むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

燈明堂(神奈川県)

2018年01月28日 | その他
燈明堂とうみょうどう
別名浦賀燈明堂
構造灯台
造営者徳川幕府(石川六左衛門重勝・能勢小十郎頼隆)
造営年代1648年(慶安元年)
指定史跡市指定史跡
場所横須賀市西浦賀6丁目9−1 地図

慶安元年(1648)幕府の命で作られた日本式の灯台で
浦賀港西岸の先端にあって、約220年間灯台の役割を果たしていました。



案内看板(燈明堂とその周辺)

燈明堂の背後の山には平根山台場が作られ外国船に備えました。
平根山砲台は天保8年(1837)日本人漂流民を送り届けに来航した
米商船モリソン号を最初に砲撃した台場として知られています。
ここから海岸沿いに海に突き出た所には幕末期に、千代ヶ崎台場が作られました。
燈明堂付近には供養碑などが立ち並び、
かつてここが首切場と呼ばれた浦賀奉行所の処刑場だったことが偲ばれます。


案内看板(燈明堂跡)

燈明堂脇に掲げられた案内看板。


燈明堂

元禄の頃から、最盛期を迎えた東浦賀の干鰯問屋の負担で維持管理を行い、
明治5年に廃止されるまでの約220年間、一日も休まずに航路の安全を守ってきました。
建物は木造で二階建て。
階下は番人小屋で、階上は紙の障子に金網を廻らせ銅製の大きな灯明皿が置かれて
菜種油で灯された光は海上4海里(7.4km)を照らしたといわれています。


石垣

切込接ぎの石垣で江戸城築城時に余った石材を流用したものではないかという説があります。
建物は明治20年代まで残っていたといわれていますが、風雨で崩壊し石垣だけが残されていました。
昭和になると、残った石垣の上に現在の建物が当時の外観に復元されました。



岩と海が奇麗です。



石垣と灯台?物見?と迷うような和風の灯台がとても印象的な燈明堂。
自動車を使って問題を解き歩く、クイズラリーに参加した時に訪れたのですが
ここにクイズの問題が設定されており、偶然ながらなかなか良いところに連れて来てもらいました。
このような灯台があったなんて、幕府が造った灯台らしく和風なのがとても気に入りました。
随分前に訪れた場所ですがとても印象的だったので今更ながら紹介しておきたいなと
思いました。


平成23年11月13日訪問


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