むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

笠取峠の松並木

2018年12月17日 | その他
笠取峠の松並木かさとりとうげのまつなみき
街道名中山道
場所北佐久郡立科町芦田 北佐久郡立科町芦田3797−2 地図

笠取峠の松並木は、1602年(慶長7年)に幕府が中仙道の整備の一環として
一里塚の設置とともに小諸藩に赤松数百本が下付され植樹され笠取峠の名所となりました。
1716年(享保元年)には中仙道から中山道へと街道名が改められました。


中山道

この道は江戸時代の街道のひとつ、中山道です。


案内看板

街道沿いに設置された案内看板。


松並木公園

こちらには松並木や街道が散策出来る駐車場が設けられています。
案内看板や石碑、トイレやあずまやがあります。


従是東小諸領の碑

この石碑は、小諸藩が領分境の東西に建てたうちの現在地より西に1.7kmにあったものを復刻し
この地に立てられています。
当時はこの石碑を境に西が幕府領であったとされています。


案内看板

駐車場に掲げられた案内看板。



右の建物がトイレ、奥にはあずまや、石碑や案内看板がありちょっとひとやすみするのに
調度いい感じです。


笠取峠の茶屋

芦田宿と長窪宿の間に笠取峠があり、煙たなびく浅間山が一望できる場所に
「小松屋」と称する茶屋がありました。


石碑

徳川時代末に描かれた峠の茶屋の絵図を表した石碑があります。


和宮東下の行列

仁考天皇の皇女和宮が14代将軍徳川家茂に嫁ぐため、中山道を通って江戸へ下りました。
京都から江戸へは大行列で、警備のための諸藩士や馬士等数万人があたり、
信州一円総出となり、その負担は大きいものでした。


あずまや

この日も松並木周辺を整備する地元の方々により
きれに清掃されていました。



水場でしょうか?
用途はわかりませんが見た感じは庭石のような存在ですかね。


並木道

現在総本数68本の樹齢が150~300年以上経た赤松が残っています。
昔はこんな良い道ではなかったのでしょうが風情があります。


歌碑

教育者、鉱物学者の保科百助の狂歌のようですが…私には読むことが出来ません^^;





道祖神

笠を持った旅人らしい、かわいらしい道祖神がありました。


この峠はよく通り、休憩場所としても利用する場所です。
以前にも一度紹介しようかと思って散策したことがあるのですが、そのままお蔵入りになっていました。
長窪から丸子へと出掛けた帰りに寄り道して新たに写真を撮り直しました。
ちょっと寄って休憩するには風情のある良い場所です。


平成30年12月15日訪問


中山道69次を歩く 究極の歩き方120(改訂版)
岸本 豊(中山道69次資料館長)
信濃毎日新聞社