むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

坂木陣屋(長野県)

2019年08月19日 | 陣屋・館
坂木陣屋さかきじんや
別名坂城陣屋
構造陣屋
築城者板倉重種
築城年代1682年(天和2年)
指定史跡
場所埴科郡坂城町坂城6402-1 地図

坂木陣屋は、江戸時代初期に坂木五千石の支配役所として
八郎右衛門屋敷に代官所および陣屋が置かれました。
北国街道の宿駅であり、横町・立町・新町・大門を宿場とし
幕領後は中野預かりとなりますが、引き続き代官陣屋が置かれていました。



坂城駅前

坂城駅前にやってきました。


案内看板

坂城駅前にある案内看板です。
この案内看板によると東側の石垣が遺構のようですが…。



東側にある石垣と言ってもこれ?


石垣

新しいように見えるので、遺構と言われなければ
ほとんどわかりません。



宅地にあるこちらの石垣の方が遺構のように見えます。
位置から見てもおそらくこれも陣屋の石垣と思われます。


堀跡

駅前の案内看板に記された石垣上の稲荷社を探していると堀跡らしき場所に出ました。
陣屋稲荷はどうやら別の場所に移されたようです。
調べてみると、陣屋廃止後、村人によって中条神社へ遷座されたことが
坂城町北国街道マップに載っていました。


北国街道

北国街道は、江戸時代に江戸と北陸を結ぶ街道で
ここには宿場町がありました。
それが坂木宿です。
坂城町北国街道マップ」を入手して散策するといろいろ観光出来ます。
※私はふるさと歴史館で入手しました。


善光寺道名所図会

駐車場にある案内看板に記された善光寺道名所図会です。
善光寺参拝のための道中案内記で、江戸から善光寺までのガイドブックのようなものです。
その一部で坂木宿が描かれた部分で、ふるさと歴史館で展示されています。


駐車場
ふるさと歴史館の駐車場です。


ふるさと歴史館

昭和4年の建物が建つ坂木宿ふるさと歴史館は、本陣である宮原家のあった場所です。
参勤交代の際には北陸と北信濃の諸大名が利用し、加賀百万石の大名前田家も
数千人の家臣を従えて坂木宿に宿泊しました。
本陣は宮原家、脇本陣は中沢家が務めていました。


坂木宿本陣表門

この門は、1767年(明和4年)に焼失した坂木陣屋の門を移築したものです。


表門内部

門の中を覗いてみると、家のような造りになっています。
囲炉裏まであります。


本陣宮原家跡

北側に二階建ての疑洋風建築を増改築し、
戦後は「春日医院」として病院を開業しました。
先生が亡くなると、遺族の方々が土地、建物とも町に寄贈しました。
おかげでこうして見学することが出来ます。
では、入館料を支払って見学してみたいと思います。


玄関

玄関を入ると、豊富なパンフレットと山城関連のチラシに目が奪われます!
玄関入ってすぐの居間のような部屋が診察室だったそうです。



資料やパンフレット、本の販売など充実しています。
特に山城のパンフレット(印刷物)などが豊富に置かれているのには有難い



中は思った以上に資料が充実しています。
しかも撮影もOKなのでこれもありがたいです。


村上氏の展示

1階は、信濃村上氏のあゆみと村上義清の生涯を紹介しています。


甲陽軍鑑

ご存知の方が多いと思いますが、甲陽軍鑑です。
武田信玄・勝頼の2代の甲州武士の心構えや事績・合戦・戦法・裁判などが記されている書物です。
著者は小幡景憲と高坂昌信と云われ、武田流の軍学が幕府に公認され
軍学書として写本、版本され武士一般に広く読まれることとなりました。



清和源氏の流れをくむ村上氏は坂城町を発祥とし、
名実ともに信濃を代表する北・東信濃最大の戦国領主となりました。
上田原の戦い、砥石合戦と2度にわたり武田信玄の侵略を食い止め、撃退しています。


川中島合戦屏風

村上義清は越後の上杉謙信に援けを求め、5回あったとされる川中島の戦いのうち
最大の激戦といわれる第4回の戦いまで参戦しました。
そしてこの川中島合戦屏風絵(複製)は上杉側から描いたもので
この中には村上義清の活躍も描かれています。
ぜひ、探してみてください


お手洗い
便器を置いただけの状態なのでとても使用できるものではないので
みなさん、イメージだけしてみて下さい
男性の方は竹を想像するデザインでだと思うのですが。
あ、でも花挿しにも見えるのでそこにお小水はちょっとかも。


信濃村上氏と村上水軍

ここでは信濃村上氏と村上水軍の山と海の両村上氏について
解説しています。
直接の関係は定かではないのですが、両家の村上氏を結びつけたい
心理はとても共感できるし、興味深いものです。


坂木宿と和算展示

二階は、坂木宿と和算の展示がされています。


本陣札

この本陣札は、中沢家の表門の下に掲げられたものです。


模型

陣屋と本陣、脇本陣の位置が確認できました。



江戸時代後期から明治時代にかけて、和算が普及するのですが、
近代化に向けて数学力を高めるために洋算が学校教育に採用されるようになってきました。


算額奉納

江戸時代の半ば頃から和算を木製の額に書いて、絵馬のように神社仏閣に奉納する
風習が全国的に広がりました。
算額は全国で1000面ほど確認されていて、長野県には66面が現存しています。



坂木宿からも近い村上義清公墓所へも足を運んでみました。


村上義清公供養塔

坂木村が越後高田藩領だった頃、代官であった長谷川安左衛門が
村上氏の支族「出浦氏」の土地に建立しました。


村上義清公墓所

場所
村上氏と出浦氏の子孫が守って、現在はこのように整備されています。



坂木陣屋の遺構はあまり残っていないので、遺構を探すためにも
ふるさと歴史館へ行ってみたのですが、思いの外楽しめる施設で
展示物も複製を含め、興味深い情報が沢山展示されていて充実していました。
受付の方にお話しを伺うと、快くこちらの施設の説明もしていただけました。
坂木陣屋を訪ねた際には、ぜひふるさと歴史館へも寄ってみて下さい。
周辺の山城の資料も入手できますよ

受付の方曰く、坂城町産のシャインマスカットも名産とのこと。
とても甘い葡萄なので、いちど食べたら虜になってしまいます。
今度はシャインマスカットを買いに行こうかな。。。


令和元年7月20日訪問



村上義清とその一族 (坂城町信濃村上氏フォーラム記念誌)
坂城町,笹本正治
信毎書籍出版センター


村上義清と信濃村上氏―坂城町信濃村上氏フォーラム記念誌
笹本 正治,坂城町
信毎書籍出版センター

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