覚がなかった😓 

今でも犬、猫は苦手

だって臭いし、毛も糞も汚いし

それでも生き物に縁があり

結婚後、子供が小学校の頃

インコ(迷い雛を保護、言葉も覚えさせたが鳥の羽の掃除と籠から脱走するよになり部屋に糞を落とすので他人にあげた)

カメ(お祭のカメすくいでゲット、外で水槽を洗っている時に郵便屋さんのバイクに轢かれて亡くなった)

金魚(お祭の金魚すくいで数匹)

ハムスター2匹(3年程の寿命だった)

ジャンガリアンをツガイで飼って何匹も繁殖させ

子供の友達にも分けてあげた

最後に飼ったのは犬(ポメラニアン)
次男が犬好きで当時、同居していた姑(次男はお婆ちゃん子)冗談でおばあちゃんが死んだら犬を飼ってもいいよ言っていたら、元気だったおばちゃんが心不全で突然死、約束通りに四十九日過ぎに犬を買ってあげた。賢くていい犬だった13年間の寿命を全うし家族で看取った。)

そんなこんなで常にペットがいる生活をしていた

しばらく、生き物を疎遠になっていたが

今回のオタマジャクシをきっかけに

孫たんが生き物を飼育してみたいという心が芽生えたようで

今日、金魚を飼ってみたいと言い出した

そして明日、買いに行くことになった



















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