トーキング・マイノリティ

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ゲゲゲの鬼太郎 06年【日】本木克英監督

2007-05-07 21:18:58 | 映画
 私が子供の頃、初めに見た『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメは白黒だった。その次に放送された時はカラーだったが、心なしか、モノクロ版の方が不気味さが上回っていたような気がする。まだ日本の地方都市は開発されておらず、いかにも妖怪が住んでいそうな自然がかなり残っていたのだ。水木しげるの漫画も大好きで、子供の頃からの鬼太郎ファンの私だが、まさか実写版映画が撮影されるとは思わなかった。

 鬼太郎に扮したのがウェンツ瑛士なので、原作の妖怪少年とは全く雰囲気が違っている。漫画の鬼太郎はどうみても十代前半にしか見えないが、ウェンツ鬼太郎では美青年妖怪となってしまう。さらに鬼太郎は映画の設定では350歳となっている。江戸時代生まれではないか。原作では鬼太郎誕生は戦後の昭和時代となっているのに。顔の半分を髪で隠していても、映画版鬼太郎はちゃんと左目もあった。これまた原作ファンは戸惑う。生まれてまもなく、鬼太郎は方目を失っているのだ。禍を恐れた隣人が墓場から生まれた赤ん坊の鬼太郎を突き飛ばし、墓石に左目をぶつけて隻眼になった。その墓石には「水木しげるの墓」と書かれてあったのが面白い。

 鬼太郎といえば、当然縞模様のちゃんちゃんこ姿。いかに霊毛で作られているにせよ、そのちゃんちゃんこがフサフサ状態。まるで毛皮のようだった。毛皮をまとった鬼太郎など、イメージが違いすぎる。せめて平織のちゃんちゃんこを着せてほしかった。映画では肝心のちゃんちゃんこがあまり活躍してなかったのも残念。
 それでも、鬼太郎の髪の毛針はさすがによかった。VFXによるものにしても、アニメではあの迫力は表現できない。敵相手に髪の毛針攻撃をした鬼太郎がすっかり坊主頭になるも、すぐ後のシーンではすっかり髪は元どおりになっている。

 鬼太郎の仲間たちも実写版ではやはり違和感がある。ねずみ男の、いかにもつけましたと言わんばかりの反っ歯とひげが気になった。砂かけ婆役が室井滋なので、婆さんにしては若すぎてお茶目。そして猫娘が可愛い過ぎる。猫娘も十代後半の少女姿で、赤いミニ丈ワンピースを着ているから、ますます可愛く見えてくる。キャンディー代わりに鰹節を持って舐めていたのは、さすが猫娘と感じさせられた。
 妖怪世界にもディスコらしきものがあり、そこに集う妖怪たちが音楽に合わせて踊っている。鬼太郎を猫娘が妖怪ディスコ(?)に行こうと誘う。人間の娘に片思いを寄せている彼はふさぎ込んで、カクテルを飲んでいる。猫娘は単なる友達と思っている鬼太郎だが、猫娘はそうではないのに、彼女の思いには気付いていない。

 映画は強力な魔力を持つ妖怪石をめぐって、ストーリーが展開する。この石を盗んだ張本人との濡れ衣を着せられ、鬼太郎は妖怪憲法103条違反で逮捕され、妖怪大法廷で裁かれることになる。裁判官を務めるのは天狗。ねずみ男の偽証で判決は有罪、鬼太郎は5百年の釜茹での刑が下される。歌にもあるとおり「お化けは死なない~」から、5百年間も釜茹でとは惨い。妖怪だから権や人道主義という観念はないのだろう。絶体絶命に追い込まれた鬼太郎は、仲間の機転で法廷を逃れるものの、目玉親父と砂かけ婆が捕えられる。満月の夜までに妖怪石を法廷に持ち込まなければ、身代わりに父と砂かけ婆に釜茹でが執行されることになる。
 妖怪の間にも憲法があるのは面白いが、人間社会のように改憲、護憲派の争いはないのだろうか?憲法第×条を守れ、とか何とか。

 映画のチラシには「最先端のVFXを駆使したエンタテイメント作」とあるが、ハリウッドの洗練されたCGを見ているためか、登場する妖怪の特撮がイマイチだった。それでも、色々ツッコミながらも結構楽しんで見られたのは、子供の頃から鬼太郎漫画のファンだったからだ。GWで家族連れで見に来ている観客も多く、ひょっとすると親子2代でファンなのかもしれない。

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